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褪ロラ
8

 いつの間にかロヴィが、”影”からアキくんを庇うように覆い被さっている。その背には赤い飛沫が無数に降りかかっていて、しっとりと濡れたパーカーの黒が更に色を濃くしていた。

 「ロヴィ? 何、どうしたの? ……ねえ、放してよ」
 「……っ、だめ、だ……!」

 視界を奪われたアキくんが、ロヴィの腕の中でもがくように身じろぎする。ロヴィはそれを頑なに抑え込む。また息が上がっているように見える。苦しそうな呼吸とともに絞り出す声には、懇願に近い響きがあった。
 濃厚な鉄さびの匂いが、呼吸するたび肺に充満していく。口の中に、鼻の中に、血液を流し込まれたかのように錯覚する。あまりの濃さに吐き気すら覚えて、僕は一歩後ずさりした。
 ただならない気配を感じ取っているのか、アキくんは懸命に拘束に抗った。ロヴィの腕を徐々に振りほどいていく。先ほどの戦闘での消耗が響いているのか、ロヴィ自身の力も弱くなっているようだった。すっぽりとアキくんの頭に被さっていた背中が傾いて、とうとうその肩越しに金の瞳が覗いた。
 彼の目にはやはり、目前の”影”の姿は映らないのだろう。けれど、その下の血溜まりはどう見ても人一人の致死量のそれである。今この場にいる人と、いたはずの人とを照らし合わせれば、聡明な彼ならすぐに何が起きたのか分かっただろう。

 「……シャロン?」

 その声に呼応するように”影”はぴたりと動きを止め、アキくんを見た。

 「……っ、アキ、……、やめ、……っ!」

 ずるずると力なく崩れ落ちながら、ロヴィは縋りつくようにアキくんを見上げた。忙しない息遣いの合間に、何かを必死に止めようとしていた。アキくんの瞳は、血だまりを映したまま微動だにしない。唇が微かに震えて、声にならない言葉が零れる。――それは絶望だったろうか。それとも、彼の大切な家族の名前か。

 そして、世界は黒く翳り始める。
 座り込む二人の周りに、滲んだインクのような黒い靄が立ち込めていた。それは少しずつ膨れ上がり、僕を、蛇型の”影”を、血だまりを呑み込んでいく。

 「アキくん! ロヴィ……!?」

 瞬く間に辺り一面を覆い隠して、黒い靄は僕の視界すら奪っていく。黒くて、暗くて、遂には何も見えなくなった。
 この状況が、とても良くないということくらいは僕にもわかる。ロヴィは確かに僕の病気を治してくれたはずだけれど、そういえば再発の可能性についてはまだ確認していなかった。シャロンさんの言葉が脳裏に蘇る。彼は黒い靄のことを毒に喩えていた。とすれば、一度解毒したところで、また同じだけの毒素を摂取してしまえば再び発症してしまうのではないか。
 僕にできるのは、この靄をできるだけ吸い込まないようにすることだけだった。アキくんもロヴィも、あの蛇も、もうどこにいるのかわからない。方向の感覚はとうに失せたし、呼び掛ける声にも返事はない。口元を袖で覆って、無力にしゃがみ込んでいるしかなかった。
 そうしているうちにも、僕の体に再び毒が蓄積していくのだ。少しずつ、けれど着実に。



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