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ウツロイウォッチ
□六





 千葉国の病院で吹々季は目を覚ました。


「……」


 白い天井をぼうっと見る。
 ここはどこかしら。
 自分は、


 ――――自分は?


 右手が重い。確かそこに自分は何かを持っていた。何だったか。そんな気がするが、気のせいかもしれない。

「ん……」

 ぼうっとした頭のまま、右手を持ち上げて見ようとする。しかし何だか重くてできない。本当に何かが乗っているらしい。
 吹々季は顔を動かした。


「……変な顔」

 そして、自分の手を痛いほど握りしめている白い髪の少年に、開口一番そう言ってのけた。

「…………吹々季……!!」


 聞き慣れた声が全く知らない切ない響きで吹々季を呼んだ。
 変な顔なのではなく、ぐしゃぐしゃに憔悴した顔をしているのだと吹々季は気づいた。何があったのだろう。そう思った瞬間、疑問がいっせいにわき上がってきた。


「私なんでこんな場所に……、ねえ、ちょっと」

 掠れた声でそう言いつのりながら、今更ながらに握られた手が恥ずかしくなって、照れ隠しに振り払いそのまま白隆の頭にぽこりと当てる。

「馬鹿面してないで、説明なさいよ」

「ば、馬鹿はお前だろうが!!」

 白隆は顔を真っ赤にして身を乗り出した。
 同時に、からから、とドアがスライドする音が聞こえた。


「吹々季……!」


 知里が飛び込んでくる。
 扉を引く前から、話し声で彼女が目覚めたと知ったのだろう。

 ベッドから身を起こした吹々季に知里がすがりつく。布越しに体温が伝わってきた。暖かい。

「あ、俺、渡紀香に伝えてくる!」

 喜色満面に白隆が部屋を飛び出した。

 ぎゅっと子供がするように抱きつく知里の背に手を回す。
体は不思議に軽かった。何ともない。
何故病室に寝かされているのか不思議なほどに。


「ばか、本当に大馬鹿」
「……ばかばか罵るのは私の専売特許よ」
「馬鹿」

 もう一度言ってから身を離し、真っ赤にした目で知里が吹々季を見つめた。

 何故あんなことを、と聞きたかったのだろう。だが、それより先に吹々季が訊ねた。


「ねえ、何で朝なの?今夜の作戦は?渡紀香さんて、さっき体育館で……もしかして私、寝過ごしちゃったの?」


 知里が目を瞬く。


 ……覚えてないの?

 そう言われても、何が何だか吹々季にはわからない。








 あの夜。つまりそれは、昨夜のこと。

 先ほどまでの状態が嘘のように、ただこんこんと眠る吹々季の体は、ひとまず白隆が連れて千葉に戻った。
 あのとき三国の人員は都庁に集中していたから、幸運なことに誰かに襲われることもなく帰国できたのだという。

 知里と紫延は、地下道を出て地上へと上がったが、知里はしばらく茫然としたままだったらしい。

 やがて、紫延と知里の通信機が同時に電子音を鳴らした。
 占領の通知だった。
 占領者の欄には、渡紀香の名前があった。

 会話はなかった。声を出す気が起きなかった。
 二人とも何も言わずに、ただ何となく、帰ってくるであろう渡紀香を待っていた。


 そして、




『まったく、無理させるなよなー。大事な人材なんだからなー?』


 都庁から渡紀香が出てきた。
 正確には運び出されてきた。
 肩に渡紀香を抱えていたのは、


『……暗部……』


 そう低く唸った紫延よりも知里よりも小さな、少女だったという。





 扉を開けて紫延は少しめまいを覚えた。
 病室には、所在なげに座る知里しかいなかった。


「……五十槌はともかく、史庵はどうした」

 知里もまた、紫延が現れたことにひどく意表をつかれた。
 お見舞いなんて来るような情のある人だとは思っていませんでした。とは、嫌われたくないので言わずにおいた。
 私が入院してもこうしてお見舞いに来てくれますか、とも聞きたかったが、それも我慢した。

 言葉は一通り我慢したが、知里は紫延の提げている果物のかごを信じられないような目で見つめてしまった。
 わあ……本当にお見舞いだ……。


「あ、ええと……、昨夜の話をしたら、出ていってしまいました」
「すれ違いか」
「ええ。……あと、五十槌くんは。渡紀香さんを、探すと……」

 紫延は舌を打った。
 あの単細胞め、と。


「隊長はあの夜、渡紀香さんについて聞いたのですか」
「聞いたさ。何も得られなかったがな」
「え?」
「何も、だ。……何もなかった」







 その白隆は、病院から本部へと向かっていた。

 渡紀香には会った。
 会ったから白隆は走っていた。


(一発殴ってやらなきゃ気がすまねえ)


 ぎりと白隆は歯を軋ませる。
 もとはといえば暗部が悪いのだ。何もかも。

 みな午前の東京に出かけているのだろう。
 本部前の広場、木の立ち並ぶ大きな道はがらんとしていた。

 なのに。
 白隆は、背後の気配に気づけなかった。


「やっぱり来たか」


 とん、と後ろ首を押された。
 たったそれだけで白隆の重心は簡単にくずされ、彼はつまずいた。

「っな……」

 すんでのところで手をついて、白隆はさかさまに背後を見る。

「千田土の隊の奴だろ?」

 木々がさざめく。
 人差し指をふらりと降ろしたのは、小柄な少女だった。

「……お前か……!!」


 言葉にならない、火に似た感情が白隆の目の裏を燃え上がらせる。
 震える焦点を少女に据えた。深緋色のプリーツスカートにリボン。一見ただの学生のような。

 だが、身を起こそうとした白隆の額に、いつどこから取り出したか知れない小銃を構える隙のない身のこなしは、まぎれもなく手練れのそれ。


「初めましてと言ってやろう。暗部の戮花だ。いうまでもなく偽名だがな!」


 切れ長の目をすがめて戮花(リクカ/偽名)は言い放った。

 白隆は怒りとなんだかよくわからないものがぐちゃぐちゃに混ざって総合的になんだかよくわからなくなった。


「何だそのハトマメ顔は」
「あ、え?」
「ハトがマメ鉄砲顔。ったくー人がせっかく出てきてやったんだからさー本当ならお前なんかよりものすごく偉いんだぞー」

 仏頂面のまま戮花はそう言い、あっけにとられたままの白隆を銃口でちょいちょいと促す。

「立てよ。聞きたいことがあるから、おれを探しに来たんだろう?」







 宿舎の時計台の下に、彼女は座っていた。

「渡紀香さん」



 吹々季の声に彼女は目を上げ笑う。
 頼りなく笑う。

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