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沈殿した汚物
9


そんな四郎ヶ原の表情を冷静に見つめている者がいる。睨みながらも意外に冷静な吉武と、傍観者を決め込んでいる成海だ。

なにやらぎゃんぎゃん吠えているもじゃもじゃ頭は置いといて、成海はしげしげと四郎ヶ原の顔を観察する。今にも涙をこぼしそうな目とは裏腹に、唇が若干上向きになっているのだ。そのことに気がついているのは、人間はこの中にいったい何人いるのだろう。四郎ヶ原本人でさえ自覚できていないかもしれないのに。


ーーーー四郎ヶ原が、四郎ヶ原ではなくなっていってるみたいなんだ。変な目をするんだ。おれが憎めば憎むほど喜ぶ。喜びも憎しみも悲しみも、おれが四郎ヶ原に向けるどんな感情も、四郎ヶ原がおれに向ける感情も、ぜんぶ芸術に変えようとしているようで、なんていうか、うん、そう、すごく気持ち悪い。……そのくせ、作られた作品は息を飲むほど美しいんだ。でも、おれはあの目が嫌いだよ。


「死ねっ。死んでしまえ、大っ嫌いだっ!」


聞いてる側が哀れになるような吉武の声だった。四郎ヶ原の目から涙がこぼれ落ちる。


「死ねなんて言ったらダメなんだぞ!」


という、驚くほど空気の読めていないもじゃもじゃ頭に構う者はいない。


「吉武……」

「うるさい!」

「よし、たけ」

「黙れ! 僕は村崎みたいにお前が泣いたところで懐柔されたりしない。お前は村崎を踏みにじって、暴力で支配して、お前を信じていた僕たちを馬鹿にして、こうやってなんでもないような顔してここにいるんだろ!」

「ちがう!」


帰るぞ、と俯く吉武に怒鳴られ、体育教師の相手をしていた薫が頷いた。吉武がスッと四郎ヶ原から離れた。


「オレ、みんなが好きで、みんなで、またバカみたいに騒ぎたくて……!」


後ろ姿に向かって四郎ヶ原が叫ぶも、吉武も薫も一度も振り返ることなく教室を出て行った。成海は去り際に薫から目配せされる。それにひらひら手を振って返事をした。

さて。

成海は座り込んで泣きじゃくる四郎ヶ原を高い位置から見下ろした。もともと映画を見ていても泣きやすい奴だった。成海は中等部からしか彼らを知らない。吉武と薫については村崎なしではまともに会話をしたこともほとんどないし、成海はこの件に関しては自分は部外者だとすら思っている。

それでも、

四郎ヶ原の襟を掴んで無理矢理顔を上げさせた。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった汚い顔だ。それを平手で思いっきり叩く。平手なのは曲がりなりにも友だちである優しさだ。四郎ヶ原の体を勢いのまま床に投げ捨てた。

2人が教室を去ると共に、S組副担の体育教師も出て行ってくれてよかった。天才に平手打ちとはいえ暴力をふるったとなれば今後のクラブ活動に支障が出たかもしれない。現在L組にいる教師陣は、成海に信じられないものを見る目を向けて立っている担任だけだ。なんとなくこの担任なら大きな問題にしないような気がした。


「俺は村崎の友だちだから。四郎ヶ原、村崎をお前の才能の道具になんかしないでよ。俺にとってはお前よりも価値のある人間だよ。世界を感動させる天才より、俺はあのマイペースで優しい村崎の方が好きだ」


お前が泣くのはずるい。そう一言言い残して成海は踵を返した。

被害者は村崎だ。ただ、四郎ヶ原本人ですら変化する自分自身に振り回されているようだった。







「おい、待てよ!」


背中から聞き覚えがある声が追ってくる。足音が速いので走っているのだろう。ご苦労なことだ、と思いながらも成海は歩行のスピードを上げた。


「成海っ!」


慌てたように足音が付いてくる。もっと速くすると、足音も同じように速くなった。成海は面白くなってきて、どんどん速度を増していく。最終的には走っていて、廊下に「待てええええ!!」という怒気をにじませた叫びが響いてきた。


「吉野先生!」


背後から聞こえた絶対零度の呼びかけに成海が振り返ると、すでに授業中だったクラスの教師に担任が怒られていた。眼鏡の奥の目がやたら冷たいその教師に、怒られて肩身が狭いのか縮こまっている。怒られながら目だけをこちらに向けてお前のせいだぞ、と成海に訴えてきた。

面白いなあ。そう思いながら成海は嫌みったらしく笑ってみせた。

な、と担任が目と口を開いた。担任が「成海っ!」と言う前に「吉野先生!」とブリザードの吹く声で再び呼ばれて肩を跳ねさせていた。

担任はいちいち反応するから面白いのだ。あれだけ顔がいいならかつては生徒会だったのかもしれない。この学園に通っていたにしてはまともに育ったものだと思う。

担任は二度と廊下を走らない、授業中は大声を出さない、などという小学生のような誓いをたてさせられ、こってり叱られたあとやっと解放された。ぶすくれた顔で、待っていた成海のところまで不機嫌そうにやって来た。


「おまえのせいだからな!」

「そんなことより吉野先生」

「そんなことって!」

「なにか用ですか」

「聞けよ! ほんと性格わっりいなあ!」


成海の態度に怒りながらも、言われた通りに「あのさあ……」と続ける人の良い担任に吹き出しそうになった。素直で性格が良い憎めない人だ。そういう良い人を、成海は嫌いではない。


「村崎のことなんだけど、あいつ、なんかあったのか?」


困ったように眉尻を下げ、心配が浮かぶ目はブレずに成海を真っ直ぐ見つめてくる。

成海が答えずにいると、「朝と放課後、あいつに勉強教える約束してたんだけど、来ねえし……」とわざわざ理由まで話してくれた。

成海は少し考える素振りを見せてから口を開いた。


「俺は、運命というものがあるなら、村崎と四郎ヶ原は運命だったのだと思います。そんなに気になるなら、中等部の先生たちに聞くといいですよ。あの人たちは答えてくれないかもしれませんけど」


悪意がにじみ出ている回答に、担任がアホ面を晒しているうちに、成海はさっさとその場を去った。我に返った担任の呼び止める声が聞こえたが、反応はしなかった。さっきのように追ってはこなかった。成海のあからさまな拒否の姿勢を感じ取ったのだろう。

成海は今度こそ、村崎のもとに行こうと思った。





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