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甘い放課後。

島崎は図書室に本を返却した後、廊下に列ぶ大きな窓を打つ雨の粒を眺めながら教室へと向かっていた。
今年は夏らしい天気は長くは続かず、まだ9月も始まったばかりだというのに肌寒さを感じる日もある。
更衣はもう暫く先だけれど、ワイシャツだけは一足早く長袖に登場してもらっていた。
「あ、島崎」
階段を下りている途中で会った同じクラスの女子が手を振る。
踊り場から島崎を見上げて、教室の方を指差して言葉を続けた。
「さっき山ノ井が来てたよ」
「マジで?」
「図書室行ったみたいって言っといたんだけど、会わなかった?」
彼女は栗色のショートカットを揺らして尋ねるが、島崎はそれに首を振って返した。
細い廊下を互いが気付かずに通り過ぎる事はまず有り得ない、きっと山ノ井は島崎とは別のルートで図書室へ向かったのだろう。
「教えてくれてサンキューな」
島崎は軽く手を上げ礼を言って彼女と別れ、来た道を戻り始める。
しかしもう図書室にはいないかもと思い直し足を止め、ポケットから携帯電話を引っ張り出した。
キーを操作して耳にあてると、何度目かのコールの後で回線が繋がる音が聞こえた。
『何ー?』
挨拶も無しに唐突に始まる会話は、今更あらたまるような関係ではないからだ。
もしもしすらないのはどうかと思ったりもするけれど、まるですぐ傍にいるかに感じさせるこのカンジが、島崎はたまらなく好きだった。
「何って、こっちのセリフだろ」
回線の向こうの明るい声に、島崎は苦笑する。
休めていた足を再び教室に向けてゆっくりと踏み出して会話を続けた。
「なんか用事あった?」
『んーん、一緒に帰ろうって思って』
「そんだけ?」
『そんだけ』
ゆるゆるとした足取りで廊下を進みながら、変わらずに雨粒を落としている厚い雲を見上げる。
「したら教室で待ってたらいいのに。和己もまだいただろ?」
『んー、でも』
その時山ノ井の声を掻き消すように、頭上のスピーカーから教員会議を報せる召集放送が流れ出した。
受話器の中でも同じ音が聞こえている。
片手で耳を塞いで喧しい音を遮り、電話の声に意識を向けた。
『早くあいたかったから』
臆面もなく告げられた、愛の言葉。のようなそれに、島崎は小さく首を捻る。
端から聞けばそれはきっと紛れも無く甘い響きを持ったものの筈だった。
けれど相手は山ノ井だ、二人きりでもなかなか聞けない言葉を、誰が聞いているか分からない校内でなど気安く言うわけがない。
これは何かある。島崎の中のアンテナが“何かの予感”を強く感じ取っていた。
「ヤマちゃん、なんか企んでるだろ」
放送が終わり、再び静まった世界に疑念を含んだ声を落とすと、見えないところで山ノ井が少しだけ笑った気配をちらつかせた。
『さすが慎吾、勘が冴えてるね』
長いつきあいの中、こんなパターンは既に定番化しているのだから気付かない筈もない。
山ノ井も解っているから今更驚きもしないし、誉めたりからかうこともなかった。
いつもどおりの言葉のやりとりの後で、彼が発する提案に面食らう事は今でも時折あるけれど。
「で、今日は何よ?」
『あのねー、学園通りのケーキ屋さんがタイムセールでシュークリーム半額なんだよ』
お一人様2つまで!二人で行けば4コ買える!と浮かれた声が元気に教えてくれた。
甘いものに興味がない島崎にはメリットはないが、今回の寄り道は想定の範疇にある。
突拍子もないお誘いではないだけカワイイものだと島崎は胸を撫で下ろした。
「それ、俺いっこも得するトコないな」
それでも一応憎まれ口を叩く事は忘れない。モチロンこれもお約束。
『俺と一緒に帰れるのはもう慎吾には当たり前なんだね……』
「嬉しいですごめんなさい。」
山ノ井に不幸のどん底から響くような沈んだ低音で言われてしまえば、島崎にはそれをやり過ごす術はない。
わざとらしい涙声で、それが演技と知っていて、それも含めて全部がお約束ではあったけれど、何故だか逆らえない相手、それが山ノ井だった。
なんだかな、と思いながら島崎は口の端に浮かんだ緩い笑みを噛み殺して、漸く辿り着いた教室の戸を引き開ける。
「じゃあ早く行こう!」
足を半歩踏み入れたところで、閑散とした教室の中と携帯のスピーカーから跳ねるような声が同時に届いた。
「ヤマちゃん」
窓際の席に目を向けると、机に腰掛けて足を揺らしている山ノ井が明るい笑顔を寄越していた。
通話を切った携帯を鞄にしまって、ぴょんと机から飛び降りる。
自分の鞄を肩にかけ、反対側の手で島崎の鞄を抱えてパタパタと駆け寄ってきた。
「早く行かないと売り切れちゃうよ!」
忙しなく足をばたつかせて鞄を島崎に押し付けて、するりと廊下に走り出る。
キラキラと零れる笑顔は二人でいる時よりも生き生きとしているように見えて、島崎は鞄を抱え直しながら息を吐いた。
彼の中では甘い甘いお菓子の方が余程大きく存在を占めているのではないかと思わせられる。
けれど一緒に帰れる事で、まあいいかと思ってしまうのだから救いようがない。
「ヤマちゃん、買ったら1コちょうだい」
「別にいいけど。慎吾も食うの?」
「たまにはね」

お菓子相手に下らない嫉妬をするくらいなら、それを逆手にとってやる。
そんなの全部腹におさめて、シュークリームの代わりに胸やけするくらいの甘ったるさでヤマちゃんを抱きしめてやるんだから。

島崎は心の中で甘い算段を立てながら、軽いステップでケーキ屋へと急ぐ山ノ井の後を追った。


あきゅろす。
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