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沈殿した汚物
5


村崎の席に平積みされていた教科書類は、どう収納しようとも机には入りきらない量だった。教室の後ろに設置されているロッカーに置き去りにする生徒もいるし、面倒臭がりは机に手提げカバンを引っ掛けて入れている。その場合は机を運ぶ際には大変そうだ。

村崎は臨時的にロッカーに入れたが、1番前の席ということもあっていちいち授業毎に取りに行くのは憂鬱だった。


(どうしたものか……)


そこで村崎はふとあることに気がついてクツクツ喉の奥で笑った。

担任からのラブレターのせいか、あるいはあの年増の教師の目のせいか。どうやら自分はこの教室に通って授業を受ける気でいるらしい。

毎日教室の扉を開く。
成海はうさんくさい笑顔で「おはよう、むらさき」と飽きもせず言いに来るだろう。担任が整った文字を黒板に書く。チョークと黒板がぶつかる無機質な音が心地いい。それは、そんなに悪いことでもないように思えた。

学校は、思ったよりも悪くない。


「あれ、村崎、おまえ1人? 成海は? てかもう外暗いぞ、帰れ帰れ」


前後に存在する教室の扉の、前の方から担任がひょっこり顔を覗かせた。仕立てのいいスーツを身に纏い、派手めなカッターシャツはボタンが多く外されている。喋らなかったら高級クラブのホストのようだ。

担任は何気無しに腕時計を確認した後、すごい勢いで村崎に詰め寄って来た。


「おま、ちょ、もうすぐ9時だぞ! 警備員はどうした、見回り過ぎてるよな?  おまえなんでここにいれるんだよ!」

「さっき来ましたけど、すぐ帰りますーて言いました。校舎広いんでまだここに戻って来てないみたいですね」

「そんな簡単な!」

「おれ、見た目は真面目なんで」

「見た目だけな!」


とりあえず化学の教科書をロッカーに押し込んで村崎はカバンを背中にかけた。教科書もノートも全て置いて帰る。村崎のカバンには筆記用具すら入っていない。


「女もの?」


それ、と言って担当は村崎の背中のカバンを指した。

村崎のカバンは革製でアンティーク調のリュックサックだ。長方形を横にした小ぶりなカバンで、持って帰る持って帰らない以前にノートや教科書を入れるのに適したカバンではない。そんなふざけたカバンで登校するのは村崎ぐらいだ。ただ、ヒモを長くして小さなリュックを背負っているその姿はやる気のなさそうな姿は、村崎にはよく似合っている。

リュックの革の色には重厚感が出始めていた。随分丁寧に使い込んでいることが一目で分かる。担任は「へー」と心の中で呟いた。物持ちがいいと言うか、物を大切に扱う心があるというのは良いことだ。


「そうですね」


担任の指摘通り村崎のリュックは女物で、母親のお下がりだった。


「あー、俺も若い頃、女ものよく着たりしたな。デザインいいよな。俺は身長はあったけど肩幅があんまなくてさ、当時はユニセックスに憧れてたんだよな」

「スカートも……?」

「履くかっ!」


顔を真っ赤にして憤慨する担任に村崎は笑う。ずいぶんからかい甲斐がある先生だ。

それを見た担任が黙り込んだ。そんな担任の様子に小首を傾げて村崎も笑みを引っ込める。どうしたというのか。


「おまえ、笑えんだな」

「人間は笑う生き物ですよ」

「いやまあそうなんだけどよ」


ばつが悪そうに頭をぽりぽり掻く。存分に言い淀んだ後、咳払いを一つした。


「おまえって、宇宙人っぽいつーか、なに考えてんのかいまいち分かんにくいつーか……」

「悪口ですか」

「わりいわりい」


村崎がじっと担任を見つめていると、担任の方が村崎を不快にさせたのかもしれないと勝手に焦りだした。いやあのな、べ、別に批判してるとかじゃなくてだな……と弁解しているが村崎にとっては知ったことじゃない。


「個性があるって、うん、まあ、長所の1つだと俺は思うぞ……?」

「先生」

「そう気を病むなって!」

「吉野先生」

「……はい」

「お願いがあるんですけど」


そんな困った顔をされても困る。別に村崎は怒っているわけではないし、これから話すことは担任の失言とは全く無関係だ。







「村崎、お願いがあるんだけど……」


やっと部屋に戻ってしばらく経ったころ、訪問者を知らせるベルが鳴ったので仕方なくドアを開けた。そこには友人の四郎ヶ原が、悲壮感漂う顔で立っていた。もともと美形が多いこの桜ノ宮学園で日本人らしいのっぺりした顔をしているというのに、庶民臭さがいつもの3割増だ。

毛足の長い絨毯に壁紙や飾りの絵画にまで凝った廊下で、四郎ヶ原はたいそう居心地悪そうに立っていた。


この学園では寮は2つに分けられている。分け方は簡単で料金の違いだ。そして村崎は、少数派であり第2寮と呼ばれるお値段の高い方の寮に住んでいる。

村崎は面倒そうに眉を動かした後、おもむろにドアを閉めた。


「村崎っ! おねがい村崎ぃー! 話だけでも聞いてえぇ!」


ドンドン叩かれるドアを背に、もたれかかる。

村崎と四郎ヶ原六美(むつみ)とは初等部からの付き合いだ。中等部に上がってからは一度として同じクラスになったことはない。村崎とてこの学園で賢い方ではないのだが、四郎ヶ原の頭の作りは壊滅的である。天は二物を与えないとはよく言ったものだ。


「村、崎ィ……ふえっ」


人の部屋の前でぐすぐす鬱陶しく名前を呼ばれても困る。村崎よりは大きいが一般的には小柄な四郎ヶ原でも、人前で泣きじゃくってもいいような年齢ではない。もともと美形ではない分、惨めったらしいことこの上ない仕上がりになっていることだろう。

第2寮は主に生徒会役員と風紀委員、あとは少数派のいわゆる金持ちしかいない。もともと授業料も食費も学校施設費もバカにならないほどの値段がするのに、一般寮と第2寮では何倍にも額に差がある。

クレームを生きがいにしているような隣室の生徒会会計を思い浮かべ、村崎は四郎ヶ原のうっとおしい雑音にため息をついた。





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あきゅろす。
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