Natural2【N*L】
謎の津波から丸1日が経った昼下がり。
いつもは陽気な酒場に緊迫した空気が流れていた。
「……今、街から報告が届いたわ」
「どうだって!?」
ミラジェーンに真っ先に詰め寄ったのは、津波の話を聞いて競うようにギルドに戻ったグレイとエルザ、それとハッピーだった。
他にもルーシィを心配する何人もが集まって固唾を飲んでミラジェーンの報告を待っていた。
「――闇ギルドもどきの連中は全員近くの街の警備兵に無事捕縛。でも……手配書の男とルーシィはまだ見つかってないらしいわ」
「そんな……」
ミラジェーンから告げられた事実に皆は蒼白になる。伝えたほうのミラジェーン自身も真っ青だった。
事態が芳しくないということは明白である。
もしルーシィが連中と抗戦してアクエリアスを使ったというのなら、いつものごとく津波に押し流されて敵と一緒になって見つかっていいはずだ。
それが、手配書の男――逃げ足だけは速いと聞く――だけならともかく、ルーシィも見つからないという。
第一もうあの津波から丸一日以上経っているのだ。黄道十二門を使ったルーシィにそれほど魔力が残っているとも思えない。
もしも、だが。
もしもそんなところを誰かに襲われたとしたら――
「っ、やっぱり俺現地に」
「やめろグレイ。お前が行って何になる」
エルザが今にも飛び出しそうになったグレイを止める。
「でもエルザぁ……」と情けない声を出すハッピーにも「もう少し待つんだ」と冷静に指示。
「じゃあどうすりゃ……!」とグレイは近くのテーブルに八つ当たりをする。
同じくらい苛立っているはずのエルザは、いつもなら咎めるその光景を痛ましげに見ながら。
「――ナツ、お前も……ナツ?」
騒然とする酒場においてナツは唯一人無言。
ただ、ギリ、と拳をつくっていた。
エルザの声もグレイとのやり取りも、途中から聞こえていなかった。
場所はもうわかった。
だが、今すぐ駆け出して、現地に向かいたいのは我慢しなくてはならない。ナツだから、我慢しなくてはならないのだ。
帰ってくるって言った。“約束”した。
ならば、ナツは待たなくては。
ルーシィが帰るまで、いつまでも、絶対に、待たなくては。
「――……ちょっと外歩ってくる」
「ナ……!」
声をかけようとしたミラをエルザが止めた。
ハッピーでさえ、珍しくナツを追うことはなかった。
本当に、ただ歩くつもりだった。
そのつもりだったはずの足はいつの間にか速度を増し、筋肉の限界値まで到達していた。
心臓は激しく脈打ち、痛い理由も苦しい理由もわからなくなる。
込み上げる吐き気も、走ったせいにできる。
止まりそうだった呼吸も、身体が欲して勝手に肺が機能してくれる。
「………っ」
ひゅ、と喘ぐように喉が鳴る。
“約束”した。帰るって。
何も言わずに消えたりしない。ナツの隣に戻るって。
笑ってくれた。
信じるって決めた。
なのに嫌な予感がまた沸き出しそうになって。
「ああくそっ」
思わず毒突く。
俺を呼べよ。頼れよ。
何処にだって駆け付けるから。
護ってやるから。
浮かんできたのはルーシィにまた叱られそうな馬鹿な考え。
そんなものは吹き飛ばそうと。
無我夢中で走りながら、今1番信じるものを。
ナツの頭の中を占めているそれを。
「――ルーシィイイイイイイ!」
心の底から叫んだ。
「――……はい?呼んだ?」
その返答は、意外なところからあった。
「………………は?」
返答をした“何か”の横を通り過ぎた。
慌てて止まろうとして、足が縺れた。
「おわっ」と勢いよく転がって転がって三回転して。
「ぐえっ」と木の幹にたたき付けられて止まる。
しかし、痛みなんて感じる暇なんてなかった。
直ぐさま跳ねるように身を起こしたそこに。
「あ、やっぱりナツだ」
こんなとこで何してんの?、なんて、どこか暢気なトーンで不思議そうに小首を傾ぐ金髪の少女。
「な、なん」
「何よ。幽霊見たような顔して……ってゆーか、うっわアンタ泣いてんの?」
あらまあ馬鹿面だわ、なんていきなりの毒舌をくらわせてくる。
しかし耳に入る言葉はナツに意味を成さない。
