pop'n music
【煙枝】I Wait for …
「スモークさん、コーヒー入りま……」
リビングに足を踏み入れるとと、エッダは口を閉ざした。
この部屋の中心にあるのは、黒いグランドピアノ。
それに向かう男は、ピアノを弾いてなかった。
カリカリ…… カリカリカリカリ……
一心不乱に、白紙の五線譜に万年筆を走らせている。
音譜を刻み付ける音だけが、部屋に響いた。
(曲のアイデアが生まれたんだ)
エッダは彼をじっと見つめた。
◆◇◆◇◆
著名なジャズ・ピアニストであり作曲家でもあるスモークは、曲のアイデアが生まれると、それをとにかく『書き留める』。
あれば五線譜に、無ければ、その辺にあるものに書いていく。
それこそ本の表紙だろうが、壁だろうが、お構いなしにだ。
この光景を初めて見たのは、だいたい1ヶ月程前。彼の部屋に住み始めて間もない頃、二人で昼食を取っていた時だ。
カチャー…ン
突然、スモークの手からパスタを巻き付けていたフォークが音を立てて落ちたかと思ったら、彼は胸ポケットから万年筆を取り出し、テーブルクロスに音譜を書き始めたのだ。
男はまるで何かにとり憑かれた様に、スラスラとペンを進ませている。
エッダは彼が何をしているのかまるで理解できず、ただ呆然と彼を見ていた。
やがて手を止めたスモークはテーブルから顔を上げると、驚くエッダに向かって笑いながらこう言った。
『あ、驚いたか? 悪い、書かないと忘れちまいそうなんだ』
照れた様な、しかも口で言う程悪びれてもない、どこか子供みたいな笑顔。
『あ、いえ……』
自分よりもずっと年上である彼のそんな笑顔に、少年は自然と微笑み返した。
◆◇◆◇◆
エッダはそっと、彼に近づく。
スモークはそれに気づく様子もなく、ひたすら譜面に向かっていた。
全くピアノに触れることなく、ひたすらペンを走らせるその姿は、とてもじゃないが作曲をしているとは思えない。
しかし、確かにスモークは作曲をしている。
絶対音感は備わっているし、長年ピアノを弾き続けている彼は、思いついたアイデアをいちいち鍵盤を叩いて確認する必要はないのだ。
(……長いな)
アイデアはワンフレーズのみの時もあるが、1曲丸々浮かぶ時もある。
今日は後者の方なのだろう。スモークは書き終えた五線譜をピアノの上に置いては、すぐに次の紙に万年筆を走らせている。
あまりに無造作に置くものだから、上蓋の上はごちゃごちゃしていて、2、3枚の譜面は床に落ちていた。
書くのが最優先。順番がごちゃごちゃになろうが構わない。そうなのかもしれない。最も、書いた先から内容を忘れている訳ではない様だし。
ピアノの上蓋にコルク製のコースターを敷き、その上にマグカップを置く。
(どんな曲なんだろう?)
スモークの足元に散らばる譜面の中から、エッダはすぐ近くにある一枚を手に取った。
(難しそう……)
一目見て、難しい曲だと思った。
音の洪水、とでも言うべきなのだろうか。右手のパートと左手のパートがほぼ同時に書かれた譜面には、大量の音符が書き込まれている。メロディーを奏でる右手パートは複雑な音符の並びになっているし、左手のパートも単にコードをバッキングするだけではなく、かなり複雑な動きをするのだろう。
ギターしか弾けない自分だが、音感はそこそこあるし、譜面は読める。音譜の並び方から、そう感じた。
(でも、楽しそうな曲だな……)
勢いがあるだけでなく、どこか人懐っこい様な、なじみやすいメロディーラインになっている。
スモークの曲はいつも複雑で、演奏するのに相当の技量が要求されるが、単に難しいだけの曲を彼は書かない。それを考えると、実に彼らしい曲と言えるだろう。
早くスモークに、この曲を演奏してもらいたい。
そう思った少年は譜面から顔を上げると、スモークを見た。
音符を綴る右手は、まだ止まりそうにない。
静かに息を吐き、譜面をピアノの上蓋の上にそっと置くと、エッダは静かにソファに移動し、腰を下ろした。
これだけ側で自分が動いていても、スモークは一向に気づかない。顔を上げないし、手も止まらない。
(まだかな……)
