スイミー、あなたは幸せね 「困った」 起き上がる時に身体に異変を感じ、机の中にしまっていた体温計を取り出して待つこと三分。 目盛りを見てみると38度7分。冒頭の言葉を呟く。 セバスチャンさんは忙しい人だから、私が休んで仕事が増えてしまったら更にげっそりしてしまうだろう。ただでさえ一人で結局みんなの仕事をやっているのだから。やつれた表情を想像すると休むわけにはいかない。 鏡で顔を確認すると見た目からは風邪を引いているようには見えないようなのでこれなら額に触られでもしない限りバレないはず。いつも通り着替えて持ち場へ向かう。今日の午前中の仕事は、洗濯と二階の窓拭きなのでまずは洗濯から。 洗濯したものを干し終え、少し疲れたので一休みしているとメイリンが追加の洗濯物を持って現れた。そして私の顔を見ると訝しむ表情へ変わる。 「*、大丈夫ですだか?」 「え?」 「何だか顔色が悪いだよ?」 「あぁ、ちょっと熱はあるみたいなんだけど大丈夫」 「えええ!?熱、あるですだか!セバスチャンさんに言って休んだ方がいいネ!」 慌ててセバスチャンに報告に行こうとするメイリンの腕を引っ張りそれを制する。 「これくらい大丈夫。それにセバスチャンさんは忙しいから迷惑かけちゃうし」 「でも…」 眉尻を下げて心配するメイリンにもう一度大丈夫、と告げれば「本当に辛くなったら休むだよ!絶対ネ!」と残し、何度も振り返りながら渋々持ち場に戻っていった。 洗濯も干し終えて次は窓拭き。しかしお昼が近くなるにつれ、やはり熱が上がっているのだろう、雑巾を洗っている時水が揺れるさまを見るのも辛くなってきた。 それでも窓を拭いて雑巾を洗うという動作を何回か繰り返していると突然その腕を掴まれた。驚きながら掴んだ本人を見ると厳しい表情をしたセバスチャンさんで、その後ろにはメイリンの姿。 「こんなに無理して…」 「大丈夫、ですよ」 何とかそれだけ絞り出すと呆れを含んだ溜息とともに 「どの辺りが大丈夫なのか説明してほしいところですが、どうやら今は休んでもらうのが先ですね」 「ぅ」 ひょいっと抱えられてお姫様抱っこされた事に気がつき思わずもがいて降ろしてもらおうとするも腕はびくともせずそのまま部屋へと連れて行かれる。表情を窺うように見上げるとやはり怒っているようで無表情の中に不機嫌さが滲み出ている。 部屋に入りすぐにベッドに下ろされ、服を脱がされる。 「一人で出来ますから…!」 制止の声も届いていないのか強制的にネグリジェに着替えさせられてしまった。恥ずかしさがなかったわけではないけれど今はセバスチャンがどの位怒っているかが頭を占めていたのでそれ以上は言葉に出さなかった。 暫く部屋に沈黙が落ち、重い空気が流れる。しかし自分から破る気にはなれず話し出すのを待った。セバスチャンさんは俯いたまま私の手を握り締めている。だんだんとその力は強くなっていき、流石に痛いと口を開きかけた時沈黙は破られた。 「何故朝仰ってくれなかったんですか?朝からもう熱は出ていたんでしょう?」 「その、セバスチャンさんの仕事を増やしてしまうかと、思いまして」 ぽつりぽつりと呟くとはぁ、とあからさまに溜息をつかれて小さい身体はさらに縮こまる。 「*、はっきり言いますと朝から寝てくれていた方が仕事は少なかったですよ」 「え」 「そうすればメイリンから聞いて、ふらふらな状態の貴女を探して部屋に戻すという手間はなかったですし」 「…すみません」 しょぼんと俯き、セバスチャンが淹れてくれたホットミルクを見つめる。 「今日はゆっくり休んで、明日その分きっちり、働いてもらいますから、ね?」 目が据わってる…!明日は休憩なんてとっていられそうもないなと頭の奥で考える。 「あの」 「くれぐれも何かしようと思わないように、何か欲しいものがありましたら呼んで下さればすぐに行きますから」 私が言おうとする言葉を遮って飲み込ませて、さっさと部屋を出ていってしまった。 セバスチャンさんが出て行ったあと、ベッドの上ではせいぜい本を読むことくらいしか出来ないので机にあった本を手を伸ばして取ったが、活字を読み始めても熱効果でちっとも話が頭に入らず諦めてベッド横に置いた。 ぼーっと天井を眺めているだけなのに、定期的に酷く喉が渇き出したので水差しの水を飲んでいたら案外早く空になりそれでも少しもしない内に喉は渇きを訴え出した。水なら部屋を出てすぐのところで汲めるのでさっと行って戻ろうと起き上がり、部屋を出たところで後悔する。 「*」 面白いくらいに自分の身体ははね上がり、悪い事をした気持ちに包まれる。 「セ、バスチャンさん…」 「全く…うかうか目も離せませんねぇ」 あまりにも表情が暗いので怖くなり後ずさると口角を上げて更に近寄られる。壁に背中がぶつかりそれに気を取られていると距離は詰まっていて顔の左右に手をつかれて逃げることが出来ずそのままキスを落とされる。長いそれに息は苦しくなり力は抜け、ずるずるとしゃがみ込んでしまうと笑みを濃くしたセバスチャンにまたもお姫様抱っこされてベッドへ逆戻りさせられた。 そして水を欲していたのを知っていたのかコップに入れた水を持ってきた。しかし何を思ったか自分で飲みだし喉が渇いていたのか、それとも私が飲みたいと知っていての嫌みのつもりなのかとぼんやり見つめていたらベッドから軋んだ音がした。 「ん…っ」 水が少しずつ流れ込んでいくのを零れないようにするのが精一杯。何も口移しなどしなくとも自分で水を飲む位出来るというのにわざと羞恥を誘うやり方をするところは本当に悪魔だと改めて思う。 「もっと、いりますか?」 ほら、またこうしてほしい事を知っているのにわざと聞いてくる。 こくんと大人しく頷くと満足げな表情でもう一度口付ける。風邪、引いてるのにとか熱が余計に上がる、とか言いたいことはたくさんあるのに深いキスで思考は塗り潰されていく。 結局一日中、ほぼつきっきりにさせてしまったような気がする。どうやら坊ちゃんが自分の事くらい一人で出来るから今日くらいついていろと命令してくれたらしい。その上坊ちゃんやみんなも部屋にお見舞いに来てくれたみたいだけれど私は見事に熟睡していて気がつかず、朝起きたら花やお菓子や果物などベッドの周りに置いてあり、心配してくれる人がこんなにもいるという事実に心が温まった。 次の日にはすっかり熱も下がって朝のミーティングへ行くと私の仕事はいつもの三倍もの量で、眩しい笑顔でそれを言い放った男を睨みつけると「約束、しましたよね?」と強く言われてしまえば頷く他なく、重い足を引きずりながら持ち場へ向かう。 しかし、書庫の整理を終えて次の掃除場所へ行くと既に誰かが掃除した跡がありすっかり綺麗で、また次も同じように終わっているという状況があり、実質いつもの分だけで済んでしまった。疑問符を一日くっつけたまま歩く*をこっそり三人が汗だくで見つめていたのを知ることはなく。 いつも風邪は辛くて淋しくて一人ぼっちで、心細いものだったけれどみんながいてくれるだけでその記憶も塗り替えられる。多少怖い目にもあったけれどセバスチャンさんも心配してくれたからこそだと思いたい。 スイミー、あなたは幸せね title 惑星 |