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 俺の大事な人は、いつの間にかいなくなってた。

 ってゆうには語弊があるけど。一昨年の夏に、置き手紙だけ残して、キスもハグもセックスもなしに、いなくなった。俺を、あいつなしで生きていけないまでに依存させて、そして、置いてった。

 最初の頃は意味が理解できずに、いたずらだと思って明日帰って来ると信じてた。次第に嘘じゃないと気づいてヤケになって、夜の街で一夜限りの相手を探した。最近はそんなことしたって帰ってこないと気づいて、だけどあいつのことだけが好きで、いつか帰ってくる日を待ってる。
 夏のはずなのに夜を一人でいるには寒すぎて、抱きしめてくれる腕を欲してる。

 夜な夜な眠れずにいる時間がもったいなかったから、バイトして金貯めて、ちょっと高価な望遠鏡を買った。それは単なる気まぐれじゃなく、あいつが見てるかもしれない星を見れば、あいつとの繋がりを感じられるかもという、なんだか女々しい思想の結果だ。

 毎晩とはいかないが、気が向くとデカい望遠鏡を担いで、街の坂道の頂上にある公園に行く。そこに望遠鏡をセットして、ただぼんやりと星を眺め、すべての思考を追いやった。
 その時間が今の自分にいちばん必要な、あいつから逃れられる瞬間だった。

 テレビでは最近、七夕の話題が登るようになっている。織り姫と彦星が天の川を渡り、年に1度だけの再会を果たす日。短冊に願いを書いて笹に吊せば、願い事も叶うらしい。

 バイト先にも笹が用意され、店長に無理やり短冊を渡された俺は、黒いマジックで「会いたい」と書いた。店長はそれを見て、お前もいろいろあるんだなとか言って、笹のてっぺんにその短冊を吊した。いちばん星に近い場所だから、この笹のどの願いよりも叶いやすいだろうと笑ってくれた店長に、叶いやすいなら、と言って別の短冊を書いて変えてもらった。

「忘れたい」

 店長は苦笑いをしていたが、この短冊の方が、現実的で叶いやすい気がした。

 いよいよ七夕の日になると、商店街は七夕の歌が流れ、いたるところに笹の葉が揺れる。天気は例年のようにあいにくの雨とはいかず、なぜか快晴だった。
バイトを終えて帰宅して、いろいろやっていたら時間はだいぶ遅くなっていた。
 せっかく今日は晴れた七夕の夜なら、七夕らしいことをしようと考え、そろそろかと望遠鏡を持ち出して、いつもの公園へと出かけた。公園はいつものようにひっそりしていて、俺もいつものように静かに星を眺めていた。ベガもアルタイルも、なんだか特別な輝きを放っているようだった。

 そんな時、ポケットに入れていた携帯が震えて、俺を現実に引き戻した。震えはメールの受信を知らせるもので、バイト先の後輩で、一夜といわず幾夜を過ごした男からだった。

『短冊、見ましたよ。そんなに忘れたいなら、あんな奴、俺が忘れさせてあげます。待ってますから、俺の家まで来てください』

 深くため息を吐いて、携帯をしまった。俺はあいつを忘れる気なんて露ほどもない。好意にはずっと前から気づいていたけれど、受け取る気なんてなかった。
優しい後輩に甘えて、眠れる夜を手にしたかっただけなんて、俺はつくづく最悪だ。沈む気分に吐き気と涙がこみあげてくる。何故俺はこんなに苦しいのだろうか。そんなの、理由はわかっていたけれど。

 好きで、好きで、好きすぎて、仕方ない。

 あの日の手紙に首輪をつけられて、鎖でこの街に繋がれた俺は、愛しい人への愛に自ら溺れて、息が止まりそうだ。

悔しい、憎い、愛しい

 俺を置いていったあいつに、俺が抱く矛盾した感情が、ぐるぐる体内で消化不良を起こす。

「……っ」

 堪え切れない涙が頬を伝うと、もう止まらずに流れ続けた。

「うっ……ふう、っ…」

 声だけは押し殺して、手の甲で涙を拭う。何度拭っても、涙は止まらない。

「くっそ……嫌、だ……っもう、や、だ……」

 苦しすぎて、息が止まりそうだ。あいつのつけた首輪が、喉に食い込む。

「っ……助け、て…浩輔、こうす、け…」

 本当に喉を締め付けているのは、言葉の首輪なんかじゃなく、俺の指なのに。締め付ける力を押さえられない。
 ひたすら愛しい名前を呼びながら、自分で自分の首を絞めた。

もう死んでしまいたい
──助けて、浩輔

 矛盾したセリフが頭をよぎって、意識を手放そうとしたとき、強い力が俺の手を喉から引き剥がした。

「げほっがっはっ」

 一気に喉に入る空気に、吐き気を感じるまま、吐いた。むせ続ける俺の体を、高い体温が包み込んで、背を撫でる。

「はあ…はあ…」

 息が切れて、くらくらする。立っているだけでも必死なオレを支えている、背後の人間は、コツンと頭を預けてきたらしい。暖かな熱が背を通じて脳に届く。だけど届いたのは熱だけじゃなくて、小さな嗚咽と、小さなしずくも。

「離せ……っ」

 その暖かさも嗚咽もしずくも、何もかもが邪魔に思えた。死にたかった。会えないなら、忘れられないなら、忘れてしまいたかったのに。
 息を整えて言うと、腹に回った腕に力が込められた。めちゃくちゃに暴れても、力は強まる一方で、ついに俺は叫んでしまった。

「離せ、離せよ!」
「嫌だ!」

 ──耳元で、かすれた声がした。

「嫌だ、やめてくれ。お前は、俺を残して死ぬのか?」

 その声を、知っていた。




あきゅろす。
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