鳳凰戦華伝
肆
そんな朴玻村から、だいぶ距離をとった小高い丘に、月下と美和、そして子供達がいた。
砂煙と炎が立ち上る村を、深刻な面持ちで眺めている。
「大丈夫なのかしら?花椿さんは」
美和は子供達を怖がらせないように頭を撫でてやりながら、細々と呟いた。
「分からない。戦い通しだもの。いくら椿でも、限度があるわ」
片手に剣を携えた月下は、丘から村を見下ろしてその場に腰を降ろした。
「人って言うのは、長い時間戦い続けると、その内に嫌でも精神力を削られる。それに、どんな名刀でも生身の体を切りつければ、それだけ刃は脆くなるわ。人間の戦いは長期戦には向いていないのよ」
月下は腕に抱えた自分の膝に顔を埋め、静かに説いた。
花椿と名乗る彼女にずっと着いてきた月下は、その人がどれだけの思いを抱えているのかを、よく知っている。
だからこそ、自分は彼女の思うようにさせてやりたいと思うし、そうあるべきなのだと思う。
だが、言い様のない不安はどうしても募る。
もしかしたら彼女は死んでしまうのではないか。帰ってこないのではないか。危機的な状況の中では、思考は悪い方へ進んでしまうのだ。
「……風向きは、西。少しずれてる」
後悔と戦闘を繰り広げていた月下は、不意な美和の呟きに、顔を上げた。
「美和さん?何してるの?」
木の葉を千切って飛ばしたり、自分の指を舐めたりしていた美和は、直接な答えは言わずに、違う答えを月下に返した。
「弓を使うに当たって、一番気を付けなければならないのは、風向きなんです。弓から放たれた矢は支えがありませんから、どうしても風の影響を受けます。その風がどんなものになるかは、まぁほとんど運ですけど」
おもむろに木を曲げ、しなるそれに体重を掛けて、思い切り折る。
豪快な音が鳴り響き、根から切り離された細い木は地面に倒れた。
「今はまだ昼ですから海風です。西風なんで、多分西に海があるんでしょう」
確かに、朴玻村を少し西に行くと、違う土地に出て、礁舞海岸と呼ばれる場所があるが。
月下はそれだけでは美和がやろうとしている事に理解を付けられなかった。
「西風なら、多分朴玻村に届きます。それなら、この辺の木はないほうが良いでしょう?」
そう言われて月下は、自分の刀を持ち直し、あたりの木を縦横無尽に斬り倒し始めた。
その間に美和は、辺りに落ちた木を使って、器用に弓を作りはじめる。
腰の巾着に入っていたのか、紐や弦まで取り出してあっという間に、大きな弓を三本拵えた。
その頃には、月下は辺りの木をすべて切り倒しており、切ったその樹木から弓矢を何本も作り終えていた。
「さて、これで後は、放つだけ」
あっという間に巨大弓矢を完成させた二人は、それぞれ一つずつ巨大な弓を受け持つことになった。
「あと一個は?」
月下が、弦を引いて張り具合を確かめながら聞いた。
同じように照準を合わせていた美和は、すぐ近くの藤を呼んだ。
「彼がやるの?」
「大丈夫ですよ」
美和はさらりと言ったが、藤はまだ十二歳ほどだ。
月下の不安もよく分かる。
だが、当人が案外平気そうなのを見ると、あまり気にならなくなる。
不安はあるものの、一先ずやってみることにした。
「風向きが変わらない内に手当たり次第に打っちゃいましょう」
と言う美和の提案で、とにかく打ち続ける。
放ってみれば、重い弓矢はあまり風に左右されない。
これなら、と三人は弓矢を放ち続けた。
その頃、椿は誓府の兵士と死闘を演じていた。
人並み外れた体力を持つ彼女であっても、大衆の中で戦い続けるのは難しい。
時間が過ぎるごとに、椿の動きは確実に鈍くなっていった。
「若いの!立ち止まれば死ぬぞ!」
老人が叱責するが、椿はうまく動く事が難しくなっていた。
ぐらりとする視界の中で、歯を食い縛り、疲れた体を奮い立たせる。
「さすがに不味いか……」
自嘲気味な笑みが溢れる。
こんな時でさえ笑っていられるのだから、相当に神経が図太いのだろう。
振り上げられた敵の腕を視認し、椿は太刀を握り締めるが、それが上がる事はなかった。
彼女には見えていたのだ。