ただ、ルーシィの声が。
ルーシィの匂いが。
ルーシィの存在が。
消えかけていた世界に色を付け始めた。
「ナツ……?」
「……泣いてねぇよ」
情けない面を隠したいくせに、ルーシィから視線を外せないまま立ち上がって、視界を遮る無駄な水分を乱雑に拭い去る。
涙とは断じて認めない。これは汗だ。まごうことなき男の汗だ。
「お前、なんでこんなとこいるんだよ」
「こんなとこって……それ、アンタにも言えるわよ」
確かにここはマグノリアから離れた東の森。滅多なこともない限り人が来るような場所でもない。
まったく目標もなく走っていたナツにそんなこと訊かれても逆に困る。
だからナツは「それはともかく」とその場をごまかした。
「今お前行方不明ってことになってんぞ」
「え、やっぱり?」
「やっぱりって……皆心配してんだぞ」
「……ごめん。ちょっといろいろあって……。でも現地戻るよりまずギルドに顔出したかったの」
「なんで?」
「近くまで来ちゃったし……なんかその……」
「? なんだよ」
「な……ナツに会いたくなっ、ちゃっ……た?」
えへへ、とか照れた顔で笑う。
ルーシィもナツと同じ気持ちだったことを知ってしまったら、もうだめだ。
抱きしめたくてたまらなくなる。
だが、ぐっと耐えた。
まだ抱きしめる資格なんてない。何も伝えてないナツには、まだ。
「あ、あのね、ナツ、私帰って来たんだよ?」
珍しく何もリアクションを取らないナツに、ルーシィは少し困ったように笑った。
まあまだ色々やることあるんだけど、と加えて。
「……おかえりって、言ってくれないの?」
「………」
それは、言うって“約束”だった。
「言ってよ、ナツ」と柔らかく促されるまま、
「……おか、えり」
ナツは呟いた。
どこかたどたどしいそれにも、うん、とルーシィは満足げに頷いて。
それから満面に、花のような笑みを浮かべ、
「――ただいま」
「っ……」
それだけで、もう駄目だった。
ナツはルーシィに飛び付くみたいにして抱きしめた。
たった一週間離れてただけの、笑顔。体温。甘い匂い。ルーシィの全部。
その全てが胸を締め付けて、たまらずに力がこもる。
「いだだだだ折れる折れる折れる」
ルーシィの悲鳴なんてもうこの際無視だ。「んんー」といつものようにすりすりと頭を首に擦りつければ、「ひわわわ!ままままずは加減しなさいって、ナツ、こら!」とか相変わらず色気もへったくれもない声を上げてくれる。
このどうしようもなく色気とは無縁の声がたまらない。ルーシィだって、感じがする。
「ってゆーかっ!」
「うおっ……?」
強引にひきはがされた。
途端に正気に戻る。
またやってしまった、と硬直するナツに。
「あのねぇ、いっつも私思ってたんだけど」
深々と眉間に皺を寄せるルーシィ。
迫力に圧されたナツは後退さる。
が、次の瞬間。
「たまには、こうしたいのよ、私は」
ナツの胸にルーシィが飛び込んだ。甘えるように胸に頬を擦り寄せて、ナツの背中に腕が回った。ルーシィの身体がすっぽり腕の中に収まる。
ぞくぞくっ、と自分からするのとはまた違う高揚感が這い上がる。
そういえば抱き着くのはいつもナツからで。
しかもルーシィに甘えてばかりだった――なんて考えて、初めて甘えられるという快感に、目眩までしてきた。
心臓の音は、馬鹿みたいなことになっているだろう。でも、ルーシィの音も同じだ。ドクンドクンと存在を主張している。
ほら、生きている音がする。
「ルーシィ、俺気付いたんだ」
「……何」
角の取れた柔らかいトーンが腕の中から返ってくる。
ナツはゆっくりその髪を撫でて心を落ち着けた。
本当はずっと言いたかったこと。ずっと伝えたかったこと。
ルーシィに1番に聞いてもらわなくてはならなかったこと。
それを、ナツは自然に口にしていた。
「俺、リサーナのこと好きだった」
「……………は?」
ピシィッ、という音がした気がした。
が、ナツは気にせず続ける。
「だから……っていってぇ!」
「ななな何で今他の女への告白を聞かされなきゃならないのかしらね〜?」
「いててて爪っ、爪立てんじゃねぇよ!?」
