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眠れぬ夜は息を殺して下

夜の更けた町を二人で手を繋いで歩く。昼間と違って人通りが全くと言っていいほどないので、どれだけ寄添っていても後ろ指指される心配は無い。とても静かで、穏やかだ。僕らのアパート周辺は割と郊外のほうにあるので、ネオンじゃなくて街灯と星が代わりに町を照らしていて、越してきたときは感動したものだ。…そういえば久しぶりだ、夜に二人で星を見るの。


「なつお、星が!」
「ん。みえてる」

興奮して少し先を行く僕に引っ張られるようにして歩く夏生のほうを振り仰ぐ。ちょうど夏生の髪を夜風が揺らして、彼がうっすらと瞼を閉じるところだった。うわ、聖書に出て来るミカエルみたいに気高くて、なんだか人間じゃないみたいだ、思わず見とれてしまう。すると気持ち良さそうに目を細めていたはずの彼が視線を感じたのか急に目を開けた

「…どうしたの?ちー」
「えっ、いや、あ、夏生は夜が好きなんだなーと思って」
「?うん。なんか夜のほうが安心する」
「そんなもんかなー、夜のほうが不安になるけどなぁ、幽霊とか、こわいし」

だって夏生、夜にときどきいなくなるし、という言葉は飲み込む

「ちーはこわがりだねー」

「…うるさいな。おれはやっぱりうん…夕方が好きだな、だってさ
「さびしげだけどなんかあったかいから、でしょ。前も言ってたもんね」

そんな些細なことを覚えててくれたのかとちょっと面食らう。ちゃんと相手の記憶に自分がいるんだ。それは、とても、嬉しいことだと思う。僕が静かに感激してる間に、ふいに会話が途切れて二人を沈黙が包んだ。もっと夏生と話したくて僕は考えなしに無理矢理会話を繋ぐ

「あ…夕方、といえばさ、さっき夏生の部屋に入ったときみたんだけど、おれ携帯前壊しちゃったんだっけ?全然覚えてなくてさ処分めんどくさかっただろ」

言ってる途中で、しまったと思った。もしかして夏生が触れてほしくないことに触れてしまったのかもしれない。夏生は沈黙を守っている。ああ、せっかく機嫌も直っていい感じの空気だったのに、僕の馬鹿。…うん、そうだよな、別にたいしたことじゃない。あの携帯は見なかったことにしよう、僕はなんにもみなかった、何も見つけなかった。よし。


「や、あはは、夏生ごめんやっぱ勘違
「本当になんにも覚えてないんだね、ちーは」

夏生が微笑んだ。冷ややかな声で。僕の目を見ているけど別の景色を見ているような、不可思議な目つきをしている。まただ。時々、夏生がわからなくなる。こんな表情のときの彼は、夏生だけど夏生じゃないんだ。いつも僕だけが世界の隅に置いてけぼりを食らう。感情の抜け落ちたようなその瞳に僕は映っているのかと詰め寄りたくなる。とりあえず早くこっちのほうに戻してやらないとだめだ

「ははー、かもしんないなー。俺忘れっぽいし。さ、帰るかもう満足したしさ
「ちーの部屋の隣は元々誰の部屋だったんだっけ?」

何言ってるんだ。お前の部屋だろ、なんでそんなことを聞くのだ。

「俺が住む、前だよ」

僕の考えていることを先読みするように夏生は言う。知るかよ、そんなこと僕は覚えてないし、今なんでそんな話をするんだ。僕のわからないのを楽しんでるかのような夏生の態度にこっちも段々苛ついてくる

「あーもうさ、別にそんなんいいじゃん。帰ろう、最近はここらも危ないんだぞ、きょうテレビであったけど、通り魔事件とかも起きてて…

「ふふ。だいじょうぶだよ、ちーは」

「え?」

「ちーだけは、だいじょうぶ」

「それって…意味…え…?」

根拠のない自信にしては、気休めとは違う断定的な確信が込められた言い方だ。あり得ないことだと、まるで自分の解釈の範囲内にたやすく収まるような、至極当たり前で分かりきったことの法則を告げているような、

