序章
序章
「そなたの嫁入りが決まった」
采(さい)国国王閏星(じゅんせい)の執務室に呼び出された馨佳(けいか)は、父王の言葉に愕然とした。
「父上、わたくしはっ!」
立派にたくわえた髭をしごきながら、閏星は興奮気味の馨佳に頷く。
「そなたの言いたい事も解る。だが、そなたがこの国に留まれば……」
解るであろう? と問い掛けられて、馨佳は俯いた。
その通りだ。馨佳が留まる事は、そう遠くない未来、采国にいらぬ諍いを運び込む事になる。
馨佳の意志を無視して。
「……行き先は、どこですか?」
愛する祖国を、民達を、そんな事で疲弊させたくはない。
馨佳は噛み締めた唇をほどいた。
「紫藍国だ」
「紫藍国……?」
はっと馨佳は頭を上げた。
「そうだ。そなたは覇久毘王の下へ嫁ぐ事になった」
「覇久毘の……」
幼い頃に何度か目にした姿を思い出す。
大人顔負けの凛とした立ち姿に、馨佳は子供心に憧れを抱いた。いつか、ああなりたい、と。
だが、憧れは憧れ。
馨佳は、似ても似つかない貧弱な姿に成長してしまった己の腕を、悲しげに眺めやる。
「彼の王ならば、きっと、本当のそなたを受け入れてくれるだろう」
受け入れられる筈はない。馨佳には解っていた。
それでも。
「……紫藍国に、参ります」
そう言う以外、馨佳には残されていない。
深々と頭(こうべ)を垂れて家臣の礼を取りながら、馨佳はひらひらと揺れる両の袖を胸の位置で合わせ、そっと歪む顔を隠した。
頭上で結った絹のような長い髪が、さらりと背中から肩へと流れ落ちる。
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