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褪ロラ
1


 目が覚めてしばらくの間、僕は白い天井を見上げながら自失していた。

「……………」

 あれは一体、何だったのだろう。
 意識を失う直前、目の前を過ったいくつもの光景が、瞬きをするたびに零れ落ちていく。
 慌てて繋ぎ止めようと、必死になって思い出そうとする。
 あれは――。

「起きた?」
「――えっ、あっ、アキくん……?」

 すぐ近くから聞こえた声にハッとして、僕は思案に漂わせていた意識をかき集める。
 隣のベッドではアキくんが包帯やガーゼに覆われ、何種類ものチューブに繋がれて横になっていた。手厚い処置とは不釣り合いな平然とした表情にうっかり忘れそうになるが、彼はつい先日、生死の境を彷徨ったばかりだ。こうして横になっている姿を見るだけでも痛々しい。
 ――白い大きなベッドに沈む、小柄な体――。
 既視感に、くらりと意識が揺らいだ。この感覚だ。これを逃してはいけない。

「まったく……なんで君まで倒れてるんだか」
「えっと……こ、これには、ちょっとした事情が」

 弁解しようとして、すぐに口を噤む。
 どう説明すべきか、わからなかった。
 静かに続きを待つアキくんの瞳を見詰めながら、懸命に言葉を探した。
 僕はただ、足元に転がってきたロヴィのナイフを拾おうとしたのだ。けれど、それに指先が触れた瞬間ふっと意識が遠退いた。失った意識の先には、夢のように朧げな光景がいくつも浮かんでいた。
 幼い少年。真っ白な、病室のような場所で横たわる小さな体。
 黒い髪と、銀の瞳。
 それは、まるで――。

「ヒロ」

 呼ぶ声に、ぎくりとした。

「――ロ、ヴィ」
「ちょっと来い」

 その姿を視界に認めて、僕はもう一度ぎくりとする。
 ――違う。
 なんで。何が。
 具体的にどうとは言えないけれど、いつものロヴィとは何かが違っていた。
 僕はなぜだか、それがとても――。
 大股で近付いてきたロヴィに手首を掴まれると、ベッドから引きずり降ろすように引っ張られた。
 力加減がおかしいのはいつものことだけれど、今日はその動作までもがいつもより乱暴で、無造作だった。

「っロヴィ、ま、待って……」
「いいから来い」

 慌てて靴を足に引っ掛けて、しかしまともに履く暇すら与えられない。
 引き摺られながらどうにか振り返ってみれば、呆気に取られたアキくんが目を丸くしているのが一瞬だけ見えた。


「……き、急に、どうしたの」
「どうもこうもねーよ」
「え?」
「ったく、あの後、誰がここまで運んでやったと思ってんだ?」

 含みのある言い方をして、ロヴィが片眉を吊り上げる。

「えっ……あっ、ロヴィなの……? ごめんなさい、ありがとう」

 言われてみればそうだ。昨夜、あの場所で意識を失って、気付いたらアキくんの部屋で寝ていた。ということは、僕が意識を失っている間にここまで運んでくれた誰かがいるのだ。
 それが、ロヴィだったのなら――、

「なんつって。正解はエドワード」
「!?」

 思いもよらない人の名前が飛び出してきて、思わずぎょっとした。飲み込んだ唾が変なところに入って、何度か咳き込む。
 確かにあの場には彼もいたけれど、まさかそんな、倒れた僕のことなど視界にも入れずに見捨てて去って行きそうな、あの人が。
 僕を見下ろす鋭い碧眼を思い出すだけでも背筋が伸びて、額には冷や汗が浮かんだ。

「ま、それは置いといて……んなことより、おまえどうしたんだよ。いきなり倒れたりして」
 
 そんなこと、とあっさり片付けるには、僕の心臓に悪い話である。
 ――どうしよう、後でお礼を言いに訪ねるべきだろうか。
 逸れかけた思考を無理矢理に戻して、答える。

「……ううん。僕にも、よくわからないんだ。ロヴィのナイフに触ったら、急に意識が薄れていって」
「ふーん……」

 そのナイフは今、ロヴィの手のひらの上でくるりくるりと回されている。
 刃にも似た鈍い銀の瞳が、すっと細められた。

「じゃあさ、もう一回これに触ったら、おまえ、また倒れんの?」
「それ、は……」

 ――嫌だ。
 もう、触れたくない。
 このロヴィと、一緒に居たくない。ここにいたくない。
 なぜか、そんな衝動が沸き起こる。

「……それとも、何か『見た』か?」

 ぞっとした。
 本当は、何もかも知っていて、全て見透かされているんじゃないだろうか?
 温度を感じさせない無機質な銀からは、感情の一切が読み取れない。
 生唾を、飲み込む。

「――見た、って……どういう……」

 あれを、あの光景を、ロヴィに話すべきではない。
そう、直感が告げていた。
 頼りない僕の直感も、今だけは信じられる気がした。
少なくとも今、目の前のこの人にだけは、知られてはいけない。
 
「……そっか、わかった」

 目を逸らし黙り込む僕に、ロヴィは諦めたように首を振った。
 あっさり追及が止んで拍子抜けした僕は、思わずまじまじとロヴィの顔を真正面から見詰めていた。

「…………」
「んだよ、取って食やしねえよ!」

 少しだけ苦く笑いながら、僕の頭をくしゃくしゃに撫でる。

「……そんだけ。じゃ、先、戻ってるな」

 踵を返して、軽やかな足取りでアキくんの病室に戻っていく背中を、呆然と見送った。


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