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矜持と傲慢 後日談 (HQ:影日)
「どこに行ってたんだ?」
「どこにも」
そう首を振る日向は、驚くことに行方不明だった自覚がなかった。日向の記憶は二日間の空白を感じさせないまま、途切れることなく、あのスパイクを打つ瞬間に繋がっていた。日向自身が二日経っていることに唖然としていたくらいだ。
それから一週間くらいは日向の周りは慌ただしかった。集団失踪や怪奇現象など、こういう超常現象と呼ばれるものは世界に無数に存在するが、身近に存在するなら話は別だ。興味本意で日向に話を聞こうとする人間が絶えず、噂を聞き付けたのか、怪しい雑誌の取材まで来る始末だった。
しかし何はともあれ皆、日向が帰って来たことに安堵していた。
家族はもちろん、バレー部員もだ。特に心配性な菅原などは、部の規則にしばらく日向を一人にしないという項目まで付け加えた。日向は苦笑いしていたが、誰も異議を唱える人間はいなかった。
そして影山は、言われるまでもなく日向の傍にいた。
「しっかし驚いたなぁー普通に試合してスパイク打ったら、二日経ってんだもん。浦島太郎みてー」
「こっちが驚いたっつーの、ボゲ日向」
影山は日向の横でジュースのパックにストローを突き刺した。日向は玉子焼きを頬張りながら、ニヤリと口元を緩ませた。
「心配した?」
「寝言は寝てから言え」
「なっ…!でっでも…お前…」
あーうーと頭を抱えながら日向が言うか言うまいか悩んでいる。
影山は出来ればそのまま一生悩んでくれとパンを咀嚼した。
帰還後の影山の抱擁のことを指摘するか悩んでいるのだろう。しかし指摘する為に口に出すことが既に日向からしたら恥ずかしいに違いない。
そして影山はそのことについて言い逃れ出来ない。さらに日向の数百倍恥ずかしい。
言うな、言わないでくれバカ。只でさえ、あれについては日向失踪事件のおまけとして、部内でネタにされているのだ。
「…何でもない…」
苦虫を噛み潰したように日向は黙る。よし。
「……」
「……」
二人黙り込んで昼食をとっていると、チュンチュンと鳥の声が聞こえてくる。草や樹の深い香りも風に乗って感じられた。のどかだ。
ところが突然、何かの気配を察したのか日向が箸を口に加えたまま校庭の方に顔を向けた。
ぎょっとする影山を他所に日向は弁当を片付け始める。
「ちょっ…ワリィ影山ッ…おれっ逃げなきゃっ…」
「はっ!?」
「日向くん発見!!」
声の方向には多数の同級生やら先輩やら男やら女やら。そして一同は口々に言い張った。
「今日こそは超常現象研究部に入ってもらうわッ!!」
「なっ!?彼はオカルト研究部のものだッ!!」
「陸上部に掛け持ちをッ!!」
「バスケはいいぞッ!日向くん!!」
「新聞部だけど、失踪事件について取材をっ!!」
忘れていた。今や日向は烏野高校一の有名人で人気者だった。
そして前言撤回しよう。未だに日向の周囲は慌ただしい。
日向が逃げ出すと同時に影山もパンとジュースを掴んだ。走る日向の横に並ぶ。全速力で駆けながら、影山は日向に向かって怒鳴った。
「おっまっえっはっ……まだ断ってなかったのかよ他の部活の勧誘ッ!!」
「断ったよ!!でも掛け持ちでもいいからって言って来るんだよ!!」
日向も泣きそうになりながら抗議する。
あの事件以来、日向には部活の勧誘の嵐だ。主に超常現象研究部やオカルト研究部だが、日向の運動神経の良さも知れ渡り、他の運動部から勧誘されることになった。日向の親しみやすいキャラクターも相まって、休み時間はこの有り様だ。
「待って!日向くん!!」
「待ちたまえ!!日向くん!!」
彼らは地の果てまで追いかけて来そうな勢いだった。
「あぁああぁぁ!!どうしよう!!」
「こっちだっ!!」
影山は校舎の角を曲がり、咄嗟に日向の腕を引っ張った。深い繁みの中に引きずり込まれ、日向は熱い温もりを感じる。ついでに最近身近で嗅いだ匂いもした。
日向は目を瞬く。影山の鼓動が聞こえる。無理な体勢で足腰が、錆び付いたオモチャのようにギギギと音がするようだ。あぁ、でも動けない。影山の匂いがする。
影山は動かない。
遠くから日向を探す声がする。あぁ、頼むから早く行ってくれ。いや、行かないでくれ、こうしている理由がなくなる。あぁ、勢い余ってなんて体勢だ。日向の匂いがする。
顔を動かすと唇が日向の頭頂部に当たって、びくりと日向が反応するのがわかった。影山はしまったと思ったが、日向の腰に回している腕を緩めることが出来ない。
お互い無言で、身動ぎ一つしなかった。
遠くで聞こえる人々の声も、自転車の音も、風が木々の葉を揺らす音も、違う世界のことのようだった。
「…影山」
「な…んだ…」
日向は顔の位置をずらして、右耳を影山の左胸に当てた。
ドク、ドク、ドクドク…。
「…誰にも言ってなかったけど、おれが戻ってきたあの試合で、スパイク打つ瞬間に影山の声が聞こえたんだ。…日向って」
「…叫んだからな」
「いや、そうだけど…そうじゃなくてなんか…おれはトスじゃなくて…お前の声に反応して戻って来たんじゃないかって…」
影山はズキンズキンと頭痛までしてきた。体温も上がって、風邪の初期症状のように苦しいのに、たまらなくこの状態が気持ち良かった。
こんな感覚、知らない。だけど知ってしまったら、もう知らなかった頃には戻れない。
日向翔陽を知らなかった頃には、戻れない。
「…おれ、バレーの最中なのにっ…トスが上がったことよりも、お前が…おれを呼んだのが嬉しかったんだっ…なんて言うか…」
日向が段々早口になる。子供の言い訳のようにたどたどしかったが、日向の気持ちが密着している箇所から流れ込んでくるようで…影山には明瞭に伝わる。
「おれはお前が呼んだから帰って来たんだ、きっと。他の人間じゃダメだった」
唇の動きから、睫毛の数まで、確認出来るような距離だった。
「おれにはお前の代わりなんかいないんだって思ったんだ」
日向の瞳の中に映る自分に、影山は気が付いた。
俺はここにいた。
俺はきっと消えたりしないだろう。こんな居心地のいい世界にいるのだから。
だったら、日向も今、俺の中にいるのだろうか。そこは日向にとって良い場所だろうか。そうあればいいけど。
徐々に縮まる距離を二人は不思議に思わなかった。
黒い前髪が、橙の前髪に被さる。
二人はお互いの存在を感じるように、唇を重ね合わせた。
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