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沈殿した汚物
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来る先生来る先生に驚かれ喜ばれ、なぜか転校生のように自己紹介をさせられる村崎。好きな教科や食べ物など、大して代わり映えしない内容をその都度話し、またクラスメイトたちは何度も聞かされてうんざりしていた。

そもそも村崎は初等部からずっと持ち上がりで来ており、中等部では今いる中間クラスより下のクラスにいたのだが、このクラスにも見知った顔はいる。全く知らない仲ではないし、村崎は比較的地味だ。容姿がより強く影響を及ぼすこの学園で、別段喜ばれる対象ではない。

それゆえ、6限目の最終授業ですら喜びまくった先生に自己紹介をさせられている村崎に、クラスメイトたちは少しだけ嫌な顔をした。


「村崎ゆうとです。好きな教科は現国。得意教科は美術。好きな食べ物は特になし。趣味は読書。家族構成は父母弟に犬2匹。帰宅部。よろしくお願いします」


ぺこりと頭を下げ、椅子に座る。ぱらぱら拍手が起こった。その中でひときわ大きな音で拍手しているのが、村崎に自己紹介させた張本人である漢文担当の年増の教師だ。人の良さそうな柔和な顔つきで村崎に向けて微笑んでいる。目尻のシワがなんとも優しそうな先生だ。


「そうですかそうですか、国語が好きで読書も好きですか。私もです村崎くん」


年増の教師は村崎に柔らかい物腰で握手を求めてきた。チョークで人差し指と親指が荒れた手だった。村崎は純粋な好意しか読み取れない右手を見つめ、一拍置いてから握り返した。比べてみると意外に大きな手である。


「私はですね、ずっとここで国語を教えていまして、ちょうどあなたたちの担任の吉野くんも私が教えたのですよ。彼は非常に優秀な生徒でして、お恥ずかしながら私が教えることなんてほとんどなかったのですがね」


ふふ、と笑う。

クラスがこの年増の教師の言葉に興味を持ち始めたのが空気で分かった。

村崎の担任、吉野先生はなかなかに人気がある。染めてはいないようだが色素が薄い少々長めの髪はいつも完璧にセットされているし、なにより若者受けする顔をしているのだ。年齢が近いこともあって他の先生よりもフランクに接してくるのも人気の一つだろう。そして生徒にはいつだって親身だ。

村崎は居心地悪く思う。なぜか年増の教師はなかなか村崎の手を離してくれない。どうしたものだか。我ながら小さい己の手が包まれている様を見ていると、今度は両手に包まれて上下に振られた。


「吉野くんは国語に関しては日本でトップクラスでした。全国模試で1位を取ったことも少なくありません。しかし彼は他の教科、特に理系科目は苦手でして、加えて授業態度もお世辞にも褒められたものではなく毎年進級が危ぶまれていました」


私は、と年増の教師が村崎の目を覗き込む。こじんまりした教師だ。村崎とほとんど変わらない目線の高さで目尻の笑い皺を増やした。


「彼の言葉がずっと忘れられません。彼は私にこう言いました」


ーーーー先生、学校ってさ、ダルいけど、良いとこだよな。俺はこの学園を憎んですらいると思ってたけど、俺、ずっとここで過ごしてきたんだよ。ずっと、初等部から。俺の人生なんだな、学校て。もっと、もっと授業に出てれば良かった。

教えてもらうことはまだまだ沢山あったのに、俺は教えてもらえるのは当たり前で、逆に強制されるのをうざったく思ってたんだ。バカだよ。うん。俺、もったいないことしたなあ……。

たぶん学ぶことに無駄なんてない。俺が嫌った英語を勉強して俺が好きな日本語を改めて見ることができた。数学も、わかんないけどさ、たぶんどっかで国語に繋がるんだよ。そうやって全部が繋がってるから、いらないものなんてこの世にないんだ。

先生、俺はひねくれてるから先生の「授業は大切ですよ」て言葉を素直に受け取れなかったけど、今は後悔してる。学校って思ってたよりも俺の一部だった。だから先生、言い続けてよ。


村崎くんにこの言葉を送ります。透明な目をした年増の教師は、最も柔らかいと思われる表情で村崎に笑いかけた。


「授業は大切ですよ」







村崎ゆうとは驚いていた。6時間すべての授業を終え、分かったことが一つ。


「教科書が、理解できない」


誰もいなくなった静かな教室で思ったよりも声が響いた。

ここは全寮制、天下の桜ノ宮学園である。7時間目授業が週2回もある進学校だ。初等部以外を全寮制で統一しているのは、共同生活の協調性を養うためと、私生活の指導、通学などで時間を割くのを極限まで減らし、勉学に励める最善の設備を形成するためだ。

掃除洗濯は3日に1回は希望者の部屋に専門の業者が入る。食事も自炊をしてもいいが、栄養を考えた食堂があるのでしよう思う生徒は少ない。この学園にはバカ高い授業料を払うだけの設備が整っているのだ。無駄も多いが。

そんな学園で、村崎は困っていた。

成海に教えてもらおうにも彼はホームルーム終了後は、すぐに部活に向かう。そもそもスポーツの特待生で入学している成海は一般生徒とは違って勉学にそこまで明るくなくても許される身分だ。成海本人も容量が良いせいかそこそこの成績を叩き出しているものの、特別な努力はするつもりはないらしい。

すべての教科の1週間分のノートは写し終わったのだが、さてさて困った困った。成海のノートは申し分なく綺麗だ。なんの問題ない。ただ写したノートの意味が分からない。


「モルってなんだ」


化学のノートや教科書と数分睨めっこをした後、溜め息を一つ吐いてパタリと閉じた。分からないものは分からない。


(帰ろうかな……)


机に頬杖をつきながら、几帳面な日直が丁寧に消していた黒板とにらめっこをする。なにがあるわけでもない。黒板が本来の深緑を存分に発揮していてただ綺麗だ。





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