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【おおかみこどもの雨と雪】おくりもの
【注意事項】
10年後の未来を捏造しました。
盛大にネタバレを含んでいますので、映画未視聴の方は閲覧をお控えください。
また、カップリング要素も含んでいます。
苦手な方はお控えください。
「よくがんばったな、雪」
草平が雪の髪を優しく撫でると、雪は目を細めて笑い返した。
「えへへ。がんばったでしょう、私?」
「うん。すごいよ、お前。本当にすごい」
二人の視線の先には、小さな赤ん坊が眠っている。その肌は湯上りのように紅潮していて、先程まであたたかな母体の中にいたことを物語っていた。
小さな命。
雪と草平の間に授かった、初めての子供だ。
「お疲れ様、よくがんばったわね」
草平の隣で、雪の母・花が幸せそうに微笑んでいる。40歳を超えてだいぶ顔にシワが目立つようになってきたが、その微笑みは昔と変わらず優しかった。
「草平くんもありがとう。トレーニング大変なのに、こっちまで来てくれて」
草平は彼女の方を見ると、照れ臭そうに頭を掻いた。
「いえ、今は彼女と子供の方が大事ですから。ジムもすんなりOK出してくれましたし」
ボクサーとしてプロデビューして4年。あの芯の強そうな目をした細身の少年が、随分とたくましくなったものだ。
自分を傷つけた雪を気遣い、その正体を知りながら今も彼女の側にいる義理の息子を、花は頼もしく思った。
「それに雪が生まれた時、雪の父ちゃんは出産を手伝ったって聞いてたから……。だから俺も、そうしようと思ったんです」
「そうだったの……。ありがとう、草平くん」
花は、雪が生まれた時のことを、そして、その弟の雨が生まれた時のことを思い出した。
二人が生まれた時、『彼』が出産の手助けをしてくれた。
人間の子供ではない、狼の血を引く子供を産み落とす。その時、子供は人として生まれてくるか、それとも狼として生まれてくるのか、『彼』は知らなかった。そして、教えてくれる者は誰もいなかった。
だから病院に行かず、助産師も頼まず、自分たちだけの力で出産することにした。無介助での自宅出産が高すぎるリスクを抱えていることは、よくわかっている。しかし頼るべき家族も親戚もいない自分達にとって、それしか方法が無かった。
たくさんの書籍を読みあさり、精一杯の準備を整えて、出産に挑んだ。
そして無事、雪が生まれた。
翌年には、弟の雨が生まれた。
二人とも人の姿をして生まれてきたが、そんなことはどうでも良かった。
無事に生まれた。元気よく産声を上げた。それが、何より嬉しかった。
「お疲れ様、雪」
草平が、疲れ果てた雪の手を優しく握る。
かつて、『彼』が自分にしてくれた時と同じように。
微笑み合う二人と、傍らで眠る小さな命に、花は微笑みかけた。
「雪、そろそろ少し休みなさい」
「え〜。私、もう少しこの子のことを見ていたいよ」
「ダメよ、疲れてるんだから休みなさい。それにね、これから2時間おきくらいに、この子におっぱいを与えなくちゃいけないの。だから、休めるうちに休まないとね」
「2時間おきっ? えっ? この子さっき、おっぱい飲んだよ?」
「生まれたばっかりなのに、そんなにすぐ腹が減るんですか?」
驚く新米両親に、花は先輩として得意げにうなずいた。
「外に出るためにすごくすごくがんばったから、すぐにお腹が減るのよ」
「へぇ。そうか、そりゃそうだよな。この子も、雪と一緒にがんばったもんな」
雪と草平は微笑みながら、静かに寝息を立てる我が子を見つめた。
「そうよ、だから早く休みなさい」
「うん、わかった。おやすみなさい」
「おやすみ、雪」
「おやすみなさい、雪。草平くん、台所に行きましょう。お茶を淹れるわ」
「あ、すいません。ありがとうございます」
草平の後に続いて部屋を出る際、花は後ろを振り返った。
雪はまだ眠ろうとしない。出産直後で疲れているはずなのに、まだ微笑みながら子供を見つめている。
仕方ない。かつて、自分もそうだったのだから。ようやく我が子と顔を合わせることができた嬉しさに、あの時はなかなか寝付けなかった。
