空虚に爪をたてて
優しい温もりがじんわりと小さな手を通して感じる。少し大きな黒い瞳が心配そうにじっとこちらを捕らえて離さないものだから、溢れ出た涙が止まらなくなってしまった。
「リナリー」
真っ白なシーツの上、同調するかのような同じ色の服を着た少女が小さくわたしの名を呼んだ。彼女の細い腕には見てもいられない程の沢山の管が繋がれ、白く頼りない。
こんにちは、調子はどう?微笑みかければ可愛らしい笑顔で返してくれた。
「3日ぶりかしら」
彼女はこの部屋から出られない。元々エクソシストであったらしい彼女はかつていろいろな任務をこなしていたらしいが今ではその面影はない。歳が近いということもあり、仲が良くなったわたしの日課は任務がない時には毎日のように部屋を訪れ他愛のない話をするというもので。
彼女はわたしよりほんの少しだけ年下。物心ついた頃からずっと教団で過ごしてきたという彼女。きっとわたしがここに連れて来られたよりもずっと前だったんだと思う。
「リナリ、」
スッと白い手が伸びてきて、優しく包み込むようにわたしの頬を撫でた。心地良いけど何だかくすぐったい感覚に襲われた。
「どうしたの」
「辛いことでもあった?」
「え?」
泣きそうな顔してる。そう言って彼女は眉間をぽん、と軽く押した。ああ、とわたしは理解した。彼女には何もかもお見通しなのだ。部屋にはわたし達二人以外は誰もいない。ふと浮かんだのは仲間の顔。いま目の前にいる少女ではなくて、戦場などの場面でよく顔を見合わせてた人。次に浮かぶのは、黒い土の上、こちらに背を向けまるで庇うような姿で立ち尽くす白髪の少年。
「そんなに変な顔してた?」
「うん、すっごく」
「笑えてると思ったんだけどな」
「でも心は泣いてたよ」
「…、」
ねえ、リナリー。悲しい時は思いっきり泣けばいいよ。それで笑顔になれるならさ。にこり、と笑う。悲しいのかなあ、わたしは。よくわからないや。ぽろり、と涙が零れ落ちた。
「みんなね…」
ぽんぽん。軽快なリズムを崩さないまま、小さな手がわたしの背を撫でる。彼女は笑顔で接してくれるから、いつも甘えてしまう。でも今日は違った。少女の瞳にも光るものが一つ。
「みんな泣いてるの」
今日ひとりの少年が空へと旅立っていきました。少年は共に連れ立っていた少女を庇い、戦場に倒れたのです。その後、懸命な治療も虚しく少年は静かに息を引き取りました。
「散ってしまった命はもう戻らないんだよ」
「…うん」
「リナリーがずっと泣いてるとアレンくんも悲しむ」
「そうだね」
「あなたは充分やれることはやった」
「でも、」
救うべき生命だった。敵と味方の双方を救済したいという想いの下、消えてしまった彼の死はあまりに重く、あまりに深いところまで哀しき傷として心に刻まれた。ごめんなさい。こんな不甲斐ないわたしが神の使徒だなんて笑わせる。理想すぎた生き方は心のどこかで羨ましいと思ったこともあった。自分もこんな風に生きていけたら。
「リナリーは優しいから」
優しいのはあなたの方よ。そう言いたかったが鳴咽が邪魔して想いは言葉になることはなかった。
▼title:空想アリア
10/03/01
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