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風音







私が生涯守りたいと思った人は、とても強くとても優しい風のようなでした。



「…ケホ…ケホッ…」


隣の部屋から小さく聞こえてくる嫌な咳。私はゆっくりと閉じていた目を開いた。


「…ケホケホッ…ゴホッ…」


最近は毎夜のように聞こえてくる彼の苦しそうな声。早く彼の元へと行きたい衝動に駆られる。

でも、身体が動かない。


(早く早く行かなくちゃ)


気持ちだけが前へ前へと進むばかりで、無意識に涙が頬を伝う。


「…コホケホッ…ゴホッ!」


咳がより一層激しくなりました。
瞬間、私の身体は金縛りが解けたように自由になり、弾けるように部屋から飛び出して行った。


「…沖田先生っ!」


そう叫びながら襖を勢いよく開けた。そして、視界に飛び込んで来たモノは真っ赤な緋色とぐったりとした師の姿。


「…」


私は声を失くす。彼は私の姿を見つけると、弱々しく微笑んだ。


「あ、すみません。起こしちゃいました?」


苦しいはずなのに普段と変わらない彼を見て、頬には再び涙が流れました。


「…神谷さん」


私を見つめたまま柔らかく微笑み続けるその人。


「神谷さん」


何度も、何度も私の名を呼ぶ。私はグッと掌を強く握り、それに応えるよう笑ってみせた。


「いつもありがとうございます、神谷さん」


ドクン、と心臓が跳ねた。
なんで、なにが、どうして?
そんな気持ちが身体中を駆け巡り、嫌な汗が背中をすうと流れた。

彼は困ったように笑うと私に向かって手招きをした。少し近づいて座ると彼は、よく聞いて下さいね、と一言呟いた。


「私は恐らくもう永くないでしょう」

「そんなこと…っ」


ない、と言おうとしたけど、言葉が続かなかった。

神谷さん、と彼は続けます。


「貴女は私の代わりに未来を見つめなさい。そして精一杯、生きて下さい」



どうか貴女は、前へ、前へと進んで。決して立ち止まらないで下さい。



「私は“風”となって、貴女をずっと見守っていますから」






『あぁ、風になりたいなぁ』


京にいた頃の情景が浮かんだ。
大空を見上げ、先生はそう言いましたね。


ならば私は風に存在を知らせる草となる。






「…承知しました」


涙を堪えて微笑む。それが、私に出来るせめてもの約束です。


「ありがとう」









彼の人は“風”になりました。私はいつもおいてきぼりの草のままです。

だけど今は、少し違う。だってね?


「さあ、行きなさい」


沖田先生は私の傍にいてくれてる。野で揺れる草を見守り続ける風となって。





08/10/19



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