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Goodーby honey,【R*L】(Half A Year Plunge Anniversary*DLF)


――それは今から十年ほど前の話になる。


カレンの前のオーナーと契約していた僕は、ある誘拐事件と出くわした。






その時僕が出会ったのは、一人の人間の女の子。
人とは比べものにならないくらい長い時間に存在する僕にとって、それはいつもと変わらぬ何気ない刹那の時の交わり。


そうなるはずだったのに。
ならなければ、いけなかったのに。


名前も知らない彼女と、僕は一つ、思いがけない“約束”をしてしまった――





* * *





オーナーに命じられた僕が誘拐犯のアジトだという廃墟に単身潜入すると、物置のような薄汚れた場所に押し込められた女の子を見つけることができた。
見つけた瞬間。
この淀んだ空間で彼女だけが光を放っているように感じられた。


年の頃は四つ五つといったところだろうか。
身に纏った純白のワンピースにも劣らないきめ細かな白い肌。右側で結わえられた金髪に、つぶらで表情豊かな瞳。
将来美しく成長した姿を容易に想像できる、可愛らしい女の子だ。


「………」


ゆっくりと、彼女の鳶色の瞳が僕を捕えた。僕を見るそれに怯えや不安の色はない。
ただ驚きの表情を浮かべる彼女に声を出すなと指示をして、彼女を捕える縄を解き、業務的に肉体的な負傷の有無を確認する。
しばらくすると、されるがままになっていた彼女の桃色の結び目がふわりと綻んだ。


「――ホストの、ひと?」


声までもが銀鈴が転がるように可憐だ――という感想は、その言葉の意味するところによって思い切り掻き消された。


「ホス……」
「そうよねそうでしょ!だってスーツでネクタイでイケメン!ほんでよんだとおりだもん!」
「いや、オイ静かに……」
「おんなのひとをゆうわくするのね?おかねぼったくるのね?きゃーわるいひと!」
「静かにしてくれ頼むから」


というかどんな本を読んでるんだこの子は。
僕の切実な訴えに声のトーンを落とした彼女は、やはり黙ることはできないらしく、大きな瞳をくりくりさせた。


「ね、あなたあたしをたすけにきたのよね?」
「ああ」
「ひとりで?」
「……ああ」


僕のオーナーは今頃ギルドで優雅にお茶でもしているだろう。
あの人は全てを星霊に任せっきり。戦闘の時は巻き込まれないように安全な場所まで離れ、このような危険な仕事は僕だけにやらせる。
なまじ魔力だけは高い人なので、頻繁に僕を呼び出しては自分の受けた仕事を押し付るのだ。
それを悪いとは言わないが、星霊として少しばかり仕え甲斐がないと思っているのは事実。
そんな僕の事情を知らない女の子は「すごいね!」と嬉しそうに笑った。


「たすけにきてくれて、ありがと!」


主への小さな不信を抱えた僕に、その眩しい笑顔を正面から受け止めることはできなかった。
僕は少しだけ目を伏せ、


「……別に。それが僕の“仕事”だ」


そう告げた瞬間。


「――……そっか」


鳶色の瞳が曇り、形の良い唇が歪む。
おおよそ彼女の年頃に似つかわしくないその表情が苦笑だと気づいた僕は、痛々しいそれからさらに目を逸らすことしかできなかった。


――この頃の僕といえば今の僕からは考えられないほど無愛想で、他人の機微に無頓着。子供、ましてや女の子の扱い方というものもわかっていなかった。
それでもその時ばかりは、しまった、と思ったのだから流石に罪悪感のようなものを感じたのかもしれない。


とは言え何を言ってやれるわけでもなく、僕は無言で彼女を抱き上げた。ただ彼女を助け出すというオーナーから与えられた使命を忠実に果たすために。
何も言われなくても彼女が素直に身体を寄せてくれたのには助かった。子供特有の温かさと軽さを感じながら立ち上がり、出口に向かって歩き出した時だった。


「――しらなかった」


彼女はぽつりと言った。


「ホストって、ひとだすけもおしごとなんだね」
「………」


僕としたことがあやうくコケかけた。
そうかまだ誤解されていたのか。「ほんにはかいてなかったなぁ」と何やらぶつぶつ始める女の子に、僕は顔を引き攣らせた。
どうもペースが乱されている気がする。だが、ここはプライドにかけて断固否定させてもらわなければならない。