「立てるわよっ!この馬鹿馬鹿馬鹿っ!」
きりきりとナツの肩甲骨にルーシィの爪が食い込む。
あまりの痛さにナツは思わずルーシィの肩を掴んで引きはがして、
「さ、最後まで聞けって」
「いいわよもう!」
「よくな……」
「代わりじゃないっ!」
「なっ……」
「私は“彼女”の代わりじゃないもん!」
「だからちがっ……」
そこであらためてルーシィの顔を見て。
ぎょっとした。
顔は興奮で紅潮し、眦には今にも溢れ出しそうな涙が溜まっていたのだ。
泣きそうな顔、ではない。もう、これぞ半泣きってやつだ。
「な、なんで泣くっ?」
「泣いてないわよ!まだ!」
「まだって……この後泣くのか?」
「それはアンタの出方次第よ、この馬鹿っ!」
「お、脅しか……?」
今にも大決壊しそうな目でもってナツを刺すように睨むルーシィ。
そうして、漸くナツはまたルーシィを傷つけた自分の失言に気がついたのだ。
しかしそれは誤解だった。
そうじゃないのだ。今のはそういう意味じゃないのだ。
こういう状況下で頭を使うのは苦手で、どう説明すれば理解してもらえるのかはわからない。だが、とりあえず1番に言わなくてはならないことはわかってはいた。
「あのさ」ナツは言った。「“アイツ”は“アイツ”、“ルーシィ”は“ルーシィ”だって……俺、もうちゃんとわかってるから」
と、まず大事なそれだけ伝えた。
ちゃんと伝えたはずなのに。
「わ……わかった上で私を抱きしめたんだぁあああ!?」
「はぁああ!?」
見事に大決壊、である。
ルーシィはぼろぼろと大粒の涙を零した。
「な、なんでさらに泣く!?」
「アンタが馬鹿なせいでしょ!?」
「俺か!?」
「そうよ!この女タラシ!」
「たら……?」
やはりルーシィの涙には弱いナツは動揺しまくることしかできない。
だって、どうしてもわからないのだ。
今のフォローのどこに地雷があったのかなんて、ナツには。
「う、ふえぇ……」
ついにはその場にへたり込み、子供みたいに声をあげて泣きはじめてしまった。
これが本当にあの時の少女なのだろうかとナツは疑ってしまう。出掛けに見せた強かさは今や微塵もないのだ。
弱々しくて、頼りなくて――
「うわぁあん!ばかぁあ!」
でもやっぱり泣き声だけは勇ましいのだ。
「ルーシィ、なあ、やっぱり俺わかんねぇよ。今の何が駄目なんだよ」
「な、何が駄目か……わわわわかんないのっ?」
「悪い。まったくわからん」
「っ……」
謝りながらナツも同じようにしゃがみ込んで、顔を覆うルーシィの両手を無理矢理外させた。目を見て話をしたかった。
だが、当然一筋縄ではいかない。ルーシィが暴れたのだ。
「やめっ……触るな馬鹿ぁ!どっ、同情なんかいらないのよ私は!」
「同情っ?違うぞそれは」
「アンタなんか嫌い!大っ嫌い!」
「きっ……」
とんでもないナイフが胸に突き立てられたりもしたが、ここで怯んで引き下がるわけにはいかない。
両手首を強引に押さえ付けて、地面に膝を付き、踏ん張った形で向かい合う。
「ルーシィ、だから話を」
「やだやだやーだー!」
「駄々っ子か!?」
「もう決めたの!私っ」
「――っ!」
チームやめる、とまた言い出すのかと思って。
ナツは咄嗟にルーシィの唇を塞いだ。両手が塞がっていたから、自分の唇で。
その唇は塩辛かったはずなのに、ナツの胸には程よく甘い心地が広がった。
ほんの一瞬。
ルーシィの目が見開かれ、それから、とろん、となったのがわかる。
だがその次の瞬間。
くわっと目を剥いた。
「……にすんのよっ!」
バチン、とナツは横っ面を張られた。手首を緩めた時点でそれは予期していたので、甘んじて受け入れる。
ただ、目の前で触れた唇をごしごしと腕で拭われて、さらには「ぺーっぺっ」と唾まで吐かれる徹底したバイ菌扱いという衝撃までは予想していなかったが。
「……めんなよ」
いろんな意味でズタズタに傷つきながらもナツは呟いた。
「俺のこと嫌いでいいから、チームはやめんなよ」
地面にあぐらをかき、“あの言葉”を聞かなかくて済んだことにだけは安堵しながら。
またあれを言われたら、今度こそナツは立ち直れないところだった。正直、マジで泣く。大嫌いでバイ菌扱いのほうがまだマシだ。
