-(5)
もっと早くに知っていれば……と、苦い思いが胸に滲む。いや、知っていたとしても、珠華に夢中であった覇久毘は、歯牙にもかけなかっただろうか。
行けと言われた月華の精は、だが、その場から動こうとはしなかった。
迷うように視線を彷徨わせた後、
「……ユエ」
ぽつりと呟いた。
「ユエ?」
覇久毘は繰り返す。
意味が解らず眉を顰めて考えていると、再び月華が唇を開いた。
「私の……名前です。『月』と書いて『ユエ』と読みます。とある国の月の異名だとか」
「……月」
変わった名だと思った。
字もそうだが、読み方も変わっている。
人の名前が一文字というのは有り得なくはないがとても珍しい。何故ならば、通常は二文字以上だからだ。
だが、彼には似合っている。
月の満ちた夜に出逢ったからこそ、尚更そう思うのだろうか。
「……もう、行かなければ」
月華の精――月はそう呟いた。
引き止めたい。
華奢な肩を抱き寄せ、この場から奪い去りたい。
焼け付くような焦燥。
だが、覇久毘はそれを見ない振りをした。
「そうか」
「……はい」
名残惜しそうに見えるのは、覇久毘の気のせいか。
後ろ髪を引かれるようにしながらも、月は踵を返した。
「月」
遠ざかる背中を覇久毘は呼び止める。
「は…い」
振り返った月の瞳がうっすらと濡れており、月の光を吸い込んで煌めいていた。
「また、逢えるか?」
覇久毘の言葉に、月はくしゃりと顔を歪ませる。
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