沈殿した汚物
3
朝練を終え、いつもより早めに着替えを済ませて教室にやってきた成海は、でたらめな席に座る村崎をすぐに見つけた。村崎は地味だがなぜか目立つ。自分の思惑通りに村崎が来たことにほくそ笑んだ。
村崎が堂々と座っているせいで、一人の幼さが残る少年が所在なさげに立っていた。村崎は手元の薄紫の紙を見つめ、少年については気づいてないのかお構いなしだ。まあ、例え気づいていても村崎がどうこう気を回すとは成海にはとうてい思えないのだが。
周りも注意しようかどうか遠巻きに村崎を観察していた。
私立桜ノ宮学園は、中等部、高等部になると成績順にクラスが振り分けられる。多少の誤差は寄付金というもので起こせるのだが、ほとんどの生徒は自分の成績に見合った授業を受けられることに満足している。
そして、村崎の数少ない友だちはと言うと、最上位クラスと最下位クラスに振り分けられるという極端なことになっていた。最下位クラスには成海のようなスポーツ特待生や芸術特待生などが多く集まる。そこに成海が入っていないのはこの高レベルな学園である程度の成績が取れるからであって、村崎がこの中間クラスと言われるクラスにいるのには少々お金の力が働いている。
「むらさき」
この最も平和とされる中間クラスで、村崎はどうにもこうにも浮いていた。
「むらさき、おはよう」
ご機嫌らしく、村崎は笑顔で顔を上げた。
「おはよ」
「それ、手紙?」
成海が手元の薄紫の和紙を覗き込んだ。墨で書くという大層なことまでやってのけている。若いこともあってチャラそうな見た目のくせに、字は丁寧で達筆だった。
「これ、成海だろ、提案したの。なあ担任ってどんなやつ。いや、そもそもこれは担任が書いたのか? 教科担当?」
「担任だよ。それ、なにが書いてたの?」
「略すと花散って悲しいね、とあなたに会いたいよ」
「それはそれは」
「熱烈だろ」
「熱烈だね」
ぴらぴら紙を振って成海に見せると、村崎は元の折り目にそって畳んでから胸ポケットに収納した。そんな村崎を成海はニコニコと見つめる。
ふと視線を感じて成海が顔を上げると、今村崎が座っている席の持ち主とばっちり目が合った。表情に懇願が色濃く出ている。少年は、自分よりも頼りになりそうか人間に助けを求めているのだ。成海はその少年に向けてにこりと笑った。少年の顔がぱっと華やぐ。
「そういえばむらさきが休んでる間に、四郎ヶ原(しろうがはら)が会いに来たよ。夜に集まるらしくて、それのお誘いだった」
「あいつ高等部に上がれたんだ」
「ほら、中3の夏に描いた絵。あれの評判が良かったから」
「ふーん、成海は行ったの?」
「行ってない」
「なんで」
「俺がいない方が盛り上がるんじゃないかなって思って」
「あー」
納得したように相づちを打つ。確かに、成海は他の連中はあまり知らない。村崎にとっては初等の頃から仲がいいメンバーだが、成海は中等からだし、村崎以外の他の奴らとはそこまで親しくない。
成海は村崎に笑いかけながらちらりと少年に視線をやった。戸惑った顔をしている。始めから、成海に少年を助けてやろうなどという意思はない。
「ふ」
「どうした」
だって、あの固まった顔があからさまに絶望に染まるから。
黙って人の助けを待つような人間が、成海は嫌いだ。
「なんでもないよ、気にしないで」
村崎が成海の足を踏んだ。座っているためあまり力が入っていない。
「顔、怖いぞ」
「そう? ごめんごめん」
「成海ってさ、あれだよな」
「ん?」
「たまに、冷たい顔する。なんて言うか、死ねば? みたいな顔」
成海は肯定も否定もしなかった。ただゆっくりと笑う。残忍さが微かに見え隠れしている成海という人間はひどく難解だ。村崎はそこを面白いと思っている。
◇
「うおっ」
担任は教室のドアをスライドさせてクラス中を見渡し、村崎とばっちり目があった。村崎は写真で見たよりも幾分幼く、そして地味に見える。
鼻は高くて綺麗な形をしているし、目は奥二重だがそれがマイナスに働いているわけでもない。肌も思春期のわりに整っている。そのくせ、なんとなく美形というものとは違うのだ。「村崎ゆうと」という人間は、綺麗でも男前でも可愛くもない。担任が思うに、それは村崎の持つ雰囲気のせいだった。
村崎もまじまじと担任を見つめ返す。
数秒の沈黙の後、担任はハッと目が覚めたように村崎を指差した。
「村崎ゆうと!」
「はい」
「俺は吉野敬太! このクラスの担任で担当教科は現国と古典!」
「はい、吉野先生」
「そこは三田の席だ返してやれ!!」
少年が露骨に安心した顔をした。村崎のすぐ近くに立っている。
こんなに近くにいて、どうしてもっと早くに言ってくれないのか村崎にはさっぱり分からない。眉根を寄せると怯えた顔をされた。その表情の理由も分からない。
成海が本来の村崎の席を教えてくれた。今座っていた席から二個左にずれた席だ。机の上に教科書やプリントが山積みにされている。
とりあえず荷物を取って席に向かうが、少年の隣を過ぎるとき詫びの言葉は一言も入れない上に目を合わせることすらしなかった。
「いだだだだだだ!!?」
ついでに担任の側を通るとき、差したままだった担任の指をなんとなく折り曲げてみた。
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