漸く気が済んだらしいルーシィは「何の話よ」と怪訝な顔を上げる。
「だからさっき言いかけてた……」
「チームはやめないわよ」
「は?じゃあ……」
「でも私ナツのこと大っっっ嫌い」
「だ……」
グサグサッ、と言葉が刺さっていよいよ心が折れそうになる。
そんなことはまったく気にすることなく、ルーシィは「だから」と続けた。
「だから私――ナツの“相棒”になることにしたわ」
「え……」
「どう?こうすれば“彼女”の代わりになんかならないでしょう?」
呆気に取られるナツに、得意げに、堂々と言い放つ。
「私、ナツとこの先をずっと一緒に並んで歩くし、ずっと傍にいる。いろんなことを一緒に闘う」
誓うように胸に手を当て、朗々と。
その目には、もう涙はない。
強い意志の光だけがそこにはあった。
「ナツが嫌だって言っても無駄よ。嫌いな奴のいうことなんか絶対きかないんだから」
今まで大泣きしていたのが嘘のように凛々しく、ナツが見惚れるくらいに綺麗な笑顔でそんなことを言う。
それはもう、泣き腫らした目なんてまったく気にならないくらいに、綺麗で。
ナツは思わずため息をついた。
「……お前さー、闘ううんぬんは俺に言わせるって言わなかったか?」
「え?……はっ、しまっ……」
「――闘ってくれ」
被せるように、ナツは言った。
今更言うのもナツには何だか照れ臭くて、でも、言うと決めた。
本当はずっと前から決まっていた、当たり前の言葉を。
「闘って――ずっと傍にいて、一緒に並んで歩いてくれよ、ルーシィ」
まるでプロポーズでもするかのように言いながら、一瞬だけルーシィに“仲間”の抱擁をした。
互いの存在を確認するような。励ますような。支え合うような。
互いを思い合う、優しいだけの、それ。
すぐに身を離して、「な?」と押せば、ルーシィは少し複雑な色を見せて。
結局、「ん」と頷いてくれた。
でもそれだけでは言わなくてはならないこととしてナツにはまだ不十分。
だから、漸く話を聞いてくれる空気になったルーシィに、ナツはニッと笑った。
「俺、ルーシィのことが好きだ」
「…………………へ?」
「ルーシィが嫌いでも、俺は好きだ。“仲間”とは違う意味で」
「…………………は?」
“仲間”じゃなくて“特別”だから傍に置いておきたくて。“アイツ”みたいになって欲しくなくて。
重ねてた部分がなかったとは言えない。
でも、この一週間――いや、その前からずっと、今まで頭を占めていたたのは“アイツ”じゃない。
全部、隅から隅まで、ルーシィだ。
本当は、“アイツ”を思い出し始めるより前からずっと。
「好きだ、ルーシィ」
「い……いやだから、私もう“彼女”の代わりには」
「違うって。俺は“ルーシィ”が、好きだ」
「うぅ?だってさっきは……」
「ん。だから、リサーナは“好きだった”って言ったじゃねぇか」
「え、何そ……え?えええ?」
混乱するルーシィ。
ナツだって最初は混乱した。
ルーシィへの気持ちに気付いて初めて、自分がリサーナに抱いていた気持ちにも気付いたのだから。
「ややややっぱり私、意味わかんな」
「なんでだよ。ただルーシィが好きなんだって言ってんじゃねぇか」
「……う〜?」
やっぱわかんないー、とまた泣きそうに呟くと、ルーシィはナツのマフラーを掴んで引き寄せる。胸に額を押し付けて肩を震わせるルーシィの背中を、困り果てたナツはそっと撫でてやった。
また泣かれるのだけは翻意じゃなかった。
困らせるつもりもなかった。
「……俺、“ルーシィ”だから、好きだ」
もう一度、ゆっくり告げる。
伝わってほしかった。
受け入れてもらえなくてもいいから、この気持ちだけは否定してほしくなかった。
届いてほしかった。
「ルーシィのことは最初からルーシィとして好きだ」
「……うそー」
「嘘じゃねぇよ」
「な、ならなんでそっち先に言わなかったの?」
「“アイツ”への気持ちもルーシィにだから聞いて欲しかった」
「はぁ?」
ルーシィにはちゃんとわかってほしかったのだ。
リサーナを好きだったことを認めたことを。ずっと前に忘れようとした、リサーナへの気持ちと向き合ったことを。
