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褪ロラ
8


 僕の前に立ちはだかったのは、多分、人だった。しかし頭から足元まで全身を真っ黒な布に包んだその異様は、一瞬”影”と見紛うほどに闇に溶け込んでいる。深く被ったフードに隠れて、顔はほとんどわからない。ただ、口元は真っ直ぐに引き結ばれて、友好的な印象は受けなかった。

 「誰……、あっ違う、あ、ありがとう、ござ……」

 僕のお礼の言葉を最後まで聞くことなく、フードの彼(あるいは彼女か)は、首を僅かに回してこちらに駆け寄ってくるロヴィ達の姿を認めた。
 そしてそのまま、踵を返して一目散に走り出したのだった。

 「えっ、えっ……? 待っ……」

 ただでさえ人一倍動きの鈍い僕が、下半身を負傷した状態でその脱兎のごとき逃走に追い付けるはずもなかった。早々に諦めた僕は、ただそこに座り込んで走り去る黒い背中をじっと見ていた。突然現れて、瞬く間に”影”を捻じ伏せて去って行った謎の人影に、僕はただ茫然としていたのだった。

 「無事か……?! ケガは? してねえか?」
 「だ、大丈夫……」
 「……今のやつ、何だ?」
 「わからない……。何も言わずに行っちゃった……」

 駆け付けてくれたロヴィに腕を引かれて立ち上がって、僕は服に付いた汚れを払い落とした。
 足元にはフードの人影の大剣によって両断された”影”の残骸が転がっている。
 黒い靄を漂わせながら、無機質な結晶へと変質を遂げていくそれは、今日も一際美しく幻想的な色彩で僕の目に飛び込んできた。
 エルドさんが最後の”影”にとどめを刺すと同時に、戦場は夜の静寂を取り戻した。嘘のように静まり返った空間の中で、あちこちで硬質な結晶へと姿を変える”影”の、凝結するような音だけが細かく僕たちの鼓膜を揺らした。
 漂う黒い靄から僕を背に庇うように進み出たロヴィは、無残な姿で横たわる”影”を見下ろして言った。

 「……先にこっちを片付けねえと、か……。ちょっと、離れてろな」

 その言葉に素直に従って、僕はロヴィの黒い背中を見つめながらも後退った。露出している首筋が、手首が、病的なほどに生白い。
 握っていた彼の武器であるナイフはどこかに消え失せ、彼はその何も持たない左手を差し伸べるように伸ばした。その動きに呼応するかのように手のひらに集まっていく黒い靄は、ロヴィの体を優しく包み込むように覆い隠していった。それに意思などあるはずがないのに、ロヴィの周りに渦巻く闇は、慈しむかの如く彼の髪を、肌を、全身を、柔らかく撫でた。
 そんな現実離れした光景はしかし、ほんの瞬き一つの間に掻き消える。そこに佇むのは黒ずくめの青年ただ一人で、その足元には虹色に煌めくばかりの水晶が散乱していた。


 「……ロヴィ、大丈夫?」
 「ん? 何が?」

 なぜそんなことを彼に尋ねたのか、僕自身よくわからなかった。
 振り向いたロヴィはやはり、何でもない顔で笑って見せる。
 けれど僕には、その背が何かに耐えるように微かに震えたように見えたのだ。

 僕は僕の感覚を信用することをやめた。でも、この目で見たことだけは、確かなものだと言える。目に映る彼の姿をありのままに捉えたものが、間違いであるはずがないのだから。

 「……何かあったら」
 「……へ?」
 「つらいこととか、悲しいことがあったら、いつでも言って」

 燃え尽きるように塵と消えた水晶の美しい煌めきは、僕の目を鮮やかに焼いて、いつまでもその残像を瞼の裏に焼き付けていた。




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あきゅろす。
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