「僕はホストじゃない」
「? じゃあなあに?」
「なにって……」


星霊だ、と告げてもこの子には通じないだろう。かといってこのまま黙ってホストだなんて認めるわけにもいかない。
どうしたものかと考えていると、眉間に小さな指が触れ、「みけんのしわー」。ぐにぐに。


「――あのね、ママがいってたの。えがおはみんながしあわせになるためのまほうなんだって」


彼女は言った。
「パパは“おしごと”があるとわらわないけど……」と小さく前置きして、


「あたし、あなたはわらったほうがいいとおもうな」


にっこりと笑う。
上辺だけではなく、心からの笑みだと僕にもわかった。それは、会って数分の見知らぬ男に向けるには相応しくない程――綺麗だ。
思わず見惚れていると、小さな手が眉間から頬に滑った。


「ほら、にーってするだけ!」
「っ……!?」


ぐにゅ、と頬を摘まれた。


「にーっ、にーっ!」
「や、やめ……」
「にーっだってば。ね、せっかくイケメンなんだから!」
「イケメ……?」
「ほら、にーっ」
「だ、だから」
「にゃーっ」
「にゃーって何だっ?」
「いぬ?」
「いや猫だろ」
「だってあなたいぬっぽいし」
「え、どこが」
「どこって……んー、まあいいやにゃーっ」
「ふ、ふぇんふぇんよふらひ」


全然よくない。僕は獅子宮だ。
頬をこねこねされながら内心言い返し、それでも僕は出口を目指す。
こんな小さな女の子にいいようにされている僕なんて、オーナーには見せられやしない。普段の僕しか知らないオーナーはきっと目を丸くしてしまうだろう。
しかし、「もー、がんこねー」と楽しそうに笑う彼女を見れば、まあいいか、と簡単に諦めきれてしまう。


早くこの子を両親の元に返してあげたいと、ふとその時、僕は強く思った。
オーナーの命令としてではなく、僕の意志として。
そうしたらもっと笑ってくれるんじゃないか――そんなことを考え始めた時だった。


「――おい、そこで何をしている!?」


鋭い怒声に腕の中で小柄な身体が竦む。
彼女の様子を見に来た誘拐犯の一人に見付かってしまったのだ。
声を聞いた仲間も集まってくる。その数十名強。


――出口まであと少しというところで。
舌打ちした僕はそっと身を震わせ続ける彼女を下ろして背中に隠す。すると小さな手がジャケットの裾をきゅっと握ってきた。


恐いのか、と思ったが、違う。
彼女の目にあるものは、恐怖ではない。
あぶないよ。だめだよ。むりしないで。
どこまでも純粋に僕の身を案じる優しい想いがその目からは伝わってくる。


「――いいか、君は今から目を瞑って10数えるんだ」
「え……」
「“僕なら”大丈夫だから」


言って、そっと優しいその子の頭に手を置いた。
それでも尚不安げに揺らす瞳に、不器用ながら、口角を上げてみる。


「――僕に、君を護らせて欲しい」


彼女は目を丸くした。
ほうけたように僕を見て、それからはっとして頷き、おずおずと指を解く。
その小さな手に、もう震えはなかった。


彼女がしっかり目を瞑りその場にしゃがみ込むのを確認した僕は、静かに笑みを消した。
再び鋭さを取り戻した僕の視線で男たちは一瞬怯んだ。だが彼女を諦める気はないらしく、すぐに各々の武器を手に向かってくる。


――ふざけるなよ。武器なんて、この子に当たったらどうするんだ。


今考えると。
恐らくこの時の僕は、久しぶりに“キレて”いたのだろうと思う。


自分たちの欲を満たすために彼女を攫って、大好きな両親から引き離して、怒鳴って、あんな華奢な身体を哀れなほどに震えさせて、怯えさせて、武器まで向けて。
そんな男たちを許せるわけがなかった。


