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鳳凰戦華伝






なんだかひどく寝苦しい。


窓辺で眠っていた椿は、寝苦しさに目を覚ました。


「……何だ?」

そんな呟きが落ちた。

妙に焦げ臭い気がする。


「これは、煙?……油か?」

椿はすぐにその焦げ臭さの原因を突き止めた。

部屋に黒い煙が充満している。
どこからか、油のような匂いもしていた。

「……火事か」

それを感じた椿は、ほんの少し、自嘲気味に笑む。


すぐに腰を屈め、身長を低くして部屋から抜け出た。




廊下は見事に火の手があがっていた。

状況の割に、椿は冷静だった。
ただ、寝てる間に煙を吸ってしまったので、呼吸が苦しい。

耐えられないほどではないと、脱出を試みていた。


「出火場所は下か……」

階段の辺りまで来て、これまでとは比べ物にならない熱さが襲う。

そろそろ息も限界に近い。
早く脱出しなければ。




そうして階段を離れた時、ふとどこからか泣き声が聞こえた。


椿は脱出を後回しにし、すぐさまその泣き声の主を探した。

「お母さぁん!ゲホッ!誰か……ゲホッゲホッ!助けて!」


その少年少女を探し当てるまで、さして時間はかからなかった。

主に泣きじゃくっているのは少女の方で、少年はその少女を宥めながら、少女と傍らに苦しそうに倒れる母親を一生懸命に煙から守ろうとしていた。

その様子を、彼女は昔の自分と比べてしまった。
無力で何も出来なかった自分。
目の前で倒れる母親を必死に守る少年。
椿は、足から力が抜けていくような感覚に襲われた。


だが、そうもしていられない。
子供達はかなりの煙を吸ってしまっているらしい。

猶予は無かった。




「大丈夫か?」

椿は直ぐに駆け寄り、少女を撫でた。
少年も涙目で見上げてくる。


「お姉ちゃん、ゲホッ!誰?」

「今は喋るな。口を押さえていろ」

そういって、椿は布を二人に渡した。
素直に頷いた子供を見て、二人の母親であろう女性を肩に担ぎ上げる。


「さぁ、行こう」


そうして子供達に手を差し伸べ、煙と火の手があがる中、脱出口を目指した。










月下が帰ってみると、すでに宿屋は火の海だった。


荷物を投げ出し、人を掻き分け、ようやく入り口にたどり着くと、そこには宿の女将さんの姿があった。


「女将さん!何があったんですか!」

「あ、あぁ。あんたか。実は、いきなり黒ずくめの男達が来て、いきなり火を放ったんだ。直ぐに気づいたあたしや一階の客はまだ良かったが、二階の客は……」

暫く時間が経っているのか、案外と女将さんは落ち着いていた。彼女や一階の客が助かったのは良かったが、それよりも月下は椿の事が気がかりだった。

外からのこの光景は、あの時の状態に酷似していた。



月下は覚悟を決めると、火の中に足を踏みいれようとした。


「お、おい!止めな!今、火消し屋に連絡しに行ってる!彼らが来るまで、それまで待つんだ!」

「そうだ!こんなとこで死にでもしたらどうする!」

火に足を入れようとしたが、それは見事に村の男達に止められた。

さすがにいくら強いと言っても女の身。
男の力には敵わない。

「放して!……助けなきゃいけないの!あの子は、私が助けなきゃいけないの!放して!放してよぉ!」

それでも男達を振り切り、再び火の中に飛び込もうとする。

そんな月下の耳に、あの下卑た笑いが響いた。


「全く、これだから煩い蝿は」

「もう夜も深いと言うのに、何をそんなに騒いでいるのか」

「なんか蝿共が飛び回ってるな。時期じゃねぇってのに」

「年中いるのは害虫の特徴だろ」

「あぁ成る程」

「それに雌豚までいるぜ。女の分際で俺達に楯突きやがる」

「あ〜、煩い煩い」


村民は、酒場にいたあの役人の男達をにらみつけた。
手を出せない自分達を悔やむように唇を噛み締めながら。


男達の声を聞いてしまった月下は、凄まじい速さで剣を抜いた。

炎に輝く銀の刃が、きらりと揺らめいた。

「もう一度、言ってみなさい」

その声は、恐ろしいほど静かだった。
村民達が、思わず一歩下がってしまうほどに。

「あぁ、何度でも言ってやるさ。女の、しかも愚民の分際で俺達に楯突こうなんざ、百年速いんだよ!!」

「あんまり生意気な事言ってっと殺すぞ!!」


火花がはぜるなか、月下の態度は静寂に包まれている。


「……殺す?私を?酒場で散々思い知らせてやったのに、まだ、分からないの?」

発せられた声は、笑いさえ含んでいた。

しかし愚かな男達は気づかない。


「あの時は、彼女がいたから何もしないでやったけど、今は、ね?」

剣の刃に舌を這わす彼女は間違いなく狂気だ。
その変わりように、村民はただただ驚くだけ。


「多少、怪我しても許してね?」

月下は笑うと、剣を構えながら男達に近寄った。

男達はさすがにそれに気付き、腰を抜かしそうになりながら、自らも剣を抜いた。




そのまま降り下ろされた刃は、間違いなく男達を切るはずだった。

だが、その刃は途中で止まることになる。





「止めろ!!」

鋭い二つの声が走る。
一つは彼女の前方から男の声。

そしてもう一つは、燃えているはずの後方から低い女の声。



まず彼女が見たのは、後方だった。


「止めろ。月下。無闇に人を切るな。そう教えられただろう」


そこには、火の前に椿が立っていた。

すらりとした立ち姿のまま、そこにいた。


泣きそうな月下はすぐさま剣を下ろして、彼女に駆け寄った。

「つば…き様。よくぞ…ご無事で」

「何が、様だ。気持ち悪い。頭でも打ったか?」

珍しく笑いを浮かべる椿の肩には、数人の人が担がれていた。


ひとしきり笑った後、椿は人々を下ろした。


「すまない。近くに医師はいるか?この人達を見てやってくれ。金なら払う」


側にいた男性に声を掛け、手を繋いでいた子供の頭を撫でた。

子供は気持ちよさそうに瞳を閉じている。



その様子を見てから、月下は前方の声の主を振り返った。


すっかりもとに戻った月下は、少し弱く笑んだ。


「貴方もありがとうございました」

「いや、君が人殺しなんてすることないよ」

男は優しく微笑んだ。
柔和だが、芯の強そうな男性だ。

「俺は火消し屋の優真。よろしくな」

「私は、月下と言います。どうぞよろしく」




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あきゅろす。
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