蜃気楼 02 ―――来るな…夜……!! 夜叉は、自らの中にある『何か』とひたすら葛藤していた。 からん、とナイフが重力に逆らうことなく落下した。 乾いた音が、虚空に空しく響いた。 夜叉は顔面を両掌で覆い隠し、力無くその場に蹲った。悲痛な叫び声は、口からなおも出続けている。 イヴは、それをただ見ていることしか出来なかった。 「お願いだから…ッ僕を……」 懇願。 力無く、顔からずり落ちてきた掌は、濡れていた。 見ると、夜叉の灰の瞳からは止め処なく涙が溢れ出しており、絶えず頬を伝い雫が落ちていく。 「……夜叉?」 イヴは怪訝そうに、夜叉に声を掛けた。 「違う!!」 血を吐くように喉を裂く、凄まじい怒号。 「僕は……違う…ッ僕は…」 白い輪郭を這うように、雫が伝う。 「夜叉じゃ、ない」 顔を殴られたような衝撃をイヴは感じた。 ―――こいつ……夜叉じゃない? イヴの双眸が大きく見開かれた。 紅かった瞳は、元の金と銀に戻っていた。 「どういうことだ!お前が夜叉じゃないって…っ」 中身が違うのは分かっていた。けれど、それは夜叉の一部だと、そう疑ってはいなかった。 精一杯声を出してるつもりなのに、か細く囁いているようにしか聞こえない。 「夜叉は僕じゃない…っ夜叉は、僕の、『夜人』の……、最高…指令者だよ…」 夜叉は少し落ち着きを取り戻したようで、大分滑舌が回復した。逆行するように、イヴの顔は蒼白になっていく。 「僕は、ヨリ………」 よ……り………? カランと長いナイフがイヴの手元を離れ、地に身を落とした。 ―――よりって、だれ ―――やしゃって、なに おれがほしいのは、どっち ドッ…と、鈍重な音を立てて、ヨリの身体が地に倒れた。 瞼の下からは、絶えず涙が滴り続けている。 ゆっくりと、支えを失ったように、不安定にイヴは立ち上がった。 そして、ヨリのもとへゆっくりと、ゆっくりと歩み寄っていく。 足取りは覚束ず、半ば意識がないように見える。 「連れて行こう…。……あの人なら、何か教えてくれるかもしれない…」 イヴはそう呟き、ヨリを抱えようと腕を伸ばした。 > [*][#] |