傷つけて、泣かせて、最低なことばかりしたナツを、それでもずっと信じてくれたルーシィに、嘘だけはつきたくなかったから。
この先を、ルーシィとずっと生きていきたかったから。
でも、そんなことどう説明すればいい。
伝え損ねたら、また泣かせるかもしれない。
また喧嘩になるかもしれない。
だからナツは、
「なあ」
困ったように、でも力強く笑った。
「――俺を、信じろよ」
信じろ、と言われた途端。
ルーシィは頷いた。
たぶんまだ戸惑いながら、でも魔法にでもかかったかのように。
それから、
「な、ナツ、あのねっ」
ルーシィが何やら覚悟を決めたような面持ちでナツのマフラーをぎゅっと握り締める。
「わ、私さっきは……」
「いいって」
ナツは笑った。
「ルーシィは、俺のこと嫌いでいいんだ」
「……はい?」
「俺のこと嫌いでいいから、ずっと傍に居ろよ。な、“相棒”!」
バシッと力いっぱい――もちろんそれなりに加減はしながら――肩を叩く。
「そっ……そう、ね……はは」
「?」
ルーシィのトーンが少し沈んだ気がした。離しはしなかったが、マフラーを握る手からも力が抜けたのがわかる。
何を凹む必要があるのだろうか、とナツが首を傾ぐと「うぅ、この馬鹿がもっと早く言ってくれればぁああ……」とか目を虚ろにしてぶつぶつ呟くルーシィ。
気に入らないことでもあるのだろうか。
いやまさか。完璧じゃないか。
「……ねぇ、さっきの2回目だったわ」
やっと意識が戻って来たルーシィが言った。
何のことかわからずに首を傾いだナツに、「で、この間のが初めてだったんだけど」を加える。
「この間?」
「だから……き、ききキス……」
「…………あ、俺もだ」
言った瞬間、ルーシィがずずいっと詰め寄った。
「本当に?“彼女”ともしなかった?」
「してねぇよ。ってゆーかあれがキスとか今気付いたし」
「遅っ。私なんてあの後ドキドキして……」
「……ふうん。したのか?」
「そ、そうね。し……」
遮るように、軽く唇が触れた。
一瞬だけの接触の後。
上目で硬直するルーシィを探るように見ながら、ちょいっと小首を傾ぐ。
「――する?」
「し、した……」
途端に真っ赤になって俯くルーシィ。
あ、可愛い――とかナツは思ったりして。
てか、可愛いなんて感情、まさかあのルーシィに持つようになるなんて誰が想像しただろう。
そんな気持ちが顔に出たりしてたら、こっちが恥ずかしい。
だから、
「ルーシィ、こっち」
「え?……ん」
ごまかすように、もう一度。
ちゅ、ちゅ、と吸うように、優しく優しく、しっかり味わうキスを繰り返す。
あまりの甘さに脳までとろけそうになりながら、「あ……もう一つ言い忘れてた」と一旦キスをやめたナツは言った。
「こ、今度は何よ」
今までのナツの数々のとんでも発言のせいか、とろんとしていた顔を引き締めて身構えるルーシィに。
「俺さ」とナツは、コツリ、と額を合わせた。
そして、今まで述べてきた“言わなくてはならないこと”ではなく、“言ってやりたかったこと”を声に乗せた。
「俺、1週間ずっとルーシィを信じてた」
「っ……」
「つか、これからは信じる――ルーシィだけは、何があってもずっと」
言い切って、ニッと猫目で笑う。
それを聞いて。
しばらくあんぐりと口を開けていたルーシィは、
「すっ……」
「す?」
「好きって言われるより嬉しいかも……!」
「え、何だそれ」
嫌いとか言われてもくじけずに告白したばかりの男心としては微妙だった。
でも。
「――私もよ」
ルーシィは笑ってくれた。それはもう、心から嬉しそうに。
ナツの大好きな笑顔で。
「私も信じるよ。ナツだけは何があっても」
「ふうん。好きっていうのも?」
「しっ、信じてあげたわよ」
「ん。そっか」
よかった。
伝わったなら、それでいい。
満足げに笑ったナツに、ルーシィは。
「ってゆーか、あ、あのね、わわ私もアンタのこと……」
「おう、わかってるって!」
「え」
「よろしくな、“相棒”!」
「……あ…………うん。よろしくー………」
「?」
何故また凹む?
