褪ロラ
7
微かに覚えている。生きたいかと問うたあの声は、ロヴィのものだったのだろう。感覚の遠退いていく世界で、僕を繋ぎ止めてくれた声。紛れもなく彼は僕の命の恩人で、あの時繋ぎ止められたからこそ、今も僕はこうして膝の痛みや紅茶の味を感じることが出来ている。
「でも、どうやって? それに、……僕にも靄が見えるのはどうして?」
そう、黒死病は原因も分からなければ、治療法も一切判明していないとされていた。発症した患者が、一命を取り留めたなどという例も聞いたことがない。けれど僕は確かに病気を発症した身で、それでもまだこうして生きている。目の前にいる、彼に救われて。
「靄を見るための条件はな、一度黒死病で死にかけること。で、俺は、人の体に溜まった靄をこうやって取り出すことが出来る」
言いながら、ロヴィは左の手のひらを天井に向けた。瞬きの後そこに姿を現したのは、見覚えのある黒いシルエットだった。
「そのナイフ……」
「不思議だろー? 取り出すとな、みんな武器の形になんの。シャロンー」
人懐っこい笑みを浮かべて、ロヴィは向かいに座る男を呼んだ。
いつの間にかシャロンさんの手にもそれはあった。黒々と塗り潰された長い銃身は、マスケットに近い。なるほど、さっきの銃声はこの銃のものだったに違いない。
――今その銃口はしっかりと天井を向いていて、僕に向かって放たれる心配はないようだ。
「こうやって靄っつう病原体を体の外に出してやれば、そいつは助かる。お前のことも、こうやって助けた」
「……ただし、これを持っていると”影”に狙われる」
「え……」
黙ってロヴィの説明を聞いていたシャロンさんが、徐に口を開いた。「これ」というのはもちろん、右手に持っている彼自身の武器のことだろう。
「大丈夫、大丈夫。これなら”影”に対抗できるんだぜ。普通の方法じゃあいつらには傷一つ付けられないんだけどさ、ほら、これであいつの頭吹っ飛ばしたのお前も見たろ?」
「……それは、うん。でも、僕もあんなものと戦わきゃいけないの?」
「戦わねえなら、殺されるだけだぞ」
「そんな、だって、持ってるだけで襲われるなんて……」
「命を救われて、ハイ終わり、なんて都合のいい話はねえよ」
「…………」
それは、きっとその通りだろう。僕は一度死んだはずの命を、こうして今もつなげることが出来ている。失くしたはずの生の代償が、軽いはずはない。命が命でしか贖えないものだとするなら、僕はこの生に対していかなるものを犠牲にしたとところで足りるものではない。
そんな僕の心境を知ってか知らずか、ロヴィは少しだけ苦く笑った。
「ごめんな」
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