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「すいません、タオルも店も……」

 俺を招き入れたその人は、とりあえずと言ってふわふわの大きなタオルを投げてよこした。そのまま何故か店じまいを始めると、店の奥へと通された。ドアを開けると事務所のような場所に、簡易キッチンやら仮眠用スペースがあり、座りなよとか言われて椅子を勧められた。

「ねえ、ココアしかないけどいいよね?」

 さてこの人は俺の慎ましやかな言葉を完全に無視し、さらには答えを聞く前にマグカップを2つ用意している。この男は一体なんなのだろう。見た目とのギャップに頭がクラクラしていた。

「ほら、体あっためなー」

 コツと音がして、湯気ののぼるマグが置かれた。彼は向かい側の椅子を引いて自分も同じココアを飲んでいた。
 この人……俺を呼び止めたのは、駅前にある花屋の店主だった。店主といっても、まだ見た目は20代だと思われる若い人。さらさらの茶髪に、柔和な目元に、いつでも浮かべられる微笑。奥様方から大人気のルックスもあいまって、お店は繁盛している様子だ。にも関わらず今日は臨時の店じまいなんてしてしまっているけれど。いいのかホントにと思わなくない。
 ……だけどほんのちょっとだけ、ココアのおかげではなく心がほっこりしてしまう。だって俺はこの人のことが気になっていたんだ。
 外見だけじゃなくて、声や気遣いもすごく優しくて(接客中の様子を盗み見たなんて内緒です)、どんな人なんだろうってずっと気になっていた。心の中をのぞいてみたいじゃないけれど、お近づきになって会話してみたいってずっと思ってたんだ。
 だけどただの高校生が花屋に行く機会なんて全くなくて、これまでただただあこがれの象徴みたいになってたこの人が、今、こんな近くにいて、言葉を交わしてる。ドキドキしないで居るほうが無理だって、そう思う。だけど、

「ありがとうございます」
「いいえ。それにしても降水確率90パーの日に傘を持たないとは、チャレンジ精神すごいね」

 目の前でにこりとする男は、確かにきれいなのだが。遠くから見つめていた時のトキメキが全く感じられない。びしょぬれの俺に対するチャレンジ精神への賞賛はどう捕らえてもからかいにしか聞こえないんだが。え、俺の持ってるイメージだと「どうしたの?傘忘れちゃって大変だったね」とか言われると思ってたのに。
 そんな風に面食らっている俺なんか無視して花屋の男は小さく首をかしげて微笑んでいた。

「それとも、いつもは彼が傘にいれてくれるから油断したのかな」
「彼?」
「ほら、毎朝一緒の」

 黒髪でと特徴を述べられ、すぐに井上のことだとわかった。しかしちょっとドキっとする。俺がいつも井上と一緒に居ることを、なんで知ってるんだろうって。もしかして、と心が期待している。
 加速するドキドキを必死で見ない振りをして、どうにか普段どおりの口ぶりで答えるべく口を開いた。

「今日は風邪ひいたみたいで、学校来なかったんですよ」
「ああ、そうなんだ。今日は珍しくひとりだったから喧嘩したのかと思ったよ」
「俺がいつも井上と一緒にいるの、知ってたんですか?」
「君たち騒がしいから、嫌でも目に付く」
「……すいません」

 ちょっと期待した自分がバカだった。そうか、たしかにうるさいけれど。もっと……見てもらってたのかな、とか思ってしまった。

「あの子彼氏? いつから付き合ってんの?」

 馬鹿な勘違いをした恥ずかしさもあいまって、ちょっと落ち着くために口をつけたココアを吹き出してしまった。なんという質問。というか何それ。

「え!? なっ」

 汚いなと顔をしかめながら机をふく彼の顔をガン見してしまう。すると視線を上げた彼と目があって微笑まれた。

「誤魔化さなくても、俺そっちに偏見ないし。のろけてもいいんだぞー」
「いや!! 井上と俺はそんな関係じゃなくて、ただの友達!! 部活一緒なだけ!!」

 慌てて言うと彼は嘘だーと笑った。そんな彼に俺は慌てた。この人にはそんな勘違いして欲しくない。絶対に誤解を解かなくては……

「嘘じゃないですって。井上はなんか、スキンシップが過剰なだけで」
「耳元でしゃべられて顔赤くしてたのだーれだ」
「なんでそんなん見てるんすか」
「俺視力だけはいいんだよねー」

 誤解を解きたいと思って言葉を出しても、逆にお兄さんにからかわれてしまった。ぐるぐると黒いものが心の中で渦巻いていくのがわかって、ちょっと戸惑う。嫌だ嫌だ嫌だ、と焦る心がうるさい。
 だって、絶対に違う。俺は井上の彼氏じゃないし、付き合ってないし。部活では公認カップルとか言われてからかわれて、それもまぁ仕方ない。捨て身のネタだと半ばあきらめてるって言うのに。
 なぜかこの人に誤解をされるのが、嫌で嫌で仕方ない。だなんて、どうして嫌だと思うのか理解できないと必死に装う自分がバカみたいだ。答えなんて、とっくに俺の中でわかってんのに。

 井上は、気づいてるだろうか。
 学校へ行くときは、井上の左側を歩くことを。なのに学校から帰るときは、必ず井上の右側を歩いていることを。どうしてって、だってそうしないと、井上を見るフリをして、さりげなく花屋を見ることが出来ないから。
 井上は、気づいているだろうか。
 俺はとっくにあいつのスキンシップ過剰の意味にも、公認ホモカップル扱いがギャグじゃなくなればいいとたくらんでることに気づいてるって。あいつが俺に向けてるのが完全に純度100%の好意だって、俺はわかってて、それを知らない振りして。そんな風にしながら、俺の心は別の人にとっくにとらわれてしまっていることを、あいつは知っているだろうか。
 
「あ……」
「どした?」

 やさしそうな、ふわふわした見た目を好きになって。
 誰にでも優しく接客する姿をまた好きになって。
 俺の心からでる矢印はずっとこの人を向いてた。

 だからこの人の近くに行きたかった。
 近づいて、その心が知りたかったんだ。

「どうした? 具合でも悪いか?」

 そんな俺の下心みたいな本心を知らずに、ふっとのばされた腕が俺の前髪をかきあげて額に触れる。受け入れた感情からか急激にあがる体温に、その優しい手を振り払ってしまった。

「あ、ごめん。びっくりしちゃった?」
「ちがっ、そうじゃなくって」
「ああ、彼氏か」
「それも違くてっ」

 ダメだ。近づいたら、加速してしまった。言いたい、伝えたい。この気持ちを吐き出したい。

 さっきこの人は、そーゆーのに偏見がないと言っていた。だからきっと、気持ち悪いとは言われない。なら、言って、しまおうか。

 だって言わなきゃ。

 気持ちが体のなかを渦巻いて、本気で嘔吐してしまいそうだし。高鳴る鼓動が、口から心臓を発射してしまうかもしれない。もう、どうなってもいいや。どうせもう話すこともないだろうし。もう、どうなっても、いいや。

「俺、彼氏いません。彼女もいません。けど、好きな人なら、いる」

 俯いてた顔をあげて彼の顔を見る。微笑んではいないけれど、優しい顔立ちに、一度息を吐く。

「なんか、俺、あなたのことが、好きみたい」



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