とか思いながらも、再びルーシィが顔を上げたらさっきの続きをしようと大人しく待っていたナツは、ふと考えた。
あれ?でも“相棒”って、キスしていいんだっけ……?
しかし、マフラーを引かれてその思考は遮られた。
「な、ナツ、こっち」
「ん?」
ナツが顔を向ければ、今度はルーシィから唇を繋げてきた。
必死で何か伝えようとする、それがまた可愛くて。
それだけで“相棒”とか、もうどうでもいい気がする。
“仲間”で“特別”で“相棒”で。
でも最終的には他の何でもない。
“ルーシィ”だから。
本能のまま、深く、長く。
何も考えずに口付けを交わした。
>>【natural】
1[通例限定]自然の,天然の,自然界の
2[限定]自然のままの,人の手を加えない;自然の法則に従った
3<事が>無理のない;(理論的・人道的に)当然の,もっともな
4<態度などが>ふだんのままの,気取らない,飾り気のない
(ジーニアス英和辞典第3版より一部抜粋)
「――帰るか」
「ん」
ルーシィが頷いて、どちらからともなく手を繋いで立ち上がる。
ルーシィの右手はナツの左手にすっぽりと包まれた。あるべき場所に戻った、といった感じだ。
辺りはいつの間にか夕闇に包まれ始めていて、この深い森を歩くには少し頼りない。
ただし、もし隣にルーシィがいなかったら、だが。
「この傷、火傷か?」
「あ、うん」
今更ながらルーシィの腕に残る真新しい水ぶくれの跡に気付いた。他にも治療を施された傷が身体中に残っている。
「でもナツだったら『マズイ』って言うようなダメ炎よ」
「――そっか」
その言い方がおかしくて、ナツは目を細めた。
するとルーシィはぱちくりと瞬いた。
「……なんかナツ、変わった?」
「ん、何処が?」
「だって顔付き……や、やっぱなんでもない」
また顔か、とナツは空いてる手で自分のそれを撫でてみた。やはり何も変わった気がしない。
マカオといいルーシィといい、一体何が言いたいのだろう。
「あ、キスとかのこととか、誰にも言っちゃダメだからね」
「はぁ?んなの言われなくてもわかってるって」
「……本当に?」
「当然。俺だって、恥ずかしい」
「な、ナツ、アンタ恥ずかしいとか感じるようになったのね……」
「馬鹿にしてんのか」
「大人になったってことよ」
「はぁ?」
「よし、今日はお赤飯にしましょっ!私炊いてあげるわ!」
「それ、ミラにも言われたぞ」
変わらぬ言い合いをしながら、おかしいな、とナツは思っていた。
ルーシィにさえ会えば、胸が苦しくなったりしないとばかり思ってばかりいたのに。
こうしている今もやっぱりルーシィのことしか考えられなくて、胸は締め付けられるみたいに苦しい。
なのにまた目を奪われそうで、なかなかルーシィのほうが見れない。
綺麗だ、とか、可愛い、とか。
自分にとってありえない感情ばかり浮かんできて。
なんというかもう、たまらないのだ。
「……キスしていいか?」
「ダメ」
「いつならいい?」
「人が見てない時」
「今見てねぇよ」
「今はダメ。さ、さっきいっぱいしたしっ」
ルーシィは思わずナツの手を強く握り締めながら言った。
「こ、これ以上は心臓壊れちゃうもんっ……」
「……………かっ………」
思わずナツの足が止まる。
「?」と振り向いたルーシィに、
「可愛いなお前っ……」
「は、はあ?何よそむっ?」
ちゅ、と触れるだけのキスをした。不意打ちで満足して、「ん、これで我慢する」と言えば、「そ、そう……」とどこか物足りなさそうなルーシィ。
ナツの「もう一回?」には「調子に乗らないの」と言いながらも顔を上げて、ナツのしやすい角度に合わせてくれようとする。
苦笑して、でも喜んで再び唇を重ねようとして。
「ナァァツゥウウウ!」
空からの声に、中断。
「お、ハッピーだ」
「あ、そういえば居なかったわね」
「そういえばってお前……」
ひでぇなぁ、と置いて来た自分のことは棚に置き、顔をしかめれば。
