01.初めて彼と出会った日
真夏日、炎天下、ヒートアイランド
ありえないくらい暑い日だった。ワイシャツは半袖のもので、クールビズによるノーネクタイなのに、暑い。
いくら拭っても吹き出す汗に、イライラはピークであった。
もう無理だ、動けない。
そう思って見渡すと、ひっそりこじんまり、そんな雰囲気の喫茶店が目に入った。
アイスコーヒーを飲まなければ死んでしまう病に感染してしまったのだと、上司にはそう言えばいい。意味不明ないいわけを浮かべ、小走りに道路をわたった。
古い木の扉を軽く押すと、冷やされた空気と優しいベルの音がした。
「いらっしゃいませ、暑いのにお疲れ様です」
ベルに反応してこちらを見た唯一の店員にふんわりとほほえまれた。茶髪にたれ目、ひょろりとした背。
「どうぞ」
カウンターを示され、後ろ手に扉を閉めて席につく。
「何になさいますか?」
「アイスコーヒー」
「かしこまりました。豆は僕のおすすめでいいですか?」
「任せるよ」
「はい」
メニューも見ずに言った俺に、またふんわり笑う。カチャカチャ小さな音を立てて準備しながら、ちらりと俺を伺ってくる。
コトリと先に置かれたのは、たっぷり氷の入ったレモン水だった。
「もう少しお時間かかりますから、お先にどうぞ」
「助かるよ」
正直カラカラで限界だった喉に、キンと冷えた水は救世主のような存在である。ゴクゴクと思わず喉を鳴らして飲みきってしまうと、目の前の青年がまた小さく笑った。
「すみません。すごく、喉がかわいてらしたんだと、少しおかしくて」
軽い音がまた鳴りはじめ、彼はゆるやかに語りかけてくる。
「やっぱり今日は暑いですか」
「ひどいな。こんな中でマジメに働いたらすぐ熱中症だよ」
「お客さん、サボリなんですか?」
だとか
「会社はお近くなんですか?」
「近くもないが遠くもないな。駅の西口側なんだ」
「ああ、あのオフィス街ですか。たしかに微妙な距離ですね」
だとか。
また喉が乾いた頃にコーヒーが出され、今度は落ち着いてゆっくり口に含んだ。香り豊かで苦みもまろやかなそのコーヒーは、たしかにうまかった。
「おいしいですか?」
「ああ、うまい。若いのに、さすがだな。この年で店を持つなんて大変だろうに」
ほほえみかけるとキョトンとした表情をされた。その意味を理解できずに首をかしげると、彼はぷっと吹き出した。
「ははっ、違います。僕はただのバイト、フリーターですよ。マスターは競馬です」
「とんだマスターだな」
「だから、ほとんど僕の店みたいなものなんですけど」
肩をすくめて、自身も水を口にした。水を飲むその喉が白く、じっと見つめてしまった。
そんな自分に気づき、ふっと視線を外すと、彼がまた口を開いた。
「僕今22なんですが、お客さんは?って、こんなこと聞いたら失礼かもしれませんが」
「かまわないよ。俺は27だ。あまり年はかわらないんだな。君はもっと若いかと思っていたよ」
「よく言われます」
クスクスふたりで笑いながら、しばらくの時間を過ごしてしまった。時計を見ると軽く1時間は過ぎている。
「……やばいな。今日はこれで失礼するよ。いくらかな?」
「いいです、今日は」
カバンから財布を出して、固まってしまった。眉を潜めると彼は困ったように笑った。
「引き止めてしまったのは僕ですし、それに、またあなたにお越しいただきたいから、今日は結構です」
そんな風に言われると、金を出しずらい。少し考えて、今日はおとなしく彼に従うことにした。
「じゃあお言葉に甘えて。また来るよ」
「はい、お待ちしてます」
じゃあと扉に手をかけて、開けるのを思い止まった。一度カウンターを振り返ると、彼はまたきょとんと俺をみていた。
「俺は山瀬智規という、君は?」
「……佐伯一馬、です」
「そうか。じゃあまた、佐伯くん」
ガチャと扉を引くとむわっと熱気が当たった。
「はい、また来てくださいね!お待ちしてます、山瀬さん」
ふんわりとした笑顔に送られて、和らいだ心で会社を目指す。上司に怒鳴られるのはもういい。
心を占めるのは、佐伯一馬のほほえみだった。
---カランカラン
「いらっしゃ……山瀬さん」
「ああ、お久しぶりです、山瀬くん」
「今日はマスターも店番ですか」
「はは、そんな怖い顔しなくても存分に口説いてもらってかまわないよ」
「そのつもりです」
「マスター!山瀬さんを止めてください!」
――あのあと、すっかり常連になった俺は、一馬に骨抜きにされてしまった。今や来店のたびに口説き落とそうとねらっている。
そんな俺をマスターも他の常連もニヤニヤ見て楽しんでいることも承知だ。
いつものカウンター席でじっと一馬を見つめていると、カッと赤くなりにらみ返された。
「ご注文は?」
「一馬をテイクアウトで」
「却下!!!!」
-END-
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