まるで、自分の行動の中にある絶対的なルールを読みあげるかのような、
そんな絶対的な。背中に嫌な汗が伝う。


「な、なんでそんなに言い切れるんだよ」

「さあ、なんでだろね。でもどうでもいいじゃん、自分たち以外の人間が傷つこーが死のーが」

あまりに無機質なその答えに、僕は何の反応も返せなくなる。まさか、と問いかけようとするもう一人の自分を必死に抑えた。心臓の音が向こうに聞こえるんじゃないかというほどにドクドクと五月蝿い。目が柔らかく弧を描いた。息を呑む。こんなの夏生じゃない、怖い怖い怖いーーーーー

反射的に踵を返そうとしたら、もの凄い力で手首を掴まれた。笑えてくるほど相手は無表情だ

「は、離せ…」

「ちー、もしかして、俺が、こわいの?」

ゆっくりと発声する夏生。そんな暗い目でこっちを見るな、なにかを拒絶してるのはお前のほうじゃないのか。今は、ただ夏生が得体の知れない闇のようで恐ろしくてたまらない。後ずさる僕の後ろは、壁。逃げれない。夏生のしなやかな両腕が、すうと伸びて来る。五月蝿いほどに警鐘がいや心臓の音がまだ鳴っている、まただ、頭が、痛い

「いた…あたま…」

「…あのときみたいにぜーんぶわすれちゃえばいいんだよ、そしたらずっと幸せだよ」

「あの…とき…?」



夏生の白くてこつこつした指が、僕の首筋を撫でた。




きょうから…ーーーはーー…のーー




そっか、そうだったね。



「…さ。おいで、ちー、帰るよ」

夏生の手が首から離れて、僕の手をさらりと握る。

「うん。帰ろう」

何事も無かったかのように僕らは歩き出す。さっきのことなんか夜の暗闇にかくすように、まっくろに、まっくろに、塗りつぶす。

「すこしさむいね」

「もう夏なのにな」

握っていた手の力をそっと抜くと、また強く握り返される。思い出したんだ。そうだった。そうだったよ。

川田夏生はあの日から僕の日常を確実に歪めてきたんだ


***


部屋に帰るとすぐに夏生は、シャワーを浴びるからと言って浴室に行ってしまった。水の跳ねる音を右耳で聞きながら、僕はすっかり寝る前の習慣として体に馴染んだあのサプリメントをベッドサイドで口に含んだ。喉が一旦異物を拒絶してから結局管を通るのを感じる。目を閉じる。息を吸って吐く。目を開く。

テレビの上で伏せられたままの写真立てが、また視界に入ってくる。

自分でも笑ってしまうくらいゆっくりとした動きでそこに近づく。心は、穏やかだ。

写真立ての中の写真には微笑む僕と、夏生ではなく、女性らしき人が映っていた。らしき人、ただし首から上が切り取られていて誰だか判別しようがないその人。

この人のこときっと知っているんだ、おれ。


お風呂場の湿った戸が開く音がした。僕は静かにそこから離れて素知らぬ顔でベッドに座る。まるでなにもみてないとでも言うように

「ちーお風呂いいの?」

「んー昼間入ったから」

そっか、と言った夏生が近づいてきたと思ったら、とんと体を押され僕は後ろに倒れた。すぐに、濡れた髪のままの夏生が黒い影になって僕の上に覆い被さる。シャンプーの香りが濃くなった。夏生の髪から水滴が滴り落ちて僕の頬に垂れる。少し不快だ。

「…夏生どうした?」

「ううん。ちー、好き」

離せ。気持ち悪い。なんで男に愛の言葉を囁かなければいけないのか。そう叫びだしそうな自分の感情を、偽物の愛情の色で塗り潰す。

「おれも好きだよ」

そうだよ僕はコイツが好きなのだ。憎たらしい程好きなのだ。

「どれくらい?」
「アクリル絵の具をキャンバスの中にこれでもかこれでもかってぶちまけたくらい」
「そうか、嬉しい」

嬉しいのかよ。僕の中のイメージは、そのアクリル絵の具の色は黒一色だけど。…否、好きなんだ、僕はコイツが好きなんだ。

そう思わないとやっていけない。

「オレも、ちーを好きすぎて」
「…て?」
「うーうんなんでもないよ」

言ったらちーが恐がるから言わないよ。そう言い川田夏生は心底楽しそうに笑った。

川田夏生は僕の命綱を握っている。僕を生かすも殺すも、不本意ながらコイツの自由だ。だから絶対に逆らっちゃいけない。白と言われれば黒でも白と言わなきゃいけないし、相手に好きだと言われれば、…そうじゃなくても好きだと返さなければいけない。

