幼なじみ 10 「……あ」 気がつけば夜中だった。 母さんは晩御飯に起こしてくれなかったのか。眼鏡を付けたまま寝たので金具が当たって痛かった。 身体を起こして部屋を見渡す。電気を付けていない部屋はまるで自分の部屋ではない異世界のようだ。そうなるとまた悲しくなって泣きそうになる。 駄目だ、ダメだ。悲しい気持ちはどっか行け! 首をぶんぶん振ってみたけど悲しい、胸が重いこの状態は変わらなかった。 「はあ……」 ため息もついてみたけど重苦しいこれは取れなかった。ため息って人間が気分転換とかするためにあるんじゃないの?ちっとも気分が晴れないんだけど! こんな誰に当てたかわからない愚痴をこぼしても何の解決にもならないんだよなあ。 「もう1回寝よう……」 ほとんど使われたことのない目覚まし時計を見ると、ちょうど2時半をさしていた。外が暗いから当然夜中の、だ。 外した眼鏡を目覚まし時計の隣に並べておく。 「ふぅっ…」 ベッドに仰向けになり、ぼんやりとした視界で天井を見上げる。 僕はもう、ずっと香苗に嫌われたままで一生を終えてしまうんだろうか。 香苗に彼氏ができてもお祝いできない。香苗が結婚しても式に呼ばれない。香苗に子どもができても一緒に遊べない……。 「嫌だなぁ…」 僕に彼女ができなかったらいいのかな?僕が結婚しなきゃいいのかな?僕に子どもができなきゃいいのかな? 僕に……。 「わかんないよ、香苗」 香苗のことならなんでもわかる、なんて。そんな魔法の言葉、もう効果が切れてしまったのかもしれない。 香苗がどんどん僕の知らない世界を広げていく度に。 「……けいじ、慶司!」 ……誰かが僕を呼ぶ声がする。怒声にも似たこの感じ。 まさか、香苗? ゆっくりと目を開けて声の主を探す。溌剌とした顔の僕の幼馴染み……見捨てたんじゃ無かったんだね? 「慶司、早く起きなさい!」 ……ああ、違う。これは香苗じゃない。 むくりと起き上がり、眼鏡を掛けたその先に立っていたのは香苗……ではなく、母さんだった。 「あんたいつまで寝てるつもり?香苗ちゃんは部活で忙しいから起こしに来てくれないし……大学生なんだから一人で起きるくらいしなさい!」 「うん……」 なんだ、香苗じゃないのか。絶交されたんだから起こしに来てくれるわけないのに。何で僕は期待したんだ? 「あんたそのまま寝たのね?早くお風呂入ってご飯食べなさい!」 「……はい」 全くもう!と言葉尻を上げて怒る母さんに小さく返事をして、その背中が見えなくなってからゆっくりと立ち上がった。 香苗は僕の名前を呼ぶ時、「け」の部分にアクセントを置く。「けいじ」じゃなくて「けーじ」と聞こえる時があるのはそのせいだと思う。 その声で起こされなくなって暫く経つから、大嫌いと言われたとは言え名前を呼ばれたから昨日は少し嬉しかったんだけど……。 「キツい、な」 やっぱり僕、香苗の声じゃないと駄目だよ。 心の中で訴えてみるけど、それに反応したのは階下にいる母さんだった。「早くお風呂入りなさい!」と叫ばれ、慌てて着替えを用意して階段を下りていく。 「はー」 身支度を整えて家から出た。やっぱり心がざわつく。香苗の家を一度ちらりと見てみた。特に動きは無く、しんとしている。 もう学校に行ったんだろうなあ。僕を気にすること無く、朝練へ。 朝練かあ。 「あ……」 駅に着き、鞄から定期がすんなり出てきた。 この間駅で定期が見つからなかった時の事を思い出してみる。香苗の世話になってばかりの毎日が申し訳なくて仕方が無かった。 今はこんな事になってしまった事が申し訳ない。前みたいに一緒に通学して、一緒に笑いたい。 「香苗……」 僕はどうしたらいいのかなあ。 彼女の名前を繰り返し呟いても状況が変わるわけでもない。でも今の僕はこうするしか無かった。 また香苗が僕に笑ってくれるまで。 [*前へ][次へ#] |