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名前を教えて


普通、誰かが事故に遭いかけたら、真っ先に悲鳴をあげて動揺するであろう朝比奈さんが、まるで魂を抜かれたかのように呆けた顔で俺たちを見ているのは、ある種異様だった。

「朝比奈さん……?」

「だから……そうだったの。だからあたしは、あたしは……、ここ、に……」

呆けていた表情が、だんだんと引きつるようなそれに変わる。
何やらひとり納得されているようだが、話についていけない俺はそれを見ているだけしかできない。かと思っていたら朝比奈さんは、何かに操られるかのような動きでふらふらとこちらにやってきた。立ちあがった俺と、まだ腰が抜けてふにゃふにゃとしている少年を交互に見る――なんてこともなく、まっすぐ少年の元に向かってくる。
とにかくこんな道路のド真ん中で話をするわけにもいくまい、と、少年の脇の下に手を差し込んで抱き上げた。うむ、妹よりは重たいな。
歩道にさしかかったところで、朝比奈さんと合流する。それとほぼ同時に、信号が赤に変わるのが見えた。

「……大丈夫?」

朝比奈さんの小さな手が、少年の肩にのせられる。少年はこくりと頷き、肩に置かれた手を困惑した目で見た。俺に放り投げられた衝撃でずれたらしい眼鏡を、朝比奈さんが手を伸ばして直す。

「ねえ、君のお名前を教えて?」

何を言い出すかと思えば、急に朝比奈さんが少年に名を聞いた。脈絡のない問いかけに、少年だけでなく俺も呆然となる。少年は朝比奈さんの真剣な瞳をじいっと見返していたかと思うと、焦ったようにこくこくと頷いた。
少年の口から出た名前は、聞いたこともない名前だ。しかし朝比奈さんにはそうではなかったらしい。はっとしたように目を見開き、物悲しげに眉をよせて、顔を伏せる。

「……そうなの。あなたが……」

口の中で何かをもごもご言っていたようだが、後半のセリフは聞こえなかった。
さっぱりわからないと言った俺と少年をよそに、朝比奈さんはこれまた内容のとんだ話を口にする。

「ねえ、あたしと約束してくれない?」

自動車に轢かれかけ、間一髪のところでぎりぎり助かったかと思いきや、突然現れた美しいお姉さんに名前を聞かれ約束をとりつけられるなどという少年の立場になってみていろいろ考えてみたが、相手が朝比奈さんならば何も困ることなどないね。むしろ嬉しいことじゃないか。いやそうじゃなくて。
少年は戸惑いつつも、こくりと頷いた。念のためもう一度振り返ってみるが、事故って間一髪で助かったところを急に現れた綺麗なお姉さんに名前を聞かれ、素直に答えてしまった挙句約束してという言葉にこくりと頷いた――少年よ、将来デート商法とかに引っ掛からないよう気をつけろよ。気持ちはわからないでもないがな。



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