褪ロラ
8
「……なあ、お前、ちょっといいか」
「? はい」
僕を呼び止めて、エルドさんは廊下の壁に凭れかかった。
アキくんに散々寝ろと言って聞かせていたものだから、僕も慌ててすぐに寝室に下がろうと思っていたところだった。
「あいつ、いつもああなのか?」
「ああっていうのは?」
「いや……、お前、あれがまともな状態に見えるのか」
「……ごめんなさい。僕、そういうことには疎くて」
エルドさんの表情に覗いたのは、僅かな、けれど確かな困惑。悲しいかな、こういう反応を返されることにはもう慣れてしまった。僕に問題があることはわかっているけれど、わかっているだけで、直し方を知らなかった。
「あの男に養子がいるとは、聞いたことがある。……気がする」
「……シャロンさんのこと?」
「そんな名前だったか。昨夜、……消えたやつ」
「……アキくんは」
僕はエルドさんに彼から聞いたことを話した。十年前、孤児だったアキくんをシャロンさんが引き取ったこと。それからずっと、二人で暮らしてきたこと。
少し迷ったけれど、この人なら信用できそうだと思ったから。ちょっとアキくんに対する風当たりが異常に強い気はするけれど、ロヴィにも優しかった。口はあまり良くないけれど、彼なりに僕たちに親身になってくれているのだと思う。
「……そうか」
「うん」
それきりエルドさんは黙って、テーブルに置き去りにされた飲みかけの紅茶を片付け始めた。
僕は何をどう手伝っていいのかわからなかったので、黙って彼の手の動きを見詰めていた。
「……せめて、あの場にいなかったらよかったのにな」
「?」
「あいつ、なんであそこにいたんだ? ……まさかいつも連れてってたのか」
「ううん、昨夜が初めてだった。シャロンさんはダメだって言ったけど、ロヴィと一生懸命説得して……」
驚いたように目を見開いて、エルドさんは聞き返した。
「ロヴィ? あいつがなんで……」
「アキくんに頼まれたから。ロヴィの言うことなら、シャロンさんも耳を貸してくれるかもしれないって」
「相変わらずあいつは……、やってることが滅茶苦茶だな。矛盾だらけだ」
僕の言葉に、エルドさんは肩から力を抜いて深い溜め息を吐いた。大きな背中を丸めて、叱られた子供のように小さくなっている。
「……本当に、気が滅入る」
その言葉の意味を僕が問い返すよりも先に、エルドさんは振り返って僕に笑いかけた。
「引き止めて悪かったな。お前ももう寝ろよ。こんなことになっちまったけど、明日も夜は戦いだ」
「……大丈夫かな」
「ロヴィもかなりへばってるしな。せめてあいつが本調子に戻るまでは、俺もここにいるよ」
それはとても頼もしい申し出だった。けれど――。
「エルドさんは」
「エルドでいいって」
「……エルドさんは、他の人たちと一緒にいたんじゃないんですか」
「……まあ、な。どこもあまりいい状況とは言えないが、ここほどじゃない。俺がここを離れたら、お前ら全滅しかねないだろ」
否定は出来なかった。だって、誰よりも僕が一番戦力にならないことはわかっていたから。
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