遠慮なんかする気はなかった。
オーナーには疲れるから使うなと言われていたけれど、そんなもの知ったことか。
今使えない力なんて何のためにある。
この子を護れない僕に何の意味がある。
あの笑顔を向けてもらう資格がどこにある。


星霊にとって奮い立つ心はそのまま力に結びつく。
彼女が唱え始めた数の旋律を背に、僕の拳は王の光を纏った。











「――……ーちっ……、きゅーう……、じゅうっ!」


言われた通りに数え終えた彼女が固く閉ざしていた瞼を恐る恐る持ち上げる。
すぐに彼女と僕の視線は絡んだ。
どこかぼんやりと僕を見上げ、彼女は口を開いた。


「……も、もう、いいの?」
「ああ」


きっかり10秒。悲鳴を上げることすら許さず、彼女には指一本触れさせず、僕は容赦なく全員を昏倒させていた。
身体で背後に転がった男たちを隠すようにしながら、「帰ろう」と彼女を抱き上げようと手を伸ばした途端。


「うぅ〜……」


鳶色のガラス玉のような瞳から、それはこぼれ落ちた。
ぎょっとする間もなく、彼女は僕に全力で飛びついてきた。思わず尻餅をついた僕の首に必死に腕を回し、抱き着くというよりもただがむしゃらにしがみついてくる。
そのまま、彼女はわんわんと声を上げて泣き出してしまった。


「………」


大粒の涙が僕の肩を濡らしていく。
どうして突然。やはり怖かったのだろうか。怯えさせてしまったのだろうか。
僕はひどく戸惑い、どうしていいかわからず、結局ぎこちなくあやすように背を撫で続けた。
しばらくして泣き声に混じって、何かが聞こえた。「何だ?」と僕にしては優しく問うと、彼女は言った。


「けが、なくて、よかった」


今度ははっきりと耳元で。


ああそうかこの涙は僕のための――


僕は静かに息を飲んだ。
そんなことを言われたのも、こんなに綺麗な涙を見るのも、この長い時の中でも一度たりともなかった。
僕は、喉が詰まるようなこの感情を表す術を知らない。
ただ優しく髪を撫でてやりながら「うん」とだけ、頷いた。


「………」


やがてすんすんと鼻を鳴らした彼女は、ゆっくりと身を離した。
ああ目が赤くなってしまったな、と自然に僕の指は彼女の頬に伸びていく。
そっと指で涙を拭ってやると、ちょっとくすぐったそうに、ふわりと微笑んでくれた。


「――あたし、わかったわ」


彼女は言った。


「あなた、ほんとうはホストじゃなくておうじさまだったのね」
「………………は?」


おうじ、さま?
ホストとはまた違うファンシーな衝撃に僕は固まる。
僕の呆気にとられたような表情も目に入らないらしい彼女は、「そうでしょそうよね」と最初の時よりさらに小鼻を膨らませた得意顔で続けた。


「だってほんでよんだもん!おうじさまはとらわれのおひめさまをたすけるんだって!」
「自分で姫とか……」


まあ微笑ましいけれど。
というかまともな本も読んでるんだな、安心したよ。
いろいろ思ったりもしたがもう僕の反応なんて彼女にはどうでもいいようだ。
目を輝かせ、それでねそれでね、と興奮で顔を赤く染める。


「それで、つぎはあたしがおうじさまをたすけるばんなの!」
「は?君が?」
「そう!まもられてばかりじゃつまらないもん!」
「……助けるって何から?」
「んー……わかんない!」


でもたすけるの!、と彼女は力強く誓う。


助ける?
星霊の僕を?
主の代わりに闘うことが使命の僕を助ける?


