きみのナイフ 「あ、やべ。大福残り1個しかないんだな〜」 ピシャーン! 中田の気の抜けるような口調で放たれた一言。 それが食堂に雷のような効果音を響かせたのだった。 ――中田家から寮生への差し入れ大福、残り1個。 残りの寮生は御幸、倉持、春市。 どうやら数を間違えたらしく、たまたま遅れて来た3人だけがまだ大福を食べていない状況だ。 「あの、よかったら先輩方でどうぞ」 互いの出方を伺う中、真っ先に切り出したのは春市だった。 困ったように微笑みながら、「俺後輩ですし、先輩優先だと思うんです」と大福を御幸と倉持に奨める。 なるほどよくできた後輩である。あの馬鹿と天然の1年に爪の垢煎じて飲ませてやりたいくらいだ、と思いながらも2人はにんまり笑って「ああそう?」と春市から意識を外した。 まさに、一騎打ちの体勢。 別にそこまでこの大福が食べたいわけでもなかった。だが、互いにコイツに譲るのだけは癪だと思っていたのだ。 そこへ、ふと。 「それに……兄貴もきっとそうしろって言うでしょうし」 『――!!』 そこで総統閣下(マインフューラー)の名を上げるだとぉおお!? 投下された爆弾。 2年2人は刹那にして顔色を変え、春市に向き直る。 そう、一瞬忘れかけていたがこの後輩は小湊春市――総統閣下こと小湊亮介の弟君であらせられるのだ。 そんな彼を蔑ろにしたと知れたら、なんて想像すら恐ろしい。 弟くん、可愛い顔してごっつい牽制放つじゃねぇの。 背中を伝う冷たい汗を感じながらも倉持はくつくつと喉で笑った。 あの御幸でさえいつもと同じような表情で笑っていながらも揺れる瞳に動揺を隠せていない。 だが、もちろん御幸一也も倉持洋一もここで引くような男ではなかった。 「――いやぁ、そういうの関係なくね?」 御幸は言った。 瞬時にその意図を悟った倉持が「そうだなぁ。後輩だからとか関係ねーよ」と便乗する。 「そうそう。マイン……亮さんとかも関係ないし?」 「みんな平等だろ、こういうのは」 「もっと自分の意見大事にしなきゃいかんよ、弟くん」 御幸と倉持は、ははは、と爽やかな先輩の顔で笑う。 「そう……ですか?」 「そうだとも」 「あの、でも本当に俺、大丈夫ですから」 ――釣れた! ギラリと御幸と倉持の目が光る。 そう、二人はこの言葉を待っていた。 総統閣下とは関係ないと春市が認めたところで引かせれば、春市は最早ただの敗者でしかない。 「あ、そう?弟くんがそういうならしょうがねーよなぁ」 「ヒャハ、そうだな。どうしてもってゆーならな」 からから笑って今度こそ、と一騎打ちに入ろうとした。 その時。 「あれ?春っち大福食わないの?」 突然割り込んできたのは沢村だった。 もちろん彼は大福完食済み。この件には何ら関わりはないのだが。 「あ、うん。栄純くんは食べたんだね。美味しかった?」 「おう、なんか有名な店のらしいぜ」 「へぇー、そうなんだー」 まずい流れだ、と倉持は思った。 今ので微かに春市は揺れ動いたように見えたのだ。 折角自ら身を引かせるよう仕向けたのに、これでは振り出しに戻ってしまう。何しろ先程先輩後輩関係ないとこちらから提示したばかりなのだ。 ここでまた彼に参戦してもらうのは困る。だが、だからと言って「もう遅いんだよ」と無理矢理締め出したらやはり総統閣下が……! そう、倉持はこの時ひどく焦燥していた。 だから、つい。 「へぇー、そんなにうまいのかよ沢村」 「ばかっ、今その発言は……!」 御幸の忠告は遅かった。 「――やっぱり、美味しいですよね……」 と、一度諦めたはずの小湊の心が大きく傾き始めた。 再参戦に向けて。 そう、どう考えても今そういう傾向の発言をするのは逆効果だったのだ。 「あ、いや違……って、ほら、そんなこともないんじゃね?っていうか」 しまった、と思った倉持が慌てて弁明しようにも遅い。 助けを求めて御幸を見れば。 「なんだよ倉持、もしかしてお前そんなに食いてーとか思ってんの?」 一人しか食えねーのに、と御幸はあっさり翻り、先に倉持を潰しにかかった。 流石は天才。戦況を読むのに長けている。 ここで「そんなことねぇよ!」と倉持が否定した瞬間、「じゃ、俺と弟くんだけで話し合おうぜ」となる。 逆に「そうだよ!」と答えれば春市は快く譲るだろうが、自分勝手のレッテルを貼られたあげく春市を味方につけた御幸に大福が流れる可能性がある。 この戦いは、あくまで相手に自ら譲らせることに意味があるのだ。 倉持、手詰まり。 これでもう口を噤むしかない。 「あの、御幸先輩は?」 「んー俺?どうしようかな?」 春市の質問に考えるふりで時間を稼ぐ。 御幸はわかっていた。そうすればこの礼儀を弁えた後輩が再び自ら身を引くということを。 しかしそれは間違いだった。なぜなら御幸は、もう一人の存在を忘れていたのだ。 沢村という、部外者を。 「なあ春っち、実は先輩たちって大福嫌いなんじゃね?」 『なっ……』 咄嗟のことで2人は出遅れた。 春市ははっと息を飲む。 「え、まさかだから2人して俺に奨めようと……?いらない、なんて言ったら差し入れしてくれた中田先輩に悪いから?」 「そっ……」 理屈が通ってしまう。 しかし、2人にここで否定する隙はなかった。 「あ、あの俺っ、そうとは気付かず……すみませんでした!」 なんて、小柄な後輩が顔を真っ赤にして頭を下げたのだ。 それはなんともまあ、後輩らしく素直で可愛いもので。 今までどろどろとした戦いを繰り広げていた2年2人も誤解を解くのを忘れ、柔らかく苦笑してしまう。 ――そして。 「じゃあ……いただきますね」 「おう」「ヒャハ、味わって食えよ!」 あーあ負けた――と思いながらも気分は悪くない御幸と倉持だった。 本当にいいのかと最後に確認するように大福を2人に見せた後輩は、少し恥ずかしそうに、 ぱくり。 と、大福を一口頬張った。 その一瞬。 ニヤリ、と彼の口許が歪んだ。 「――!」 こいつ――否、このお方、まさか最初から狙って……! きみのナイフ ((小湊春市、恐ろしいコっ……!)) *亮さんは魔王だったり総統閣下だったり忙しい。 ……なんだろこれ。 101203 [*前へ][次へ#] |