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褪ロラ
7


「ここからが、本題なんだがね」

 僕は重くなった頭をわずかに上向けて、ミコトさんを見た。

「君も聞いただろう、本来単体で無秩序に動くはずの『影』を纏め上げている存在がいるようだ、と」

 ミコトさんは、手袋に包まれた手のひらを上品な仕草でカルロくんに向けた。

「何を隠そう、彼がその『司令塔』だ」

 ――ああ。どこかで、そんな気はしていたんだ。

「きみ、が……」

 カルロくんの瞳がちょっとだけ動いて、存在に今気が付いたと言わんばかりに、僕を見て僅かに細められる。

「あれは司令塔であると同時に核だ。たとえば、末端などどれだけ削いでも再生するが、心臓部を破壊すれば無事では済まない。黒い靄でもそれは同じこと」

心臓部。ロヴィの弟のカルロくんが、黒い靄の。

「彼を消滅させれば――そう。きっと黒い靄を、その存在ごと抹消することができる。つまり、人の願いによって黒い靄が発生する、というロヴィの生み出した世界の法則ごとなかったことにできるんだ」
「法則ごとって、そんなことしたら……」
「当然、また世界は歪むだろうな」
「そんな……それじゃあなにも、またそんな大袈裟なことしなくたって……。――あ」

 違う。僕は馬鹿だ。大袈裟なんかじゃない。そこまでしなければ意味がないのだ。今存在している靄を全て消したところで、次の瞬間にはまた新しい靄が生まれてしまうのだから。
 なぜなら、それは人の願いによって生まれるものだからだ。人の願いを根絶することなど不可能であるから、 必然的に黒い靄の根絶もまた不可能だ。
 だからもう一度、世界の理ごと書き換えるのだ。
 全部、なかったことにして──。

「でも、そんなことをまた繰り返したら、世界は……」
「いつかは歪みに耐えられなくなって、破綻する日が来るかもしれないな。……けれど、いずれにせよそれはまだまだ先のことだ。少なくとも今生きている君たちが死ぬまでの間くらいは、もつだろうさ」

 非情な言葉に、僕は絶句した。今さえ良ければいいとでも言うのだろうか。確かに現状をこのまま放っておけば、そもそも僕たちの世界には未来すらないのだけれど。

「……そんな……じゃあ、先延ばしなのは、変わらないじゃないですか」
「そうだよ?」

 平然と、にこりと笑った。
 嫌になる程に綺麗な微笑だった。

「だが、目先の滅びといつかの崩壊。君はどちらを選ぶ? そして、君以外の人々は?」
「……そんなこと、僕に言ってどうするんですか」

 時間稼ぎの延命措置。皮肉にもそれは、今までロヴィが必死にやってきたことと同じだ。

「君の口で、皆に伝えてほしいんだ。私の言葉だと言えば、反駁する者もいないだろう」
「…………」
「彼一人を殺すだけで、黒い靄の駆逐はできる。その可能性を示してやればいい。その示唆はきっと、明けない夜を彷徨い続ける人類の、まさしく光明となるだろう」
「でも、それは……カルロくんを、殺すって……」

 傍らのカルロくんは、相変わらず何を考えているのかわからない顔をして突っ立っている。
 自身の生死に関わる話題だというのに、いつしかどこか他人事のような退屈そうな雰囲気が滲んでいた。少なくとも、僕たちの話を聞きたくてじっとしているわけじゃなさそうだ。
 ならこの人は今、何のためにここにいるのだろう。

「ああ、勿論。彼はもう黒い靄と同じ存在だからね。厳密に言うなら、存在の延長が接続されているんだが……まあ細かいことはいいだろう。だから、常人には彼に危害すら加えられない。当然『影』でもないから、武器を以てしても殺せはしない」
「じゃ、あ…………」

 喉が、からからに渇いていた。

「そう。ロヴィなら──彼にだけはそれが可能だ。やることは、黒い靄の浄化と変わらない。……もしもこの事実が知れ渡れば、必然的に人類は彼に弟の殺害を『願う』だろうな」
「……!」

 カルロくんを殺す。
 ロヴィが今まで生きてきて、苦しい思いも悲しい思いも乗り越えてきたのは、全てカルロくんを生かしたかったからだ。カルロくんを生かし続けるには、生きて人の願いを叶え続ける必要があったから。
 それなのに。
 人の願いが、カルロくんの死だとしたら、ロヴィはどうすればいい?
 カルロくんを殺すことは、ロヴィのこれまでの人生全てを否定するにも等しい行為だ。
 けれど、人の願いに抗ってカルロくんの殺害を拒否すれば、それは契約の不履行に当たってしまう。カルロくんという存在の消滅は免れない。
 ――どうして、こんなことに。

「……ふふ、そもそも疑問に思わないか。なぜロヴィの願いによって生かされているこの子が、黒い靄の『核』なんてものになっているのか」
「あ…………」

 言われて、僕は漸く気付く。
 そうだ。ロヴィの願いが本当に叶っているのなら、カルロくんは生身の人間として普通の生活を送っているはずだ。
 こんな、わけのわからないものなんかに、なるはずがないのに。

「どう、して……?」
「それは……」

 問うた僕の視界の端が、いつしか黒に侵食されていた。
 否定もせず、激昂もせずにただ静かに僕たちの会話を聞いていたカルロくんが、徐に口を開いた。

「……もう、いい……?」

 相変わらず、最低限の労力で。

「…………」

 誰からも、返事はない。
 彼の足元でぐったりと目を閉じるロヴィにも、意識は戻っていない。黒い狼に体を預けて、こんこんと眠っている。

「──十分、経ったから」
「え……?」

 膝を折り曲げて屈むと、カルロくんは額と額を合わせるように覗き込んだ。垂れた前髪が、ロヴィのそれと交じり合う。僕のことも、ミコトさんのことも、全く目に入ってないみたいだ。

「…………寝てるなら、いいか」

 一度目を伏せるように閉じて、

「──失せろ」

 掠れがちな低い声で言った。




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あきゅろす。
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