「おやすみなさい」
優しく微笑みながらそう呟くと、花は襖を閉めた。
◆◇◆◇◆
夕方になるにつれ、少しずつ風が出てきた。
少し涼しくなってきたな。蜜柑色に染まる庭を眺めながら、花は思った。
「もういらないの? もっと飲んでよ」
雪は、うとうとと眠り始めた我が子を不安げに見下ろしていた。
あれほど泣いておっぱいを求めたのに、赤ん坊は乳を与えて数分としないうちに飲むのをやめてしまった。
「お母さん、どうしよう……」
困惑する娘に、花は優しく微笑みかける。
「大丈夫。まだ生まれたばかりだから、上手に飲めないだけよ」
「本当?」
「ええ、何度も繰り返していくうちに、だんだん上手になってくるの。あなたも、まだそんなにおっぱいが出ないでしょ。それと同じよ」
「よかったぁ」
母の言葉に安堵の息を吐くと、雪は我が子の頭を優しく撫でた。
「あなたも雨もね、最初はあまり飲まなくて心配だった。でも生まれてから3日目くらいからどんどん飲むようになった」
「そうだったんだ。心配かけてごめんね」
「ふふふ、いいのよ」
二人は顔を見合わせて笑った。
しかし、雪はすぐに笑うのをやめ、じっと母を見つめた。
「……ねえ、お母さん」
「なあに?」
「雨……、雨のこと、最近見かけた?」
すがるように自分を見つめる眼差しを、花は静かに見つめ返す。そして、ゆっくりと首を左右に振った。
「ううん、見てない」
10年前のあの大雨の日を最後に、雨は山に姿を消した。
花はあの日、人間ではなく狼として生きることを選んだ息子を、一人で見送った。いつの間にかたくましく成長していた彼の姿を見たら、止めることなどできなかった。
だから、満面の笑みで見送った。不安も寂しさも全て笑顔に変えて、旅立つ我が子を見送った。
そしてそれ以来、彼の姿を一度も見ていない。
「そう、なんだ……」
「でもね、時々だけど、狼の遠吠えが聞こえてくるの」
と言うと、花は視線を外に向けた。
雪も、母を真似て外を眺める。
風に揺れる木々のかすかな葉音だけが聞こえてきた。
「あの子のことだから不安もいっぱいあるけど……、でも、自分で歩いていったから、きっと今も元気に、しっかり生きていると思う」
花は、にっこりと笑ってみせた。
そんな母の笑顔を、雪は目を細めて見つめた。
「きっと……そうだよね」
「そうよ。雪、雨に会いたい?」
「うん……。この子が生まれたことを、雨にも伝えたいなって思って。他にも草平くんのこととか私のこととか、お母さんのこととか、色々話したいし」
「そう……」
あの時学校にいた雪は、弟を見送ることができなかった。
いや、自分は母と違い、見送るなんてできなかっただろう。もしもあの場に自分もいたら、必死になって彼を止めたはずだ。弟が自分と違う道――人間ではなく狼として生きる道を選ぶなんて、あの頃の自分には理解できなかったから。
止めることも、見送ることも、喧嘩したことを謝る時間すら与えずに、弟は去っていった。
彼の生き方を認めた今でも、そのことだけが心残りだった。
「ねえ、お母さん。雨、今頃どうしてるかな? もう、お嫁さんがいたりして」
「ふふふ、どうかしらね?」
「雨ね、けっこう女の子から人気があったんだよ。同じクラスの女の子もね、かわいいって言ってた」
「あら、そうだったの。あの子も隅に置けないわね」
「そうだよね」
母娘は顔を見合わせて、クスクスと笑った。
ふと、風が強くなった。庭先の草木が揺れる音が一層大きくなる。
「あれ……?」
その音に、雪は何故か違和感を覚えた。
木々が揺れている。茂みの葉も揺れている。
その茂みの立てる音が、他とは少しだけ違うように聞こえた。
まるで、風以外のものが通り過ぎたように。
「風が強くなってきたわね、もう閉めようか?」
花は、縁側と部屋とを仕切るガラス戸を閉めようと立ち上がった。
「そろそろ草平くんがロードワークから帰ってくるから、お夕飯の支度をしないと。赤ちゃんとあなたのためにも、栄養のあるご飯を作らないとね」
楽しそうに笑いながら、花が戸に手をかけた時だ。
「わっ、何だこれっ?」
玄関から、草平の声がした。
ただいまの挨拶ではない驚きの声に、あわてて花は玄関へと向かった。居間を抜け、玄関へ直接続く木戸を開く。