自分用にいれたカフェオレに口をつける。ほのかな苦みと砂糖とミルクの甘さが、口の中に広がった。
カリカリカリ……
夢中になって譜面を書き留めている彼を、ただ見つめ続けた。
邪魔する気にはなれなかった。
この様子では声をかけてもどうせ気付かないだろうし、邪魔したら怒るかもしれない。
万年筆の金色のペン先が刻む小さな音に耳をすまし、それが止むのを、ただ待ち続けた。
いや。
そもそも、待っている必要などないのだ。
やらなければいけない事は色々ある。陽が落ちる前に買い出しに出かけたいし、自分の部屋に行ってギターの練習もしたい。
コーヒーをいれた礼を、言ってもらいたい訳でもない。
これも、ピアノに関してもジャズに関しても知識の浅い『アシスタント』とは名ばかりの自分に、ごく当たり前に任されている仕事なのだから。
それでも、スモークがアイデアを書き留め終えるのを、待っていたかった。
曲を生み出している彼を、見ていたかった。
スモークの手が止まった。
が、すぐに再び音符を綴り始める。
終わった、と喜んだ自分に苦笑して、エッダは再びカフェオレを口に運んだ。
◆◇◆◇◆
エッダがカフェオレを半分ほど飲み終えた頃、ようやくペンの音がやみ、スモークが顔を上げた。
スモークはピアノに置かれたコーヒーに気付く。
そして何気なくソファに視線を向けると、微笑むエッダに気付いた。
「エッダ、お前何時からいたんだ?」
「さっきから、いたんですけど……」
「そうか。すまん、気付かなかった」
苦笑しながら万年筆にキャップをすると、スモークはマグカップに口を近づける。
「いれ直しましょうか?」
既にカップからは、湯気が立ってなかった。
「いや、いい。せっかくお前がいれてくれたんだからな」
と言うと、彼はコーヒーに口を付けた。
エッダはマグカップをサイドテーブルに置いて立ち上がる。
そしてピアノから床に落ちた譜面を拾い始めた。
順番なんてわからないから、目につく譜面を片っ端から拾っていく。
「おっ、悪い」
スモークも椅子に座ったまま、足元に落ちている譜面を拾い始める。
「どうぞ」
拾い集めた譜面を差し出すと、スモークは頭を掻きながら、空いた手でそれを受け取る。
そして、ニヤッと悪戯っぽく笑って彼に訊いた。
「聴くか?」
「はい」
はにかみながら、エッダはうなづくと、スモークは嬉しそうに笑い返した。
「今日は最後まで出来たんだ」
(わかってます。ずっと待っていたから)
心の中でエッダは呟く。
スモークは譜面をピアノの上に置く。
そして、単音でいくつか鍵を弾いた時、出来たばかりの曲を奏で始めた。
勢いがあるが、軽快さのあるメロディライン。
左手はリズムを刻みつつも、せわしなく動いている。
エッダが想像していた以上に、アクティブでキャッチーな曲だった。
スモークは楽しそうに笑みを浮かべながら、せわしなくピアノを弾いている。
聴いていてこちらも楽しくなってきて、エッダの顔にも自然と笑みが浮かぶ。
曲が特に盛り上がったあと、トリルを繰り返しながら、不意にスモークが顔を上げた。
そしてエッダの表情を確認すると、ニヤッと笑い、アクセルを踏み込む様に、勢いよく指を走らせた。
一番最初に、新曲を聞かせてもらえた。
その喜びを、エッダは強く感じていた。
おわり
【あとがき】
ついに書いてしまいました、煙枝っす(≧O≦)
この二人、めちゃくちゃ好きです!
この二人はコンビとしてもCPとしても好きです。
年齢差コンビ&CP萌え〜〜www
個人的に、スモークさんは37歳、エッダ君は18歳と想定してます。
スモークさんは作曲している最中は周囲を全てシャットアウトするけど、演奏中は逆に、周囲の反応をよく見ている感じです。
ジャズ系なら、特にセッションする事も多いでしょうから。
で、うちのエッダ君はあまり甘えるのが上手くないので、基本的に待ちます。
なんて言うか、あんなひねくれた曲を担当していますが、根は大人しくて優しい子なのです。
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