Bathhouse
花村を連れて熱気立つ大浴場に向かったときには、彼女が落ちてから十分くらいは経過していたはずだ。あのスタジオにいないとわかったときには血の気が引いた。クマの証言を頼りにここに来て、大浴場の入口に靴が置いてあることに絶望する。
「入っちまったのか……?」
同じく靴を見つけた花村が、絞り出すような声でつぶやいた。失礼とは思ったが靴に触れる。少しあたたかい。靴を脱いで、まだそんなには経っていないだろう。
中に入ってまず周囲を見渡したが、彼女は見当たらない。少なくともエントランスにはいないようだ。
いつものように、クマには後ろからついてきて、中の様子を見てもらう。
「ん〜ムムム……。ここにはいないみたいクマ。でも、近くに気配を感じるクマよ!」
「わかった」
だとすると、二階くらいだろう。
ここは入るたびにダンジョンの形状が変わる。昨日七階まで進んだはいいものの、一度出るともう同じ道筋はたどれない。クマが覚えてくれる形状は、そのとき限りのものだ。
俺たちと違って彼女は普通の人間で、今までのことを考えると襲われないはずなのだが、胸の内がざわざわする。今日はこちらが晴れる日でもないから彼女も殺されはしないはず、それはわかっているのに、落ち着かない。
「くそっ……邪魔だ!」
花村が道の真ん中に立つシャドウに苦無を刺した。俺もペルソナで攻撃をする。今はもう慣れたものの、最初は俺だって花村だって、動揺した。これはなんなのだと、怯えもした。たった一人でここに訪れた彼女の恐怖がたやすく想像できる。
「鳴上!階段だ!」
「ああ」
湯気のせいなのか汗のせいなのか、額からこめかみあたりを何かが伝った。二階に上がったところで、後ろの方からクマの声が届く。
『ちょっと待つクマ。……あれ?気配が消えたクマ』
「はぁっ!?」
「……近くに気配はないのか?」
うにゃうにゃと気の抜けたクマの唸りが聞こえたあと、自信なさげな言葉続く。二階にはもういない、ということだ。
『ちょっちタンマ!すぐ上かもしれない……けど、すごく速く移動してるみたいで、気配がつかみにくいクマ……』
「走ってる……のか?おい、鳴上」
「……追われてるんだ!」
頭の中に浮かぶのはほとんど無表情でも、きっと彼女は今頃、その顔を恐怖に染めて逃げているのだろう。得体の知れない何か、ばけもののような(事実ばけものか)それから、走って逃げているのだ。
階段へと続く扉は、開かれていた。彼女が開いたと思うのが妥当だろう。だとすると、二階のどこかでシャドウを見つけ、下りる階段へと続く道を塞がれてしまったと考えられる。恐怖に満ちた人間の思考というものは想像の域を軽く超えるので、彼女が今どうしようとして、どこに行こうとしているのかはわからない。とにかく、シャドウから逃げようと走り回っているのであれば、すぐに合流できる確率は低い。
「クマは引き続き、気配を探っていてくれ」
『まかせるクマ!』
武器を持ち直して、分岐路に立つ。とにかく勘に頼って行くしかなかった。
[*←][→#]
[戻る]
無料HPエムペ!
|