――月の女神の国、エストリア国、陥落。
その報せは、瞬く間に残る5大国に伝わった。
歴代魔王が現れた時も、6大国中唯一、一度も陥落した事のないエストリア国が、“戦力不明の魔獣に墜ちた”という報せは、5王国に対して恐慌を来すに充分な破壊力を持っていた。
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男女混合デルタ(前編)
両隣国のカルディア帝国とデュフェンド公国から直ぐに軍隊が派遣され、国王や他数名の首脳陣の訃報と、確認のとれた被害人数と状況、更に王女2人が行方不明だと各国に報じられる。報じた各マスメディアは更に追求しようとするも、城は厳重に封鎖され生存した敗残兵も両国で保護を受けている為、情報は増えぬままに足踏みをした。それ以上の調査をするには、城内に残る魔獣の数が多すぎた為、両国とも一度撤退を余儀なくされているからだ。
東の隣国カルディア帝国と南の隣国デュフェンド公国は避難民の受け入れ体制を整えたが、城下町からの避難民は予想を遥かに下回って少なかった。エストリアの住民は元来流れ者や傭兵などが多いため、魔獣に直接的被害の大きい城下町でも避難民が少なく、両国の首脳陣が安堵の息をもらしたのは言うまでもない。
実の所、両国が安堵の息をもらした理由は単純に避難民の受け入れという点からだけではないのも事実である。エストリアは建国の時から傭兵や、他国の犯罪者や貧困層の者、流れ者、闇市、闇ギルドなど、六王国の闇を一手に引き受けた街だったからだ。
だからこそ、各国の国民感情を考えれば大手を振って避難民を受け入れづらい。なおかつ、エストリア国の国民自体も他国に居られない犯罪者や流れ者などが多いため、自国内での結束意識が非常に強く、避難民として出る者は直接魔獣被害に遭いやすい城下町以外ではほぼ出なかった。
そして、それこそが千年以上もの間、魔物達からエストリアを自衛し続けてこれた不落の千年国家たる理由なのだ。
エストリア国は、領土の半分を深い森に囲まれた国である。
人目に付かない場所を探すならば森の奥へ逃げ込むのが得策だ。森には魔獣、魔物、夜盗、異種族の集落など、数え切れない類いの危険が存在するため、安全とは言い難いが、身を隠すには打って付けの場所と言えた。
「千年経っても相変わらずだな」
そう呟くのは、先の黒装束を着た男だ。
エストリア国が陥落し、一時的に街へ降りたが、カルディア帝国とデュフェンド公国の軍隊を見たリゼティエラは、「私は死んだ事にしたい」と暫く森の中で生活する事になり、2週間が経過していた。2週間、毎日同じようにして自衛方法を学び、魔獣を切り裂いて倒し、野に走る獣を狩り、森の実を穫り、落ちた薪を拾って生活をする。
全て、同行者である全身を東国風の黒衣に身を包んだ男、「ディー」――ロストバイブルの正体を隠すため、彼女がそう呼ぶ事にした――に教わった事だ。
「お前、ろくでもない物を身に着けているな」
ディーが呟いたこの言葉は、森に入る前に、立ち寄った街での事。リゼティエラは目立ってしまう長い金の後ろ髪を、魔剣より先に携えていたグラディウスで、ばっさりと短く切り落としていた。
発育前の彼女は、整った容姿も相俟ってか、綺麗な顔立ちの少年にしか見えない。ドレスと身の回りの装飾品、それから切った髪を質に入れて、路銀を確保する。彼女は、エストリアで女性は何かと困る事が多いのを知っていた為、少年のような格好で性別を隠す事にしたのだ。
服は、ディーに合わせて東国風の動きやすい装束選んで新調する事にした。新調した服に着替えたリゼティエラは、着替えついでに首に首飾り掛け直す。その様子を見て、ディーが呟いたのだ。
だが、彼の位置からはペンダントトップは見えない。
「ろくでもない?」
大切な執事から託された護符に難癖をつけられた気持ちになったリゼティエラは、眉をひそめ顔を渋くした。
彼が何を言わんとしているか少し考えて、彼女は尋ねる。
「外した方がいいと言うことか、ディー」
訝しげな彼女の問いに、彼は笑顔のまま静かに首を横に振った。相変わらずの口角を上げた貼り付いた笑顔も、見慣れてしまえば笑う中にも僅かに表情が見え隠れしていると知ったリゼティエラは、注意深く観察をする。多少読み切れない部分はあるものの、穏やかであるようだ、と判断した。
