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オリジナル
はたらき蟻は勘がいい【ちょっと奇妙な話】
 俺の会社に、Aさんというおじさんがいる。
 中途で入った人なんだけど、すっごく真面目な人で、仕事もちゃんとこなすし、無遅刻無欠勤。勤務態度も良くて、なんか『はたらき蟻』って感じの人だ。
 こんなにデキる人なら、前の会社でもきっと重宝されたんだろう。そう思って、飲み会の席で、Aさんに質問をしてみた。

「Aさんって、前はどこに勤めてたんですか?」
「はい、○○商事です」

 Aさんは俺みたいな年下にも敬語で話す、そんな人だ。

「へえ、あの大手の。すごいですね〜」
「はい、今はもう無くなってしまいましたが……」

 と、Aさんは苦笑して、日本酒を少しだけ口に運ぶ。
 俺もどう返していいのかわからなくて、代わりにビールをあおった。
 なんで俺が○○商事を知ってるのか。それは、ニュースで取り上げられたからだ。多額の損失隠しが発覚し、経営が破綻。書類を偽装したとか取引法違反とかで、社長や取締役が逮捕されたそうだ。

「でも会社が無くなる前に退社しましたから、退職金は出ました」
「あ、それは幸いでしたね」
「はい、運が良かったんでしょう」

 Aさんは穏やかに笑った。

「でもどうして退職されたんですか?」
「まあ……一身上の都合ってやつ、でしょうね」

 この人真面目な人だけど、性格が穏やかだし、競争意識もあんまり高くない感じがする。大企業だから、きっとストレスとか凄くて、やめてきたんだろう。あるいは仕事が忙しすぎて、体調を崩したとか。結構痩せてるし、昼飯食った後に必ず胃薬飲んでるし。
 部長の空になったグラスにビールを注ぎながら、そんな想像を巡らせた。


◆◇◆◇◆



 8月のことだった。
 突然Aさんは、部長に辞表を提出した。
 青天の霹靂って、きっとこういう事を言うんだろう。俺もそうだったけど、部内の全員が盛大に驚いた。
 だってAさん、昨日も普通に仕事してたんだぞ。いつも通り、超普通に。
 それがいきなり辞表を提出するなんて、想像できっこないだろう。
 みんな慌てたし、引き止める奴もいた。部長なんて「この季節に、スーツを着て面接に歩き回るなんて大変だろう」とか、妙な引き止め方をしてた。
 でもAさんの意志は固くて、結局辞表は受け取られ、今週いっぱいの勤務となった。


 そして金曜日の夕方。最後の業務を終えたAさんは、机やロッカーの整理を始めた。俺への業務の引き継ぎは、もう済んでいる。丁寧なマニュアルももらったし、何とかなるだろう。多分。
 Aさんはテキパキと、私物の文房具や座布団を紙袋に詰めている。
 キーボードを叩く手を止めて、声をかけてみた。

「なんか手伝いましょうか、Aさん?」
「大丈夫ですよ、慣れてますから」

 慣れてる?
 ああ、掃除するのに慣れてるってことか。Aさんの机の上はいつも綺麗だし、引き出しの中もきちんと整頓されてる。

「君にはお世話になりましたね。今までありがとう」
「いえこちらこそ、Aさんにはすごくお世話になりましたから」

 椅子から立ち上がって頭を深く下げると、Aさんは困った様に笑って、ぺこりと頭を下げた。
 するとAさんは、「あ、そうだ」と言うと、紙袋の中から小さな空気清浄機を取り出した。小さなマグボトルくらいの大きさの、卓上タイプのものだ。

「これ良かったらどうぞ」
「えっ、いいんですか? ありがとうございますっ」

 実はちょっといいな〜って思ってたんだ、これ。俺は花粉症なんだけど、Aさんが机の上でこれを使ってる時は、鼻がムズムズしなかったし。

「ありがたく使わせてもらいますね」
「あ〜……、家で使った方がいいですよ」
「へっ?」
「あと、私物はあまり会社に置かない方がいいかもしれません」
「はぁ……」

 訳がわからなくて変な顔をしてると、Aさんは柔らかく微笑んだ。

「あとね、貯金もしときなさい」
「はぁ……」
「じゃあ、お元気で」

 そう言って、Aさんは会社を去った。


◆◇◆◇◆



 会社が倒産したのは、Aさんが退社した一ヶ月後のことだった。
 Aさんが辞表を出した時も驚いたけど、会社の倒産もすっげぇビックリした。突然の発表だったし、ほとんど誰も気付いてなかった。営業部の奴らなんかいつも通り営業に出て、突然会社に呼び戻されて発表されたもんだから、中には青冷めた顔で管財人の話を聞いている人もいた。

