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子供と車


突然朝比奈さんが、聞く者すべてを切なくさせるような声を出した。

「もうそろそろ……でも…もう、……」

自分が声を出しているという自覚はないらしい。これはやはり触れないほうがいいな、と考え、俺は歩くことに専念する。腕時計を見ながら心底そわそわしている様子の朝比奈さんは、何度も腕時計と周囲に視線を行き来させた。
枯れきった桜の下を歩きながら、思考が横にそれていくのを感じる。やっぱりさっきのは、名前だったんじゃないだろうか。いや、たぶん確実に、そうだ。俺があいつを見間違えるなんて、正直なところないと思う。ここまで自信を持っている自分にいささかあきれを覚えるが。

とかなんとか考えていたのがいけなかったのか、慌てたように誰かが俺の服をつまんだ。誰かって、朝比奈さんくらいしかこの場にはいないわけだが。

「あっ、あの、キョンくん。こっちです」

「あ、すみません」

ちまりとした手に引っ張られ、散歩道を抜ける。道を渡ります、と言って朝比奈さんが信号に向かって歩き出した。ぱちりと色が変わって赤になり、すぐに進みだした足もすぐに止まる。
朝比奈さんの横に並び、信号が変わるのを待った。あまり使用しない横断歩道だが、それほど待たされることもなく、数秒の後に歩行者用の信号は青になる。

「じゃあ……、」

行きましょう、と朝比奈さんが歩きだす。
その時だった。

「あっ」

小声で朝比奈さんが叫ぶ。なんだ?小柄な体の向こうから、さらに小柄な体が飛び出した。影は子供の形をしていて、一目散に横断歩道を駆けて行く。もう青信号だから何も問題ない、元気なのはいいことだ、だがあんまりはしゃぎすぎたら転ぶぞ、なんて妙に老いた気持で考えていると、またも朝比奈さんが叫んだ。今度は先ほどよりも大きな声で。

「……!?」

モスグリーンのワンボックスカーが、減速もせずに突っ込んでくる。ギュギュギュ、なんていやな音をタイヤがたてていた。その明らかな不協和音に、横断歩道に飛び込んで行った子供が立ち止まる。短い髪の毛に眼鏡の、利発そうな子供。
子供っていうのは、危険を感じたら真っ先に気づくわりに、動きが止まってしまうものなんだ。その子供、小学生だろう、幼さがあふれる横顔も、例に漏れず緊張で強張って、動く様子が見られなかった。

「だ……、だめっ」

朝比奈さんが叫ぶ。何もかもがスローモーションだった。向かってくるワンボックスカーに撥ね飛ばされる少年の図が脳内にえらく具体性を伴って浮かんでくる。考えるよりも先に体が動いており、「この、バカ野郎!」そう叫びながら俺は、少年に向かって突っ走っていた。



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