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沈殿した汚物
6


基本、村崎ゆうとは他人の都合よりも自分の都合を優先する人間だ。

四郎ヶ原のことは嫌いなわけではない。仮にも長年友だちをしてきた相手だ。だがここであっさりお願いとやらを聞き入れてしまうのはなんだか面白くない。


「むらさき、むら、さき、む、らさき、むらさき、むらさきぃ」


とは言っても、そんなに人の名前を叫ばないでほしいのも本音だ。


「……うざい」


蚊の鳴くような声で呟いた村崎の声がドア越しで聞こえるはずもないのに、泣き声がぴたりと止まる。代わりに嗚咽が小さく聞こえてきた。それもしばらくしてから消える。

立ち去ったも気配もないので、たぶん四郎ヶ原はまだ泣き腫らした顔でドアの向こうにいるのだろう。







タオルで頭を拭く。髪が長くなってきて乾きにくくなってきた。鏡に映る自分が思ったよりも成長していなくてビックリする。

冷蔵庫からペットボトルを取り出して喉を潤しながらソファまで向かった。その際に目の端をチラついた玄関が気になる。四郎ヶ原は帰ったのだろうか。

試しに村崎がゆるゆるドアを開くと、泣き腫らして汚い顔をした四郎ヶ原が勢いよく顔を上げた。


「顔、汚い」

「む、むらざぎいいー!!」

「汚い、近寄るなバカ」


と村崎は言うも、四郎ヶ原は問答無用で抱きついてくる。身長がほとんど変わらないせいで顔が異様に近い。村崎はしかめっ面で嫌な顔をしているが、四郎ヶ原は全く気づいていないようだ。

村崎は四郎ヶ原の奥に大きなキャリーバッグを2つほど見つけた。一気に嫌な予感がしてくる。


「なに、四郎ヶ原、家出してきたの?」

「そうなんだよ!」


さっきまでの泣きっ面はどこに行ったのやら。怒りをにじませた四郎ヶ原が、バッグを両手に掴み村崎の部屋にずかずかと勝手に入ってきた。

素早く人の部屋に入っていく四郎ヶ原の背を見、そうだよなこいつこんな奴だよな、と村崎はまたしても溜め息をついていく。

身長はたいして変わらないくせに、力の違う四郎ヶ原をこうなった今、村崎が追い出すのは難しい。ドアなんか開けなければよかった。いっそ成海でも呼ぼうかとも考えるが、またほいほい四郎ヶ原に懐柔されたと思われるのも忍びない。首にそっと手を当てる。死にかけるたびに、なぜかいつもタイミング良く成海に救われてきた。


「村崎、この冷蔵庫に入ってるプリンって食べてもいい?」

「死ねよ」

「ひどっ」


とりあえず四郎ヶ原のいるリビングへと向かった。


「なんで家出?」


そう言いながら村崎は四郎ヶ原の荷物を漁る。歯ブラシやら服やら日用品が次々出てきたので嘘ではなさそうだと判断した。もう一つのバッグも漁ると、鉛筆やら絵の具やらキャンバスやらがぐちゃぐちゃに入っている。


「あのなー、オレんとこ、2人部屋だったけどさ、今年は奇数だからって1人で使ってたじゃん? それがなんか転校生来るとかで本来の2人部屋の効力を発揮することになってさ」

「なんでおれのとこなの、成海のとこ行けよ」

「やだよあいつスポーツ特待じゃん。ていうことは、同部屋のやつもスポーツで入ったやつだろ? どうすんの部屋まで汗臭かったら」

「成海の爽やかさ知ってるだろ。どれだけ運動してもあいつが汗臭いこと今まで一度でもあったか」

「なんだよ村崎知らねーの。成海の同部屋のやつ、柔道の特待で入ったゴリゴリだぜ?」

「じゃあ他探せよ。吉武(よしたけ)と薫(かおる)はどうした」

「あいつらが泊めてくれるはずないでしょ」

「そこでなんでおれだといけると思ったんだよ。死ね」


ジジジ、と勝手に開けた鞄のチャックを閉める。村崎がカバンを睨みつけていると、後ろから重みがのしかかってきた。


「ぐえっ」


肩口に押し付けられたふわふわの髪が村崎の頬を撫でた。


「お願い、村崎は第2寮で部屋が広いし1人部屋だし、なあ、ここがいいんだよー!」


村崎は背中にのしかかる熱い身体に顔を歪めた。


「やめろ。そういうつもりなら出て行け」


冷たく言い放ったが、四郎ヶ原には効果がなかった。村崎が暴れてどれだけ引き剥がそうとしても、腕はなかなか離れない。イライラ舌打ちをすると、ようやく離れる気配がした。


「絶対に泊めない」


振り返ってまっすぐ四郎ヶ原を見た。

村崎ゆうとはよく見ればそこそこな顔立ちをしているくせにえらく特徴がない。そのせいか美形とはまた違う。一本線で通っている鼻筋は外国を思わせた。四郎ヶ原は、自分の平たい顔と比べ、それを美しいと思う。

重そうな奥二重がきっちりと開かれ、自分だけを見つめる瞬間が四郎ヶ原の最も愛する時だ。

四郎ヶ原の目に力強い光が宿る。四郎ヶ原は全身からなにかが溢れ出てくるのを感じた。無意識か、薄ら笑いを浮かべた。

村崎は、こういう顔をする四郎ヶ原に会ったことがある。それは村崎がまだ初等部だった頃に1回と、中等部だった頃の2回、計3回だ。

四郎ヶ原六美は、容姿はどこにでもいる日本人顔で平々凡々、ただ身長が少々低いどこにでもいる高校生だ。しかしこの天下の桜ノ宮学園で学園側が最も期待し、注目しているのはこの四郎ヶ原六美だと断言できる。それも数多くのスポーツ、芸術特待生、日本有志の成績優秀者たちを押し退けて、だ。

かつて、この顔の四郎ヶ原六美に村崎は襲われたことがあった。


「四郎ヶ原」


呼んでも返事なんか返ってこない。後退りすると追ってきた。


(成海……)


毎回助けてくれた成海の姿が脳裏をよぎった。目が勝手に携帯を探す。その隙に左手首を締め上げられた。痛みに顔を歪める。村崎よりも若干背が高い四郎ヶ原が、強い光をたたえた目で村崎を見ていた。


(おれは、この目が、嫌いなんだ……)


睨みつけると嬉しそうに四郎ヶ原が嬉しそうに笑った。





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あきゅろす。
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