「今思い返してみると、文房具とか消耗品を注文しようとしたら、渋られることが増えたのよね。経費削減なのかなとか思ったけど、そういうことだったんだ……」

 帰り道。疲れたように笑いながら、庶務を担当してた先輩が呟いた。
 大した荷物も無いのに、夏場で暑いからジャケットも脱いでいるのに、みんな足取りはぐったりと重たかった。

「僕達の退職金ってどうなるんでしょうね?」
「さあな、そもそも給料が支払われるかどうかも、解らないしな」
「でもAさんは、いいタイミングで退職したよな。とりあえず退職金出たみたいだし」
「Aさんって、次どこの会社行ったんだろうね。あの人ってさ、色んな会社渡り歩いてるって聞いたよ」
「えっ、そうなんですか?」

 先輩の言葉に、思わず聞き返した。
 そう言えば俺、Aさんの経歴って直近の○○商事にいたってことしか聞いてない。○○商事の前にも、別の会社に勤めてたんだ。

「ああ、俺の同期が人事部にいてさ、こっそり教えてもらった。ここ来るまでに5社くらいに勤めててさ、でもどこも最低5年以上は勤めてるし、真面目そうだったから採用したって、そいつの上司は話してたよ。不況の世の中で年はいってるけどさ、けっこうあっさりと、次の職場見つけてるかもね」

 会社を転々と、ね……。
 Aさんがあの時『慣れてる』と言ったのは、何度も会社を辞めていたからか。これで6社目なら、そりゃ退社する際の後始末も慣れっこか。

「はぁ、私物持ち帰っちゃいけないってどういうことなの? 私のヴィヴィアンのポーチぃ……」
「仕方ないだろ、どれが備品でどれが私物かなんて、管財人の奴らには区別がつかないんだから。まぁ、根気よく『返して』って言えば、返してくれんじゃないか」

 管財人曰く、私物か備品か一つ一つ確認していたら時間がかかるので、『全て備品』と仮定して差し押さえることにするそうだ。
 だから俺達は、出勤時と同じ荷物しか持ってない。Aさんのように、私物を持って会社を去ることは出来なかった。
 まあ、俺はたいしたものを置いてなかったし、そんな困ることは無いんだけど。Aさんに教えられたから、置きっぱなしにすることもやめたし。

「なあ、もしかするとAさんってさ、会社がもうすぐ潰れることに気付いて、早いところ退職したんじゃないか?」
「まさか、そんな訳ないでしょ。部長だって知らなかったのよ」
「そうだよ、運が良かったんだよ、Aさんは」

 同期の言葉にみんなは反論したが、俺だけは心の中で、それを肯定した。
 長いこと色んな会社に勤めてると、色々と勘が働くんだと思う。
 で、俺に私物は持ち帰るようにアドバイスして、金に困らないように貯金を薦めたと。
 でもだったら、俺達にも教えてくれたっていいのに。そうしてくれたらみんな、それなりの準備とか覚悟ができたはずなんだ。
 ふと気になることがあって、俺は先輩に尋ねた。

「先輩先輩、Aさんって転職多いのに、よく採用されましたね」
「○○商事で、そこそこいいポジションについていたって言うからな。本人もいい人だし、見る目がある奴なら採用するだろ。○○商事も倒産しなければ、ゆくゆくは部長とかになってたんじゃないか」

 ○○商事も、倒産前にやめたって言ってたよな、Aさん。
 これまでいくつもの会社を渡り歩いたみたいだけど、前の会社も、その前の会社も、どの会社も倒産前に辞めていたとしたら?
 倒産しそうだと気付いて、早めに退職していたとしたら?
 これっ、勘が鋭いってレベルかぁ!?
まだ日が高くて暑いのに、背筋がひんやりしてきた。
 Aさんからもらった空気清浄機は、俺の部屋の机の上に置いてある。
付けてるとなんか調子いい気がするから、家にいる時は必ずスイッチを入れるようにしてるけど、今日は使えそうになかった。


おわり

【あとがき】

「即興小説トレーニング」で書いたものを加筆修正したものです。
・お題:鋭い蟻
・制限時間:2時間
オリジナルを載せるのは初めてですね。
一人称の文章も久しぶりかも。

最近「即興小説トレーニング」にはまっています。
制限時間が短いから、思いついたものをとにかく書かないと時間がなくなるので、あまり話を練る余裕が無いんですよね。
どうしてもオリジナルが多くなります。
でも集中力がつくし、一人称の練習にもなるので、これからも挑戦しようと思います。

今回の話は、控えめに、でもしたたかに世の中を渡っていく人。そんな人をイメージしました。
あと、動物が危険を察知して回避しようとする能力。沈没しそうな船からネズミが逃げ出すとか、そんなの。
昔、アニメ映画の「はだしのゲン」を見た時、原爆が落ちる少し前に、蟻が列を成して家の中にゾロゾロと入っていくシーンがあったんです。
そのシーンだけは何故か妙に覚えていて、それがこの話に繋がりました。
(2013.02.28)


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