「だ、だって」とルーシィは頬を染めた。
「だ、だってそれどころじゃなかったじゃんっ」
「………」
その、あまりにもアレな表情でナツの心を掻き乱してくれるルーシィに、ナツは大きく一つ頷いた。
「………とりあえずキス」
「駄目に決まってんでしょ」
ズビシッ、と額にチョップされる。
仕方なく今は諦めて空を舞う青い猫に手を振る。
「オーイ、ハッピー!ここだぞー!」
手を振りながら、見られるのはまずいだろうとルーシィの手を離そうとした。
しかしその手は逆に握り返される。いいのか、とルーシィに視線をやれば無視された。
仕方なく――否、快くナツも繋ぎ直した。
一方、空では。
「るっるるるるる……」
「お、来るぞ」
「来るわね」
「ルーシィイイイイイイイイイ!」
「うわっ?」
ズドンとルーシィの胸に特攻。
たたらを踏んだルーシィを一度手を離したナツが後ろからしっかり支える。それがなければ、おそらくルーシィが尻餅を着かなくてはならないほどの衝撃だった。
「ルーシィだルーシィだルーシィだ!」
「げほっ……あー、はいはい」
「はちみつ塗ったらルーシィが帰ってきたー!」
「な、何の話?」
困惑したようにナツを見るルーシィ。
どう説明すればいいかわからないナツは、あははとごまかすように笑うしかなかった。
ルーシィは苦笑して、「ああもう、ほら」とハッピーを抱き直し、
「ただいま、ハッピー」
「あい!おか、ルーシィ!」
そのままハッピーはルーシィの顎に頭をぐりぐり擦り付ける。
あ、この癖……とナツがギクリとすると、それに気付いたらしいルーシィはニタニタ嫌らしく笑ってきた。
そうなのだ。ハッピーのするこれは、ナツがルーシィによくやってしまう甘え方によく似ていた。
「………」
恥ずかしくなったナツはごまかすようにルーシィの右手を取った。
ルーシィは左腕でハッピーを抱えながら右手をナツと固く繋ぐ。
ルーシィがハッピーをぎゅっと抱きしめてさえいれば(それはそれで羨ましいが)、ハッピーは二人の手には気付かない。
「そういえば手配書の男逃げたんだってな」
ナツは何気なく切り出した。
言いにくいことだったが、ルーシィ個人の初仕事は成功した、とは言えないのだ。
「どうする?これからエルザたちと捜してみるか?」
「ルーシィ、オイラも手伝うよ!」
ハッピーもルーシィを傷つけないように、わざと明るく言う。
しかし、
「うん、ありがとう。……でも、たぶんそれなら大丈夫」
『あい?』
ナツとハッピーの声が揃う。
ルーシィは、ニッと力強く、不敵に笑った。
「ま、ここは私を信じなさいって!」
同時に、ルーシィの腰に下げられた金色の鍵が一瞬誇らしげに光って見えた。
「……信じるに決まってんだろ」
なんとなく鍵相手に悔しくなったナツは、手を握る手に力をこめる。
それから、“相棒”に負けないくらい自信たっぷりに、笑った。
「――“ルーシィ”だからな!」
「だから痛い痛い痛い!」
「おぉ、わりっ!」
「? あい?」
* * *
あれ?恋人にはならなかったね?まさかの相棒エンドだねってことで第1部終了です。お付き合いありがとうございました!
あくまで第1部。第2部があるのか言われたらまだ考えてないー。これで終わりでもいいじゃんって気もする。
いや、まさかの展開に自分のほうが戸惑ってるんだ。途中から方向性変わって、恋愛より成長とかの方向に力入れすぎた結果、恋人には結局なれなかったとか。キスはするし好き同士なのに恋人じゃないとか何この萌えガールフレンドか。あれはヤンジャンの名作だった。
ちゃんと恋人になってほしいね、肉体的な意味でも繋がってほしいね、とは思うけど……。
とりあえずナツルー連載は完結です。長々しい話にここまでお付き合い下さり、本当にありがとうございました!
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