――どういうことだ、それは。


不意に腹の底あたりがムズムズしてくる。込み上げるそれに耐え切れず、とうとう僕はぷっと噴き出してしまった。
一度火がつけばもう止まらない。僕は肩を震わせてくつくつと笑う。
僕が笑っている理由なんてわからないだろうに、彼女も声をあげて笑い出した。


「やっぱりおうじさまはわらったほうがかわいいね!」
「かっ……」


それはちょっと複雑だ。
というか僕は王子様なんて痛いものなんかじゃない。ただのしがない一星霊だ。
苦笑しながら、生真面目にも僕が訂正しようと口を開いた途端。


「じゃあきょうからふたりはしあわせにくらさなきゃ!」


告げられたそれに。


「……そ、れは、できない」


僕は再び笑みを消した。


「えー、なんで?おうじさまにはおひめさまとけっこんするぎむがあるんだよ?」
「……僕には、契約がある」
「けーやく?やくそくのこと?」
「そうだ」


そんなこと言ったところで通じるわけがないとはわかっていた。
それに彼女の発言なんてきっと子供のお遊びで、本気かどうかも疑わしい。
だというのに、無理だ、と僕は大人げなく否定した。


すると。


「……そっか。じゃあ、しょうがないね」


彼女は、笑った。
うっすらと、少し寂しそうに。
でも現実をしっかり受け入れて。
文句一つ、言うことはなく。


「“やくそく”はすごくだいじなものだってママがいってたもの。それなら、しょうがないわ」
「………」


それは、何かを諦める人間の表情。
ああ、またこんな大人びた顔をさせてしまった、と僕は思った。
頭が良いこの子は、僕が困ると理解しているから子供のような真似はしない。
子供らしく我が儘を言えばいいのに。泣きわめいて責めてくれたほうがマシだったのに。


「………」


罪悪感はあっても僕は何も言わなかった。
口を噤んで、いつものようにじっと感情を殺す。


忘れるな。僕は星霊だ。
主の命に忠実でなくてはならない。自由なんかない。
期待させるようなことなんか、できない。


……いや、違う。
本当は僕が期待したくなかったんだ。


この邂逅は、僕にとってほんの一瞬のもの。
この先に待つ長い時間の中で、僕と彼女が再び出会う可能性は極めて低い。


僕が星霊である限り。
不自由な存在でも、“契約”を誇りに思っている限り。


「じゃあさ、かわりにあたしとも“やくそく”して」
「……“約束”?」
「いまの“やくそく”がおわったら、あなたはまたあたしをむかえにきてくれるって」
「………」
「……それも、だめ?」


彼女の鳶色の瞳が揺れる。


そんな“約束”、したところで意味はない。
守れるわけがない。
僕は星霊。星霊魔導士にしか仕えられない。
彼らを通してでしか、この世界での存在を許されない。
そんなこと、当たり前なのに。


「……ああ」


僕は頷いていた。


「ほんとうっ?」


彼女の瞳が再び輝きを取り戻した。


「じゃあじゃああたし、つぎまでにいっしょにたたかえるおひめさまになってる!」


一緒に、という言葉に、現在のオーナーを思う。
あの人もいつか僕と一緒に戦ってくれるようになるだろうか。
あるいはこの先契約するかもしれない次のオーナーならそうしてくれるだろうか。


一緒に。
この子が言うように。


「で、おうじさまはえがおのれんしゅう!つぎはえがおであたしをのーさつすること!」
「……それ、意味わかって使ってる?」
「とーぜん」
「いや嘘だろ……」


と、言いかけた僕の首に。
いきなり彼女は抱きつくように腕を回した。
「じゃあ」と呟いて。


「“やくそく”っ」


それは完全に不意打ち。
頬に柔らかいものが触れ、ちゅ、なんて可愛いリップ音と温もりを残して離れる。
呆然とする僕からぱっと腕を解いた小さな女の子は、えへへ、と笑った。
少し照れたような、悪戯の成功を誇るような。
それはもう、今までの中でも最高で飛び切りで、彼女によく似合う。


「――……」


――この子が、僕のオーナーだったらどんなによかっただろう。
そうしたらずっと一緒にいたって、誰も僕を咎めないのに。


主と交わした“契約”に反する考えが胸に溢れそうになり、守れもしない“約束”をした罪ごと噛み締めて飲み下す。
誇りを忘れた最低な星霊は、こんな時どんな顔をすればいいのだろう。どんな顔で彼女と向き合えばいいのだろう。


惑って、それでも彼女から決して目を逸らすようなことはしなかった。
きっとこれっきりもう二度と見られないだろう彼女の笑顔。
瞼に焼き付けるように、目を細めた僕は、


「……うん、“約束”」


へにょり、と情けなく微笑んだ。










――――Goodーby honey,
















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