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黎明〜Aurora〜


―――1800年前。
いずれかの世界が滅びを辿り、神界の観測開始点から外れた年月。
次元の存在を脅かす者もない世界へひとりきり、彼女は降り立った。



ティズ×アニエス
黎明〜Aurora〜




 冷たい牢獄にも似た居城では、普段焚かれる事の無い暖炉に火が燈っている。
 この居城の主には必要のない炎は、随分使われていなかったと思しき薪を爆ぜさせていた。
 今が何日かはわからないが、彼女に残された日は多くは無いだろう。
 全て知った上でこの時代この場所に降り立った彼女には、伝えるべき使命が残されている。
 まだ死ぬわけにはいかないと、持てる生命力を全て擲って幾日にも渡りこの居城の主とその親友に伝えられる全てを伝え続けて居た。
 彼女が言葉を話せる時間は多くない。
 喋ろうとすれば腹部から痛みが走り、自分の生命を削っている事がはっきりと解るのだ。

(あと少し、どうか)

 残った腕で身体を触れば、止血する為の包帯が全身に巻かれているのが確認出来る。
 回復魔法ですら追いつかない程に、自分の身体の各所が存在しないのだ。
 彼女が目が覚めた事に気が付いたのだろう、この居城の主は物腰穏やかな声で彼女に語りかけた。

「目が覚めたかね、天使」

 その問いへと、注視しなければ解らないくらい僅かな動きで彼女は頷く。
 天使と呼んだ彼に、彼女は自らの名前を名乗ってはいない。
 名乗る暇も無かったといえばそれも理由のひとつだが、それ以上に彼女は心の内側で聴こえる声に名を呼んでほしかったのだ。

『アニエス』

 記憶の中にある彼の声が、彼女に優しく語りかける。
 最後の記憶にある彼は満身創痍、腕は利き腕だけを残すのみ。
 時を待たずに、彼は生命の火を消すだろう。
 思い出すだけで、アニエスの瞳に熱が籠められた滴が溢れ出す。

(ティズ、ティズ。もう一度、呼んで下さい)
『アニエス、よく聴いて……』

 彼の願いを果たす為にこの時代へ来た事を思い出すと、涙を堪えようと彼女は息を飲んだ。
 堪える為に力を入れ過ぎれば、また身体中に痛みが走る事を理解しているので、息を飲んで止める以上に溢れる分は流したままにしておくより他はない。
 その涙を、古城の主が指先で拭い取った。

「……ここにずっと居ては気分も晴れないだろう。少し、空でも見てみるかい」

 はらりと落ちた涙はそれを最後に、アニエスは彼を視線だけで見上げた。
 アニエスの記憶にある彼よりも、少しだけ若い気がする。
 気持ちの問題なのだろうが、初めて出遭った1800年後よりも柔らかい微笑みを向けられているように思えたのだ。
 いつも彼女は返事をしない。
 アニエスは語るべき時だけに語り、自分の為に言葉を発する事がないのを知っていて答えを待たなかった。
 彼は本来の身体を半分失くして随分と軽くなったアニエスに毛布を掛けなおすと、両腕で抱き古城のテラスへと足を向けた。

「寒くないようにはしているが、辛くなったら何か服でも引っ張ってくれればいい」
『アニエス、イデア、寒くない? ほら、こうしたらつま先が温まるよ』

 重ねて思い出されるティズの言葉が、どれだけしあわせな事だったのだろうとまた涙を零して彼女は自らを抱く彼の胸に縋り付く。
 彼の両腕は人間の温もりとかけ離れていた。
 古城の主は、既に熱量を必要としない身体なのだと改めてアニエスは思い知らされる。

(この人と同じ、冷たさに、ティズは)

 柔らかさはもう違うのだろうが、冷たさだけならこの古城の主と想い人は同じ温度を保っている事だろう。
 そして次は自分もこの温度になるのだと思うと、純粋に怖くなった。
 肩の震えを確かめて、古城の主は彼女に声を掛けた。

「余り高く飛ぶと寒くなるからね。……ほら、空が見えるかい」

 彼の優しく静かな声が、アニエスの視線を導く。
 白くなる月が水平線へと降りゆく様は、まるで消えるようだ。
 その消える月を、まるで自分だと彼女は考えた。

(役目を終えれば、私もあの月のように、消えるのですね)

 視線を移しただけで反対側を見せてくれた古城の主は、ずっとアニエスを見守っているのだろう。
 地平線の彼方から藍色の緞帳が開き始め、空の色を塗り替えるのが見えた。
 光の縁が煌めいて、この世界に輝きを与えていた。

「……詩的な表現は私に似合わないがね、こうして夜明けを感じるのは人間らしくて、どこか安心するだろう?」
『もうすぐ、夜が明ける。そうしたらアニエス、君は行くんだ』