庇うわけじゃないが、強要されてるんじゃない。でもそうする方が円滑に生活できる。一緒にいることになんの違和感も感じずに済む。好き合ってるから一緒にそう思わなきゃ、気が狂いそうになる。

「ちーちーちーちーちーちー」
「ん?」

「もうちーはオレのだよね。ずーっとオレだけのちーだ」

そうだ。僕はあの雨の日から、川田夏生の所有物になったのだ。
断片が、繋がっていく。


バタフライナイフがコイツのポケットに
常時入ってることを僕はとっくに知ってる。

視線から逃げるようにもぞりと寝返りを打つが、やんわりとまた元の方向を向かされる。頬に相手の手が伸びる。そっと頬を撫でる手も、いまの僕にとっては這い回る蛞蝓でしかない。するとその手がするりと首に落ちた。背中に嫌な汗が伝う。

「ちーにご飯食べさしてるのになんでこんな細いのかな」
「…夏生だって細いよ」
「オレはあんま食べないから」
やわやわと締めて緩めてを繰り返すその手は、いつその力を最大にするか分からない。相手の恍惚な表情をみてるとぞわりと鳥肌が立った。

愛情を注がれれば注がれる程、同じくらい否それ以上の憎悪と愛情とが、噴き出しそうになる。押し潰されてしまいそうなんだ。

だから、偽物の気持ちで塗り固めてきたんだ。

飽きたのか夏生が僕の首から手を離し、慎重な手つきで僕の体を起こす。僕の肩に顎をのせた夏生が、ぽつりと言う

「ねぇ、ちー」
「んー…?」


「ずっといっしょにいれたらいいのにね」



--でももうわからないところまで来てしまった。

偽物なのか本物なのかわからないくらいに、
僕は、夏生を。


「え…ちー?」

僕の顔を見た夏生がいつも以上に青ざめる。大丈夫だよと笑うけど逆効果みたいだ

「なんで泣くの?なにがあった?なにがちーを泣かせた?」

ねぇ、ねぇ、と肩を揺さぶられる。その力がどんどん強くなってることに夏生は気付いてない。

どうして僕らはこんな出会い方しかできなかったんだ、どうして僕ら同じ性別なんだ、どうしてそれでもお前は僕を好きなんだ、どうしてあんな破戒じみたとを僕なんかのために、

「ねぇ取り除くからその原因を根っこから取り除いてぐちゃぐちゃに握り潰してあげるから」

降り出した雨が溢れる涙が、もし彼と僕の罪を洗い流してくれたならどんなにいいだろう。こんな風に思うなんてそれこそ罪深いことだ。顔を覆っていた手を恐る恐る外すと美しい彼の困惑する顔が、そこにはあった。ひりつく頬についたままの涙の軌跡を手でぬぐい、乱れていた呼吸を少し整えから、彼をまっすぐ見据える


「じゃあ……てよ」


「…」

「 おれも、ころしてよ 」


夏生は笑う。困ったように。



「だーめ」


くらりと猛烈な眠気が襲う。ああなんでこんなときに。もしかして、そうか、ああお前、いつもくれてたサプリメントって


「さ、もう寝ないと」

必死に目を開けようとするが、瞼はどんどん重量を増していく。なあ、夏生、お前どっちなんだ。わらってるのか、ないて、るのか、ぼやけて、みえない



「なつ…お、でも…やっぱり…おれ、おま え が …」






安らかな寝息。こんなにも生きようと。
微かに赤い彼の頬を、月明かりが照らす。


「俺もだよ、ちー」


愛し恋しい我が背の君に
茨でこさえた足枷を
絶対に離れられぬよう
絶対に逃げられぬよう
絶対に、君が傷つかぬよう
がらんどうの瞳に写る
獣と骸骨にはどうか気づかないで
甘い夢を見続けて













嗚呼只深淵へと沈んで往く


あきゅろす。
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