ウツロイウォッチ □五 もう降ろして、と渡紀香がもがいた。 「自分で走れる」 すると紫延はいきなり力を抜いた。 渡紀香はどさりと地面に落ちた。 「いった……ちょっと、優しさとかそういう仕様はないわけ」 「…………何の音だ、今の」 渡紀香はきょとんとする。 都庁の方だ、と紫延は走り出した。 「ち、ちょっと待ってよ!」 ぴく、と緑郎がその音に気をとられた。 すかさず白隆が飛びかかる。 「捕まえ……たッ!」 首筋を掴む。 ばつんと緑郎の全身に衝撃が走った。 電気を流されたのだ。 昏倒する緑郎を、銃にかぶせていた布で知里が縛る。 「悪く思わないでね」 「へっへー、勝った。さっきの"ドォン"ってのに感謝だな」 心底楽しそうに白隆が言った。 戦うのが好きなのだな、と知里はつられて苦笑する。自分は戦いに抵抗があるので、少し羨ましい。 「急ぎましょう。皆無事だといいけど」 「ああ。行こうぜ」 都庁の大きな影はすぐそこに見えている。通りを二本くらい渡ればきっとすぐに着く。 気絶した緑郎を厳重に包み、道の端に転がして知里と白隆は走り出した。 風邪を引くかもしれないし見つからなければ飢えて死ぬだろうが他国の敵など知ったことではない。 「計画では表玄関から……」 「どっちだ、それ。着いたとこから入りゃいいか」 「……がさつ」 「じゃあお前わかる?表玄関」 「…………黙秘します」 「待て」 「言わない」 「じゃなくて、待てって」 「え?」 白隆が知里の手を掴む。 二人は足を止めた。 知里も白隆の言う異常に気づいた。 都庁の地下一階に続く階段から、煙が上がっている。 月光ににぶく浮かび上がるその不穏な影に、知里は胸がざわめくのを感じた。 「……まさか」 足がもつれる。転びそうになりながら崩れた階段を駆け降り、 そして吹々季を見つけた。 こつ、とかすかな音が二人の後ろをすり抜ける。 淡々とした足取りで、壁際にぐったりと倒れた少年の前に立った者があった。 薄く呼吸をする水氷使いは全身に火傷を負っているようだ。手榴弾の爆発を、とっさに水でガードしようとしたのだ。 「――馬鹿ね。爆風で沸騰したお湯をかぶりにいくようなものじゃない」 「ヒ、バナ、さん……何故、ここに」 「何故って。仲間だから。当たり前だわ」 ふうと呆れた声をさせ、緋色の少女はその肩を担いだ。 ちらと白隆たちを一瞥する。 「あなたたちも、仲間、どうにかしてやりなさい。……聞こえてないか」 手榴弾を抱えた吹々季は手と顔半分を吹き飛ばされていた。 だから誰だか判別しがたかった。膨らんでいたはずの胸部は大きくくぼんでいるし髪は血液でまだらに染まってもとが何色かよくわからない。細かい肉片がひび割れた石の床に飛散し焼けて焦げついた異臭を放っている。 それが彼女でない可能性を懇願するように隅々まで見探した。 だが下顎の無い顔面と一体化している溶けた眼鏡は、肉塊化した上半身に続く下半身はまぎれもなく彼女のものだ。 知里が声にならないひきつった音を出すのが聞こえ、白隆はその視界をおおってやろうとした。だができなかった。体が少しも動かせなかった。 「……ふぶき……」 代わりに知里の顔をおおったのは紫延の手だった。わずかな時間差で今彼らが都庁に着いたのだ。それともこうしてずいぶんと長い間立ち尽くしてしまっていたのだろうか。白隆には、わからなかった。 目を塞がれたことで目の前のものを拒絶し遮断していた感情が緩んだのだろう。紫延の手のひらの下から、涙が音もなく知里の顎を伝い落ちた。 「何故こんな……」 紫延の後ろに力なく立つ渡紀香の声が虚ろに響いた。 何故? 何故だと? 「……どの口がそれを言うんだよ」 白隆がゆっくりと振り向く。 「お前がいたからじゃねえのか」 「お前がいたからこんな作戦なんか」 「お前がいなければあいつは!!!」 「大きな声出さないで……!!」 知里が振り絞るように小さく叫んだ。 その体をどけるようにして前に出た紫延が涙に濡れた拳で白隆を殴った。 「……落ち着け、五十槌……」 動揺。常とは違う色が紫延の中にもあった。 なれどここは戦場。追手のいなくなった今、目標を目の前にして立ちすくんでいるわけにはいかない。 そう責任感で押し殺そうとしても尚冷静になどなれはしない。なれるものか。 落ち着けと。 誰が出来るのだ、そんなこと。 言葉になど、そんな形の中になど到底収まりはしない渦が白隆の中に荒れ狂っていた。 どこにもやれない。受け止めることも、収めることも、到底出来ない。 だがそうさせる以外にない。紫延は彼を制するしかない。普段、重力をそうするように。 作戦のため。千葉のため。違う、彼自身のために。 激しい感情にゆれる黄色の瞳と紫延のそれがにらみあう。こんな目は山ほども見てきた。一瞥して、流して、潰してきた。 仲間にこんな目をしてほしくはなかった。 ふとその白隆の視線が外れて紫延の向こうを見た。眉をひそめ、紫延も振り返る。 渡紀香が二人の横を歩み過ぎ吹々季のもとへと進んでいった。 「……ごめんよ」 ひざまずき吹々季の赤い胸元に手をあてがう。渡紀香の目が険しくなる。 渡紀香の手が光を放った。 幻覚のようにそこを中心として、淡い光で描かれた時計が浮かび上がった。 針が回る。 吹々季の体がどくりと脈打つ。 映像を逆再生するように失われた骨が伸びみるみる筋肉がおおってなめらかな皮膚がはった。辺りに散っていた血と肉塊はいつの間にか、消えていた。 渡紀香が立ち上がる。 白い服に身を包んだもとの吹々季がそこにいた。 ふぶき、と掠れた声が知里からもれた。 白隆が倒れこむようにしてその場に駆け寄り、吹々季の手を握る。とくりと手首に脈を感じた。生きている。 紫延は声を失っていた。 浮かび上がった時計の陣。 それが刻の能力であることを彼は知っていた。 だがそんな刻の能力がないことも知っていた。 音もなく立ち上がる渡紀香を、彼はただ見た。 無言でうつむいたまま彼女は歩き出す。 「……どこへ」 紫延の声に彼女は半身だけ振り向いて静かに答えた。 「もう誰も犠牲にさせない」 [*前へ][次へ#] [戻る] |