ウツロイウォッチ
□一
風を切る音、空気の爆ぜる音、拳のぶつかる音が練兵場におどる。
開け放たれた窓から、秋風と入れ違いに、場内の熱気があふれ出てゆく。
「手抜いてんなよ知里!」
「……本気」
打つ。かわす。投げる。蹴る。静攻、猛攻。
広い館内の中心を陣取って戦う仲間二人をながめて、壁ぎわのベンチに座った吹々季は、あきれたように頬杖をついた。
「白隆ー、あんた病み上がりなんだから無理しちゃ駄目よー」
彼女は義務的に声をかける。
言っても無駄だと知りながら。
「わかってん……っよっと!」
額にも体にも、いまだに包帯が必要な怪我をしているというのに、白隆は手加減なく、全力で相手に向かってゆく。
迎えうつ知里も手を抜くつもりはないようだった。
戦場にのぞむときと同じ、長衣の装備で舞うように立ち回り、迷いなく白隆の懐に踏み込む。
白隆が千葉国幹部候補に選ばれ、幹部昇格をかけた試験を受けてから、数週間がたつ。
その試験以来、知里は一層、そして白隆は今までとは別人のように、訓練にはげむようになっていた。
(目指すものができて、やさぐれた感じが無くなったのはいいけど)
そう考えると、吹々季はため息をつかずにいられない。
白隆の見つけた目標。
強敵を倒す。
最強。誰よりも強くなる。この戦争で。
馬鹿馬鹿しいわ。不謹慎だわ、そんなの。
力を渇望する彼を、吹々季はいまいち受け入れられずにいた。
多分それを薄々感じているから白隆は、自分ではなく、知里に手合わせを頼んだりするのだろう。
……この間の試験で出会った、白隆いわく"最強のライバル"が、砂塵使いだというのもあるだろうが。
知里には知里で、強くなって憧れの幹部に近づきたい、という目標があるからなのだろうが。
(……何でここにいるのかしら、私。)
気がついたら吹々季の視線は二人でなく床へと落とされていた。
「お、やってるやってる」
練兵場の磨かれたフローリングにコツコツと足音が響いた。
「はあ、やたら元気だなあ、白隆のやつ。この前とは大違い」
聞いたことのない明るい声がよく知る名を呟いたので、吹々季はちらりと顔を上げた。
彼女の目が向いたのに気付き、腰に手を当てて立っていた来訪者も吹々季を見とめる。
凜とした女性だった。
細くくびれた腰と女性らしい豊かな膨らみのえがく柔らかい曲線は、厚い生地のワンピースにぴったりと包まれてなお色香を浮き上がらせ、高い位置で一つにくくられた豊かなポニーテールはつやつやと光を弾いてまぶしい。
艶やかな弧を描く唇に、同性ながら吹々季はどきりとする。
凜とした、魅力的な女性だった。
「あ。こんにちは。白隆のお仲間?」
「え、ええ。あなたは、白隆の……どちら様?」
少し言葉をつかえさせながら吹々季は頷いた。体を起こして笑顔をつくるが、警戒の色は隠せない。
来訪者は黄昏の色をした髪をゆらして、にこりと親しげに吹々季に笑い返した。
「……ふふーん、やきもちかい。お姉さん」
「へ」
「あ、もしかして白隆のコレ?」
笑みのにこりがにやりに変わる。
来訪者は、小指を立てた。
色恋の仲、をあらわす、なんとも古式ゆかしい、俗っぽいジェスチャーだ。
吹々季はかあっと顔を赤くした。
な、な、なにこいつ……っ!
「あれ、トキカ?」
こちらに気づいた白隆が、組み合いを止めて、ほけとした声をこちらに投げてきた。
「おーっす」
トキカ、というらしい彼女が白隆に手をあげて挨拶をする。
白隆は吹々季の座るベンチに歩み寄ると、そばに置いてあったタオルで火照った体をぬぐう。
後ろから来た知里も来訪者に興味を示し、運動の熱で顔を上気させながら、「だれ」と白隆に問いかけている。
「お前はさっさと汗ふけよ。風邪引くぞ」
そう言いながら白隆が知里に別のタオルを渡してやっているのを見、渡紀香はにやにやした。
「やっさしいー」
「うっせえな」
「……随分と仲良しみたいね」
吹々季が言う。わずかに刺々しい調子だ。
だが、渡紀香はそれを気にすることもなく笑って、白隆に顔を向けた。
「ね、教えてよ、このかわいい二人の名前は?」
「ああ、こいつが吹々季。んでこっち知里。吹々季、知里、こいつは渡紀香。苗字は……シノノメだっけ?」
ざっくばらんな白隆の紹介に渡紀香はしょうがないなあというように肩をすくめる。
なによ、その気心知れちゃってる感じのふるまいはっ。吹々季の眉に無意識にしわがよった。
「そ、正解。にしても白隆、見事なハーレム具合じゃん。こーんな美人三人に囲まれちゃってぇ」
「だから渡紀香、お前うっせえって。つか、なんでここに」
「……ねえ、お二人は一体どこで知り合ったのかしら?」
吹々季が訊ねた。
行動力もあり顔も広い白隆のことだから、どんな拍子で知り合っていても不思議はないが。
そういえば白隆の交遊関係なんて少ししか知らない。
いえ、むしろ把握していたら異常よね、と胸中で呟く。言い聞かせるように。
渡紀香は白隆に向けるのとかわらぬ気さくな笑顔で、吹々季にこたえた。
「知り合ったのは、ついこの前。ほら、あの試験のときさ」
え、と吹々季が目を丸くする。
そうして知里とふたり、白隆の体中に巻きついた包帯を見つめる。
もし彼女の言う「あの試験」が「あの試験」なら、それに関する二人の思い出は、まさにそれだったから。
「で、なんでここに?」
白隆が質問を繰り返す。
彼女はそれに、わずかに緊張した笑みを返して、言った。
「……改めまして。先日の試験で幹部へ昇格し、この度あなたたちと同じ部隊に所属となった、東雲渡紀香といいます。 じゃ、早速作戦の説明に入るけど、いい?」
「……いいな、千田土」
遮光カーテンから部屋へ漏れる日差しは、薄い金色に染まっていた。
「絶対にあの女を、
逃がすな」
「……」
闇に潜む少女を、紫延は睨むように見据えた。
黄昏が夜に飲まれ始めていた。
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