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褪ロラ
2

 「なに、あれ……」
 「何だろうな? 喋んねえし名乗りもしねえから、俺たちは勝手に”影”って呼んでる」
 「かげ……?」
 「そのまんまだけど、わかりやすいだろ?」

 そう言って、ロヴィは無邪気に笑う。
 得体の知れない物体を前にして尚落ち着き払っているその態度に戸惑いながら、僕は一歩後退る。辺りを見回せば、どうやらここは町はずれの閑静な住宅地といった風情で、そんな何の変哲もない風景に、異形の影が一つ。もしそれが真に影ならば、地面の、壁の、何らかの表面に依存していなければおかしい。中空に自立して存在できる影などあるはずがない。この違和感は、そう。――たとえば、この景色を切り取った写真に、黒のインクで落書きをしたような。
 街灯はぽつりぽつりとまばらに夜を照らし、頼りないその灯りが却って闇の濃さを深めているような気がしてならない。見える限りの家々は軒並み真っ暗で、何もかもが寝静まったような静寂がそこにあった。

 「いい子だから、じっとしてろよ」

 茶化すように僕の頭をくしゃりと後ろ手に撫でて、ロヴィは”影”の前に一歩進み出る。いつの間にかその左手には、ナイフのようなものが握られていた。断言し兼ねるのは、その柄が、刀身が、塗り潰したように真っ黒だったからだ。”影”と同じ、闇の色。それが何であるかは、シルエットでしか判別できない。
 また一歩、ロヴィは足を進める。ゆっくり、ゆっくりと。踏み出す度に、黒いブーツが重たい音を立てた。意外にも”影”は微動だにせず、じっと彼を見詰めているようだった。
 遂に”影”の目前にまで迫って、ロヴィは立ち止まる。薄闇の中に、黒い人影が二つ相対する。鈍く緩慢な動きで、徐に”影”は腕を持ち上げた。

 「―――、――」

 色素の薄い唇が、微かに音を紡いだような気がした。

 一閃。漆黒の刃が影法師の首を刎ね飛ばした。ごとりとも、べちゃりともつかない、耳慣れない音がした。地面に転がったそれはやはり影にしか見えないけれど、確かに重みのある物体なのだと主張しているような、重々しい音だった。中途半端に持ち上げられた腕は行き場を失ったまま、体ごと傾ぐ。支えを失った棒のように呆気なく、淡々と。そこにはない頭で、目で、夜空を仰ごうとしているようだった。
 ――また、嫌な音がした。
 血は出なかった。当然だろう。人の形をしてはいるが、明らかに人ではない。代わりに、刎ね飛ばされた箇所から何か黒い靄のようなものが立ち上り、夜の空気に広がり始める。
 ぱき、ぱきり。凍りついていく水のように硬質な音を立てて、靄を吐き出し続ける切断面は、黒から藍に色を変える。緑に煌めいたかと思えば、瞬く間に薄らと赤みを帯び、黄に褪せながら徐々に色を失っていく。変色の波紋が”影”の黒い体を侵食する。後に残されるのは、水晶を思わせるガラス質の透明。複雑に光を反射するその結晶は見る角度によって虹色に輝き、その眩い色彩は暗闇に一層美しく映えた。

 「……きれいだ」
 「その靄、あんまり吸い込むなよ」
 「!」

 知らず見惚れていた僕は、その窘めるような声に、我に返った。

 「ほら、今のうちに逃げるぞ」
 「倒したんじゃ、ないの……?」
 「ないな。けど、しばらくは動かねえだろうよ」




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