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本編
2年前



一年ぶりの町は、当たり前だけどそんなに変わっていなかった。


住宅街の中にぽつぽつある小さな店はどこも健在で、よく行っていた本屋もおんなじようにそこにあった。

庭が立派な家を曲がって、少し進んだら珈琲の看板が見えた。住んでいた時は一度も入ったことがない喫茶店。重い茶色いドアを開ける。カランと軽いベルの音がした。

小さな店だ。席数もそんなにない。
すぐにわかった。

奥の席に座る、懐かしい背中。

店員に指でその背中を指し、ゆっくり歩き出す。

近付いたら本を開いているのがわかった。横に来てようやく、顔が上がる。

「よう」

懐かしさも何もない、普通の挨拶。

思わず苦笑して、前の席に座る。

俊也は本をテーブルに置いて、煙草を手に取った。

「元気か」
「うん」
「そりゃ良かった。呼び出されたから何事かと思ったぞ」

水を持ってきた店員にホットコーヒーを注文して、口を閉じる。俊也が煙を吐き出して、不機嫌そうな目が俺を見る。

「で、どうした」

うん、と頷く。俊也の声、目線。一年なんて短いのに、物凄く懐かしい。半分無くなっていた何かがじわじわと埋まっていく感覚。


俊也だ。


「……この一年」

空白を埋めるように、俊也をじっと見る。

「この一年、すごくキツかった。初めて働いて、わけわかんないことだらけで、周りに迷惑もかけた。社会人ってすごいなって思った」

俊也は黙って俺の話を聞く。ただ俺を見ている。

「俊也が俺を引き取った時、こんな感じだったのかって。あの時はすごく大人に見えたけど、多分すごくきつい時だっただろうなって」

ようやくあの時の俊也と同じ歳になった。

ただ守られてる時には気付かなかったことにたくさん気付いた。


泣いて、そして決心した。


「たくさんのものを犠牲して、辛くても俺に見せないで、守ってくれて。それがわかった。俊也、」
「……」
「父親になってくれてありがとう」

俊也が目を伏せた。ふー、と息を吐いて、ろくに吸わなかった煙草を灰皿に押し付ける。

店員が珈琲を運んできて、ごゆっくり、と微笑んで去っていく。ゆったりと流れるジャズのピアノが静かに流れていく。


「……礼を言う為にわざわざ呼びつけたのか」


目を開けた俊也が苦笑する。それもあるけど、と呟く。

「お礼と、あとお願いしにきた」
「あ?」

珈琲を一口飲む。美味しい。通っていればよかったな。

カップを置いて、怪訝な顔をする俊也を真っ直ぐ見る。


「俊也のこれからを俺に下さい」


俊也の目が丸くなる。珍しいな、とちょっと笑って続ける。


「ようやく、俺はあの頃の俊也に追いついた。俊也の苦労も、犠牲にしたものも少しわかった」
「……」
「だから、返したい。俺の全部をかけて俊也に返す。親子としてじゃなく、隣に立って。だから、俊也のこれからを俺に下さい」


頭を下げる。


ゆったりとピアノの音が消えていく。わずかな沈黙のあと、別の曲が流れ始める。

視界の端で、煙草を取る手が見えた。


「……三分の一だ」


小さな声がした。

顔を上げる。

俊也は窓の外を見ていた。ゆらゆらと煙草の煙が立ち上る。

「俺の人生、三分の一はお前に捧げてんだぞ」
「……うん」
「キツかった気もするし、犠牲って言われたらそうしたもんもあるかもな。……でも、お前がいるのは当たり前だったんだ」

俊也が俺を見た。

苦笑。

困ったように、仕方ないというように。



「今更変わんねぇよ。欲しいならくれてやる。隣に立つっつーんなら、飽きるまでいろよ」



視線を下げる。


うん、と頷く。泣きたくなる。



俊也は、優しい。

とことん俺を甘やかす。



それが分かっていて、お願いした。

きっと俊也は断らないから。



辛い思いをしても、犠牲を払っても俺といてくれた俊也。


それほどまでに俺を甘やかしていた俊也が、愛おしくてしょうがなかった。




プロポーズみたいじゃねえか、と呟いた俊也が笑う。籍でも入れるか?と冗談を言う。

俺も笑って、首を振る。

書類上なんてどうでも良い。



この人の隣にいられれば、それで良い。



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あきゅろす。
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