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その他小説
初恋メカニズム 中 (HQ:及日)
病室に入ると、なるほど確かに及川と日向は美女に迎えられた。

半世紀は生きているように見える美女に。

及川が日向に視線を向けるより速く日向は顔を背けた。素晴らしい反射神経だった。

「来てくれたんだねぇ、日向ちゃん」

「おばちゃんっ」

及川から逃げるように日向はベッドの上の枯れ木を思わせる老女に駆けていく。抱きつく日向と優しい眼差しで背を撫でる老女はさながら孫と祖母のようだった。

「来てくれて嬉しいわぁ」

「へへへ…」

ちらりと老女が及川に目をやる。

「彼は?」

「あっ…紹介するね、おばちゃん」

日向は及川の元まで戻っていき、及川の腰を押して前につき出した。

「青葉城西のキャプテンの及川さん!いい男でしょ!」

何故か誇らしげな顔をする日向に彼女も頬に手をあて、きゃっきゃっと騒ぐ。

「ホント、いい男だわぁ!おばちゃん面食いなのよねっ」

今日はいいマグロが捕れたと報告されているようで及川は複雑な気持ちになった。
どうやら日向が自分を連れて来たのは若くて男前が好きな彼女の為らしい。普通に協力してって頼めばいいのに、と及川は溜飲を下げた。

二人して病院の丸椅子に腰を下ろすと日向は及川が烏野排球部のセッターの元先輩で、どれほど優秀な選手か語った。言葉は稚拙だったが、ベッドの上の彼女は痩せて刻まれた目尻のシワをさらに深くしながらニコニコ聴いていた。

「でも、及川さん性格は悪いんだってさぁー」

本人の前であっけらかんと言う日向の頬を及川は容赦なくつねった。

「言ってくれるね翔ちゃん」

「ふぁっ…いはいぃぃ!」

「あら、悪い男も好きよ私は。ねぇ及川君」

及川は歯を見せて、にっこり微笑んだ。

「こんな美人に気に入られるとは光栄ですね」

「あらやだー」

少女のように笑う彼女に、惜しいなと及川は方眉を寄せた。彼女にもう少し肉が付いていたら、もっと魅力的に見えただろう。中年期は痩せが老いに繋がるのだ。彼女は見た目よりも本来ずっと若い。ただ顔や首に刻まれたシワがそれを年輪のように彼女を老人然とさせていた。

「ところでおばちゃん、傷は大丈夫なのっ?オレ、ニュース見てびっくりしたんだから!!」

「あぁ、あれね。ちょっと大袈裟に報道されたけど、実際は軽傷だったの。もう傷は完治してるわ」

「え、そうなの?」

「ただ入院して検査するとね、身体中がたが来ててね、水頭症まで見つかってねー」

「水頭症って認知症のやつ?」

「そうね。確かに症状に認知症も含まれるけど、大丈夫よ。手術すれば治るわ」

「そっかー」

朗らかに笑う日向と彼女に及川は訊いた。

「あの、ニュースって何かあったんですか?」

「あぁ、知らない?最近騒がしている通り魔事件。あれの3番目の被害者が私なの」

溌剌と笑いながら言う彼女に大したものだなと及川は感心した。そんな事件に巻き込まれたら、例え軽傷でも心的外傷後ストレス障害にかかる人間もいるだろうに、彼女にはまるでそんな気がない。

「それは…なんというか…御愁傷様です」

「もうおれニュースで知って、慌てて安川のおばちゃんに病院訊いてさ〜!!超心配したー!!」

日向が胸に手を当てて、眉を下げる。

「あはは、おばちゃんちにも記者が沢山来て大変みたいなのよ。皆暇なのねぇ」

まるで他人事のような彼女の笑顔に、日向は安心したかのように息を吐き出した。それからふと棚の上の写真立てに目をやり、それを大事そうに手にした。

「ママさんバレーの写真」

及川が見やすいように、日向は写真立てを傾けた。中の写真には体格のいい中年女性達が皆良い笑顔で集まっている。日向もいた。
その写真がきっかけでバレーの話になった。日向は中学の頃、彼女の所属しているママさんバレーの練習に一人で参加させてもらっていた。
及川は中年女性達に交ざって練習する日向を想像した。さぞかし可愛いがられていただろう。

「あの試合、笹川さんのデビュー戦だったのよねー」

「うんうん」

昔を振り返る彼女と日向に、及川も耳を傾ける。

「第二セットのセットポイント取ったサーブ、打ったの……えーと、誰だっけ…」

「大友のおばちゃんだよぉ!」

「そうだったわね。相変わらずかっこ良かったわよね」

「おれも負けてなかったけど!」

「あら、日向ちゃんは下手だったでしょー!」

「そ、そんなことない…」

「ふふ、マッチポイント取ったスパイクも凄かったわ…誰だっけ…」

眉を寄せる彼女の横で日向が一瞬、咽を詰まらせたようだった。

「吉田のおばちゃんだよぉ!セットポイントとったの!」

「……あぁ…、そうだったわね」

ぼんやりとした表情のまま、彼女は頷いた。

「いやー、吉田のおばちゃんさぁ、女の人とは思えない凄まじい威力だったよねマジで!」

「こら!そんな失礼なこと言わないの!」

鈴が転がるように笑う日向に、彼女も笑う。
日向が写真の真ん中にいる太った、しかしとても頼もしそうな肝っ玉母さんの吉田のおばちゃんを指差した。及川が知らない話も多々あったわけだが、別段退屈ではなかった。一生懸命、日向が補って話してくれるからだ。

それからふと会話が途切れた所で彼女は棚の引き出しから財布を取り出した。

「日向ちゃん、悪いけどコンビニでおばちゃんがいつも飲んでたジュース買って来てくれる?及川君と日向ちゃんの分もね」

「うん、わかった。及川さん、ちょっと待ってて下さい」

「ゆっくり行って来てねー。おばちゃん、及川君と男女のトークするから」

及川さん、おばちゃんは人妻だからくれぐれも気の迷いを起こさないようにーと注意して扉の向こう側に消えていく日向を見送って、及川はゆっくり彼女に向き合った。
彼女はひどく愉快に笑って及川を見ていた。しかし瞳は鷹のように鋭く、一切の緩みも許さない。

「会いたかったわ、通り魔さん」

「……どういう意味ですか?」

「無駄よ、私はもう確信している」

及川はしばらく樹木のような深い双眸で彼女を見据えていたが、結局溜め息を吐いて降参したかのように両手を上げた。



「まさか、もうバレるとは」

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