 人間らしい、と古城の主が言った時に、思わず彼女に微笑みが零れる。
 アニエスは思うのだ。多分この地に降り立った自分よりも、この地へ降り立たせた彼の人よりも、人間でなくなった古城の主は人間らしいと。
 自らの生命よりも、どこかの世界が生きる事を選んだ自分達より、よほど人間の本質に近い。
 もう一度、彼とこうして夜明けを見詰められたなら、悲しい想いも空に還り人間らしく生きられたのだろうか。

(ティズ、貴方にも見せたかった)
『僕はもう、君の顔も見る事はできないけれど』

 血に塗れた顔の想い人が、目を閉じたまま心の中で優しく微笑む。
 ここに来る前の戦いで視力を失ってしまった彼の代わりに、アニエスは世界へ生まれくる光を見詰めた。
 ただひたすらに、世界を塗り替えていく光がこの世界の命を繋いでいくのだと空が教えてくれる。
 彼にも教えたかったと、彼女は地上より少し高い所から小さな雨を降らせた。
 彼が命を懸けて守った未来は、こうして過去から輝きを増していく。
 彼がこれから生まれ死にゆく世界を、消えた世界に存在した証を残せるのは今となっては彼女だけ。

(貴方が守りたかった世界が、ここにありますよ)
『アニエス、君にこんな事を頼むのは酷いかもしれない』

 遠い未来に戻る事は二度と出来ない。
 彼のいないこの時代で、彼女は生を終えるように出来ている。
 迸る光は徐々に強くなり、光の根源が形を作り始めた。
 光の柱よりも、優しい光がここに存在していたのに、それに気が付けなかった自分をアニエスは責めた。

「私達は、こ、んな優しい、光の、中で生まれた」

 古城の主とその親友二人揃った時しか言葉を発さなかったアニエスが口を開いた事に、彼女を抱く男は目を見張る。
 途切れ途切れでも、それが彼女の語る預言とは別の意思だと古城の主にも伝わった。
 アニエスが咳き込むと、古城の主は彼女を抱き直し黒い外套を器用に片手で外して毛布の上から掛ける。

「すまない、戻った方がいいね」

 穏やかな声の先は心配そうに彼女を見つめる紅い瞳が、空の光に照らされて悲しそうな色を映し出す。
 その言葉に小さく首を振って、唇の動きだけで「もう少し」とねだった。

(あと僅かしかこの身体が持たないのなら)
『でも、君にしか出来ないと僕は思うんだ』

 想い人にもう一度逢える時の為に、綺麗な風景や優しい世界を出来るだけ心に止めて、彼に話したいのだ。
 強い意志を宿した瞳で、彼女は迸る光の先を睨む。
 そして、アニエスは古城の主が来ているシャツの袖を残った腕で引いた。
 それだけで、何かを言いたいのだと男は悟る。
 もう彼女は涙を零していなかった。

「……なんなりと、天使よ」

 彼女に仕える騎士のように、男は告げる。
 男からすれば、翼こそ持たないが天の遣わした告知天使である彼女には、あらゆる生命全てが跪き頭を垂れる存在だと考えたのだ。
 アニエスは地形を変える程の戦いの最中、オーロラを身に纏い光の中から壮絶な姿でこの地に降り立った。
 翼どころか、片腕はなくそれに応じた片足もない。
 強い意志を秘めた眼差しだけが、全てを物語るのみ。

「……光の、柱、について、お話し致します」
(私は、この地で最期まで生きる覚悟をしました)

 冷たく乾いた風が二人の間を吹き抜ける。
 今日という一日の為に生まれた光が二人を照らし、月の消えた側に影を創りだす。
 アニエスは生命の尽きる最後まで、彼の願いを叶えると誓ったのだ。

「戻ったら、ユルヤナを呼ぼう。それまで少し休むと良い」

 空の旅を楽しませてくれた古城の主は、低速で古城のテラスへと向かう。
 腕の中で、アニエスは、最後になるだろう世界の姿をこの目に焼き付けていた。

『この世界の真相を、僕達に伝えて欲しいんだ』
(貴方の願いは、私が叶えます)

 輝きを増す世界を後にして、彼女達は未来に全てを託す。
 彼と彼の願いに頷いた後、想い人は心から安心した表情で笑った。
 古城に降り立ち、この城の主が踵音を鳴らす。
 規則正しい音は名前を失くした彼女にとって最期になる旅路の幕開けだ。

『最期まで、一緒に居られなくて、ごめん』
(もうこの人生で貴方に二度と逢う事が出来なくても)

 彼が生きた証は、アニエスの胸に確かな光として存在する。
 最期だと言った彼の言葉はきっと間違いだと彼女は思った。
 これが始まりなのだから、終わりにはならないのだ。
 確かな想いだけを胸に秘め、願いを叶える為に語り継ぐ。
 世界の在り方を、真相を、何を成すべきかを―――これが、未来に繋がる黎明であると信じて。




リクエスト:スイ様
「志方あきこ/黎明〜Aurora〜」で「ティズアニ」
20131106

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