片恋鬼ごっこ。 走って逃げる背を追いかけて、島崎は思いきり腕を伸ばす。 これでもかというくらい伸ばして捕らえた右の手首を力ずくで無理矢理引き寄せた。 「わっ」 突然背後から引っ張られた山ノ井はバランスを崩してその場にへたりこんだ。 「……つ、捕まえ…た!」 手首を掴んだまま、息を切らせて島崎は笑う。 山ノ井はうなだれて、苦しそうに呼吸を繰り返していた。 バカみたいにハードな練習の後に残された僅かな体力は、これでもう残ってはいない。 島崎も足元から沸き上がる疲労に勝てず、べたりと腰を下ろした。 「ヤマちゃんマジで逃げ足速え」 山ノ井は弱い力で腕を取り戻そうと歯を軋ませる。 「もう放せよ!子供が出来たらどうする!」 「今更そんなん出来るか!」 悔しげに口元を歪めてじたばたと振り回す山ノ井の手首を地面に押さえ付けて島崎は叫んだ。 「俺の勝ちだ。」 ぐっ。と距離を縮めて勝ち誇った笑みを浮かべる。 睨むように瞳を覗き込むと、山ノ井は面白くなさそうに顔を逸らした。 唇を尖らせて小さく「くそっ」と吐き捨てた横顔に、島崎は満足げに表情を緩める。 「笑うな!こんな時ばっか頑張りやがって!」 「人聞き悪いコト言うなよ、野球の方が頑張ってるだろ」 へにゃりと見せた島崎の笑顔に山ノ井は頬を膨らませ、どうだか。と小さく毒づいた。 暫くすると肩でしていた荒い呼吸も漸く落ち着いてきた。 なのにいつまで経ってもおさまらないどきどきに、島崎は一人首を傾げる。 「もー、なんか俺いっつも慎吾の時は負けてる気がする。俺のが足速いのに」 自信なくすわ。と肩を落とす山ノ井の前髪あたりをぼんやり眺めながら、島崎はもう一度首を捻った。 そうだ、周囲をぐるり見回せば、簡単に捕まえられるだろう相手はいくらでもいた筈だ。 けれどそれでも追いかけていたのは、いつも山ノ井だった。 離されないように強く脚を踏み込んで、行く手を阻む空気を掻き分けるように必死に走ったその先にある背中。 捕らえた瞬間の嬉しさをもう一度感じたくて、振り向いた時に見せる悔しそうな表情を何度も見たくて。 胸の中が擽ったくなるような感覚に口元がどうしようもなく緩んで、その度山ノ井に「笑うな」と怒鳴られるのだ。 それもまた、胸が静かな熱を生み出していた。 「仕方ねーな、諦めっか」 糸が切れた操り人形のように身体を揺らして、山ノ井はふらりと立ち上がる。 繋がれた手をするりと解いて「行こう」と島崎に疲れた笑みを落とした。 「やめる?」 地べたから腰を上げず、島崎は少し遠慮がちな声で尋ねる。 「他の奴捕まえに行ってもいいよ?」 「なんで?」 「ヤマちゃん怠そうだから。イヤなら言ってくれていいよ」 見上げた視線の先で山ノ井は言葉を量るように、島崎の双眸をじっと見つめていた。 小さな瞬きをして、ふと口角を上げる。 「なーに言ってんの」 目を細めて明るく笑って、島崎の前にしゃがみ込んだ。 「俺を追っかけた後で、他の奴なんか捕まえられるわけないだろ」 島崎の淡い色の髪を乱暴に押し付けた右手で雑ぜながら表情を崩す。 楽しげにそう言って手を離し、山ノ井は膝を押して立ち上がると踵を返した。 「帰りに肉まん奢れよー」 空に拳を突き上げて、背中で島崎に笑いかける。 島崎は夕暮れの中で微かに見えた肩越しの笑顔に、先刻まで繋いでいた掌に沸き上がるほのかな温もりを感じていた。 どきどきする。 けどきっとそれは気のせいだってずっと思ってきた。 何回もダッシュした後よりも強く叩く鼓動も、プールから上がった後の少し曇ったような視界の先に見える姿も。 それが自分の中で確信あるものに変わった時、島崎はゆっくりと腰を上げた。 ――――― 後片付けは鬼ごっこで決める方式。 鬼はローテーションで、最初に捕まった人が一緒に片付けるのです。 もう疲れて何もやりたくないから逃げるのも必死。 その日最後の一番ハードな練習。 |