ディーは貼り付いた笑顔に更に口を歪めて言う。
「いや、面倒だが、それが何かは解って身に着けているなら別にいい」
彼は、リゼティエラに強要をしない。常に彼女の選択を面白がって傍観している節が見受けられる。ただ、アドバイスを求めれば謎かけのように答えを返す。ただ、それだけ。
彼女は、この首飾りが何かは知らずにいる。城内で数少ない信頼する人物が預けた忠誠の証、と質にも入れずに大切に取っておいたのだ。服の上から、ペンダントトップを握り締めると、平穏の日々に、あの悪夢のような一夜に――思いを馳せて、リゼティエラは目を伏せた。
「大切な人から貰った、護符(アミュレット)だ」
「…無くさない方が、いいだろうな」
少し驚いて、リゼティエラは視線を背の高いディーに向ける。目が合ってもディーの表情に変わりはない。間違いでも正解でも、悪戯に全ての選択肢を出して選ばせるディーの性格上、路銀には変えないのか、と悪戯な問い掛けをしてくるとばかり思っていた彼女は、ディーの呟きに真意を問いかねる。
だが、持っていた方がいいと言われたような気がして、少しだけ安堵したのも事実で、彼女はそれ以上踏み込む事を止めておく事にした。
リゼティエラとディーは小さな闇市での買い物を終え、身支度を整えると、軽い現状把握の為の情報収集を行った。
(そうか、姉様はまだ――見つかっていないんだ)
王女2人が行方不明と知ったリゼティエラが安堵の溜め息を漏らす。生死不明、つまりは丸ごと魔獣に捕食されてしまった可能性も無いとは言えないが、リゼティエラは自分より魔力と剣術を持ち気高い姉が殺されたとは思えないでいた。
魔獣に荒らされた形跡のある街では情報も錯綜しがちで余り当てにはならず、森に潜んで機を伺っていた彼女は新しい情報を求める事にした。
次第に頭の中が整理出来るように回復してきたリゼティエラは、城下町以外の状況を知りたくなったのだ。街の様子を見るべく、城下町よりひとつ先の街を選んで進路を進める事をディーに宣言した。
「この先の街は城下町に較べれば大した事は無いがかなり大きな街のはずだ。私はそこに向かいたいと思う」
旅の目的や進路は、必ずリゼティエラが1人で選ぶ。それに軽くアドバイスするだけ、というのがディーの基本スタンスだ。それにリゼティエラが文句を付けた事はない。
何しろ、これは彼女が1人で決めた旅立ちなのだから。
ディーが反論する事も無く、二人は街に向かって進路を取った。鬱蒼と茂る暗い闇の森は、ディーの案内が無ければ迷いそうに深い。森の中で道を選び、歩を進める矢先、2人は魔獣に襲われている1人の少女の悲鳴を聴いた。
(―――姉様、だったら)
姉だったらいい、という期待と、そうではないだろうという現実味を帯びた確信を揺らしてリゼティエラは走る。ディーには「森で何が起きても関わるのはお前に取って不都合が多いから放っておいた方が懸命だ」と言われている。
それでも、確かめたくてリゼティエラは近くの悲鳴へ走った。
そこに居たのは、あの時の父王を殺した魔獣でもリゼティエラの姉でもなく、森に生息する焦茶色の大きな魔獣と、緋色の髪を高く結い詰めた少女一人。何故、少女が一人でエストリアの闇の森にいるのかは解らないが、エストリアでは奴隷や逃げ出した侍女、夜盗、薬師など多種多様な人間が森に入る。
森は余りに広く視界が悪いので人間に遭遇する方が稀である。どうして遭遇したかは考えてもわからないので、リゼティエラは理由を考えるのは止めておいた。
「ディー、あれを討伐するぞ」
ディーはリゼティエラが魔獣を倒すと決めた時も乗り気では無さそうにしていた。だが、見てしまったからには無碍には出来ない、とそのままディーに命令する。
流石にリゼティエラも人間なので、目前で人が殺されるのを黙認してはいられない。
理由をディーに問われた時、彼女は抑揚が少ない声で憮然とこう返した。
「エストリアの国民は、盗賊でも国民で、それを護るのが王族だからだ」
自棄になってこじつけた理由である事は見抜かれていたが、「…了承した」とディーはそれ以上の反論はしなかった。
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執筆者/羽織 柚乃
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