「おかえりなさい、草平くん。どうしたの?」
「あ、義母さん、これが玄関に置いてあったんです……」
目を丸くした草平が、こわごわとそれを両手で持ち上げて、花に見せる。
それを見た花も、彼と同じように目を丸くする。しかし、すぐに微笑んだ。
「雉だわ……」
それは、一羽の大きな雉だった。
「これって、まさか……」
驚く草平に、花は微笑み返す。
彼女は、雪が生まれた時に『彼』が自分にしてくれたこと。そして、そのことを子供たちに語って聞かせたことを思い出した。
「せっかくの贈り物だし、ありがたくいただきましょうか」
「そうですね」
二人は顔を見合わせて笑った。
「ねえ、どうしたの〜?」
まだ布団から出ることのできない雪が、そこから、今の自分が出せる精一杯の声を上げる。
草平から雉を受け取ると、花はそれを抱えて娘の元へ向かった。
「見て、これ」
母の腕の中のそれを見て、雪は歓声をあげた。
「うわぁ、雉なんて久しぶりに見た! これ、どうしたの?」
「雨からの出産祝いよ」
にっこりと微笑む母の言葉に、雪はぽかんと口を開けた。そして数秒かけて言葉の意味を理解すると、弾けるように叫んだ。
「雨からっ!?」
「ぎゃ〜ぁっ!」
雪の大きな声に、驚いた赤子が泣き出してしまった。
あわてて雪は我が子をあやそうと、小さく体をゆする。
「あぁっ、ごめんっ。ごめんね〜」
「ごめんね、驚かしちゃって」
二人が必死になだめたお陰か、赤子はすぐに泣き止んだ。
静かになったことに安堵すると、雪は改めて雉を見た。
「本当にこれ……雨からなの?」
「きっとそうよ」
「赤ちゃん産まれたの、どこで知ったんだろう?」
「風のウワサかもね」
「風のウワサ?」
「あなたが大きなお腹を抱えて帰ってきた時、このあたりに住む人たちが、みんな来てくれたじゃない。きっと山にも伝わったのよ」
「まったくあの子ったら、顔くらい見せてくれればいいのに……」
10年の月日が流れても、狼として生きる道を歩んでも、弟は弟のままだった。いつまで経っても、姉のことも、家の場所も忘れていなかった。
雪は顔を伏せると、赤ん坊の小さな体をそっと抱き締める。
その頬を、小さな雫が伝い落ちた。
「さあ、今夜は、雉肉入りのうどんにしようか。おいしいし、精がつくわよ。草平くん、ちょっと雪と赤ちゃんを見てて」
草平と入れ替わるように立ち上がると、花は台所へと向かった。
「ありがとう、雨」
テーブルに置いた雉を改めて見つめながら、花は微笑む。
彼があの日してくれたことと同じことをした息子のことを、花は誇らしく思った。
その時、遠くから狼の遠吠えが聞こえた。
それに寄り添うように、今度は少し高い声色の遠吠えが続く。
「雨……」
花は目を細めて、2つの遠吠えに耳をすました。
おわり
【あとがき】
約4ヶ月ぶりの更新です。
映画を観終わったあと、この子たちは幸せになるのかとあれこれ考えていたら、
雪の出産祝いとして、こっそりと雨が雉を届けるシーンが思い浮かんで、
そこにたどり着くためにあれこれ書きました。
10年後もきっと、みんな元気にやってるんだぞ〜ってことで。
子供を産んだ経験がないので、母に自分が産まれた時のことを聞いたり、
ネットで調べながら書きました。
一応フォローしておくと、雪が赤ちゃんを産んだのは、居間の右側の部屋という設定です。
(雪と雨が背比べしてる柱の右側にある部屋)
奥の寝室や子供部屋だと、家族に手伝ってもらっての出産には
ちょっと狭いように思えたので最初は居間を想定して書いてましたが、
あの居間だとさすがに広すぎるので、
結局居間の隣の8畳間にしました。
客間や仏間より、お産には向いてるよね、多分。
(お父さんの免許証が飾ってある部屋は居間です。
作中では出てきませんが、家の右側手前に仏間があるそうです)
あと最後の遠吠えが2つ聞こえた理由は、ご想像にお任せします。
雨は一匹で生きてはいないだろうと、私は思います。
だって、優しいいい子ですから。
(2012.07.24)
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