急な涙
「これから、お外に出たとき……車に気をつけてほしいの。ううん、車だけじゃなくて、飛行機にも電車にも、お船にも……、乗り物すべて……。けがしたり落ちたりひかれないように、ずっと注意して」
今回の件で車に注意するよう言うのならわかるが、それは言いすぎなんじゃないのか、と思いもしたが、あまりに朝比奈さんが必死な顔をするので、俺は黙っておいた。
「お願い……」
心底悲しそうに声を振り絞る朝比奈さん。こんな天使みたいな顔でお願いされて、断れる男がいるものか。少年もそれは同じだったらしく、やはり驚きに目を見開いたまま、う、うん、と短い声を出し、こくこくと頷く。
「気をつける」
まるで長門のようにつぶやいて、またも首をかくかくと動かす。わかったからもうやめろ、首を痛めるぞ。
朝比奈さんはその言葉を聞いて、安心したように微笑んだ。涙ながらに笑みを浮かべる朝比奈さんは見ていてまぶしいほどだが、痛ましくもある。
「じゃあ、約束ね。絶対よ」
朝比奈さんはそう言って、そっと細い小指を差し出した。最初はよくわからずぽかんとしていた少年も、合点がいったようで自らの手を差し出す。ゆびきりげんまん、と小さく絡まった小指を動かした朝比奈さんは、儚げに微笑んでそっと立ち上がった。
「あの、危ないところを救っていただき、ありがとうございました。以後気をつけます」
小さな体からは想像できないようなその口調に、かしこいなんて以前に無理に背伸びした感じを受ける。立ち上がるなりぺこんと頭を下げた少年は、「それでは失礼します」と言って軽い足音とともに立ち去った。
少年の背中が完璧に見えなくなったころ、信号もすっかり変わって、背後で車が行き来し始める。しかしあそこで話していなくてよかったな、まだあそこにとどまり続けていたら、何度もクラクションを鳴らされたに違いない。
とかなんとか思っていると、急に腕をぐっと掴まれる。何に掴まれたのかと思い視線を下げると、そこには小さく震える小鹿――もとい朝比奈さんの姿。
「……え?」
予想だにしない出来事に、すっかり頭の中が真っ白になる。名前に泣かれたときにも思ったが、女の子の涙はこたえるな。朝比奈さんがなぜ泣いているのかもわからない俺には、慰めの言葉すら出てこなかった。
ひたすらどうしたんですかとかどこか痛いんですかとかしか聞けない俺に、朝比奈さんはただ泣き顔を晒すだけだ。
「あの、朝比奈さん」
「……ぅ。うっ……ぅ」
ハルヒにさんざご無体なことをされてきて泣いた、あんなのは軽いものだったんだな、と思わせるような泣き方だった。そりゃもうボロボロだ。普通こんな愛らしい少女が涙で肩を震わせているのならば、その華奢な肩を抱くなり体ごと腕の中に閉じ込めたりするべきなのだろう。でも俺はなぜか、そんな気分にはちっともなれなくて、ただ泣き続ける朝比奈さんを見下ろすことしかできなかった。
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