後方から、銀色の光を放つ物体が敵の背中に向かっているのを。
ザクッと残酷な音がして、眼前にいた男は驚きを隠せないまま、地面に倒れた。
男の背には、木の枝を弓矢の形に加工したものが、深々と突き刺さっている。
「味方に当たる事も考えろよ」
椿はそれが飛んできた方向を見つめ、呆れたように呟いた。
絶え間無く放たれる木の矢を一つの頼りとして、椿は再び戦場へと身を投じた。
「ほんと、味方に当たったらごめんなさいだわ」
大弓に矢を掛けながら、月下はそう言った。
視力が良いとはいえ、この距離でそれを視認するのはかなりの技だ。
とりあえず、混戦模様にあるところには射たないようにしている。
隣にいる美和は、集中しているのか、月下の呟きも聞こえていないようだった。
そんな様子に、苦笑いを溢した月下も先程の雰囲気を一掃し、再び矢を射ち始めた。
その時だった。
「美和お姉ちゃん!危ない!」
いきなり、後ろで弓矢作りをしていた少女が声を張り上げた。
弾かれたように後ろを振り返った美和は、一つ舌打ちを溢し、一つ安堵のため息を吐いた。
「集中するのもいいけれど、もう少し周りを見た方がいいわね」
月下が、笑って言った。
美和の背後には、男が一人、大剣を振り上げていたのだが、美和よりも先にそれに気づいた月下が、男を蹴り上げたのだ。
「しっかし、まだ懲りないのかしら。さっき、殴ってやったでしょうに」
月下は蹴り上げた男を眺めて、笑いながら呟く。
その男は先程、春子と言う少女が捕まったとき、その報復として月下が昏倒させた中の一人だった。
「俺達も、必死なんだよ。生きてく為にさ」
男は立ち上がり、再び月下に刃を向ける。
どうやら、子供を人質に取るような事はしなさそうだ。
「必死、ね。言っとくけど、貴方みたいな給金をもらってる役人よりも、大変な人は沢山、いるんだからね」
「あぁ、そうだろうさ。でもな、俺達には俺達の、譲れない理由があるんだ。死にたくねぇんだよ」
男は卑怯な手を使う気はないようだったが、やはり甘やかされて育った人間は、甘い考え方だった。
月下はそれを思い、唇を噛み締めた。
「死にたくないのは誰だって同じよ。自分達だけが可哀想と思わないで。世の中の八割は、貴方達以上に生きるのが辛い状況なのよ」
にわかに、その場が静寂と化す。
確かな感覚を持って、それが風のように流れていく。
男は何も言わず、その手に持つ大剣を構える。
嘆息した月下は、仕方がないと言った風情で、体術の構えをとった。
人は生きる事を、戦いを通してしか遂行出来ない。
共存を持てないこの世界は、戦う事でしか自分を生かせない。
嘆かわしい事だ。
ようやくと言ったところか、朴玻村の戦場は落ち着きを見せていた。
そこここに人が散らばるその村は、先日までの殺風景な印象こそ無いが、殺伐とした戦場の匂いが漂っていた。
倒れているのは、勿論兵士だけではない。
中には、村人もいる。
息をしている者も多いが、誰もが致命傷だ。
今、立っているのは、村人の何人かと椿、幻黎組の人間、それから相手の司令官だけであった。
「もう引け。この状況では、勝ち目はないだろう」
老人が、司令官へと声を掛ける。
司令官の男は、それを受け入れがたいようで、老人を睨み付けたまま微動だにしない。
「言って置くが、もしお前がこれ以上手を出す気なら、私も容赦しない」
本音を言えば、椿も立っているのが大変なぐらいだったが、表にそれを出さず、男に太刀を向けた。
「生きている兵士は、手当てをして帰そう。その変わり、この村に金輪際近づかないでくれ」
村の若い男が言った。肩で息をして、辛そうな表情をしていたが、気丈な性格なのか、その瞳に疲れはない。
次々に言い募られ、司令官の男はいくつかの条件を出し、同じように条件を出され、それを守る事を誓った。
勿論、それを破れば命はない。
それを言ったのは椿だ。
彼女も余程気丈なのか。
しっかりとした立ち姿は相変わらずだった。
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