本編
3
とりあえず一安心。
と、言いたいところだけどそうもいかない。
最大の目的は“帰ること”。
正直、どうやって来たのかもわからないのに、どうやって帰るかなんてわかるわけがない。
焦ったら駄目だ、と言い聞かせながらも、内心はちょっとずつ焦りが積み重なっていく。おおっぴらに調べ回ることも出来ない。そもそもどこを当たればいいのかわからない。
ふと下を向いたら無意識に調書を握りしめていて深いシワが寄っていた。慌てて手を離す。
シワを伸ばしながら溜息をついた。
後回しにしている、一歩が来た日に思いついた一つの可能性。
……やっぱり、そこから攻めていくしかないか。
でも、それは俺の、
「お、ようやく来たか」
ハッと顔を上げたら、机の前にキエラが立っていた。いつの間に来たんだ。
カルのこと言えたもんじゃない。気の緩みが酷すぎる。
「ごめん」と言いつつ気持ちを切り替えて、手に持った調書を突きつける。
「これキエラだよな?」
「んー?何それ知らん」
「嘘つけこれキエラの字だろうが」
「うげ、お前全員の字覚えてんのかよ」
「見てたらなんとなくわかるじゃん。投げ出すのはいけません」
渋い顔をするキエラに調書を突っ返して、「あいつ最近細かくねぇ?」という周りの声を黙殺する。みんながちゃんとしないからだろバーカバーカ。
キエラが嫌そうに調書を受け取ってそれをヒラヒラと振る。
「なぁ、こんなもん誰も見ねぇだろ」
「一応王都に送るんですけど?」
「何の為だよいらねぇだろ」
「町の治安状態知る為でしょ」
「知ったところでどうなるよ」
「そんな嫌かよ……」
「嫌だ」
キエラはぶつぶつ言いつつ近くの机に座ってガリガリ調書を書き出す。溜息。
ここの連中は調書とか報告書とかが大っ嫌いである。
基本模範的なキエラでさえこうだ。出来上がったものはだいたいひどい。自警団の頃はそんなもんなかったみたいだからなぁ。可哀想といえば可哀想だけど、お国の決めたことだ。諦めろ。
ふいー、と息を吐いて、とりあえず机の上の書類に手を伸ばす。
一番上に置いていた、第三隊の近状報告書。
定期的に王都に送らないといけないそれは、調書よりもはるかに面倒くさい。
まだ半分くらいしか書いてないそれを眺めてげんなりする。うちの適当さを正直に書いたら恐ろしいことになりそうだから、内容は嘘まみれである。
その嘘を捻り出すのがものすごい面倒なわけで。
「クソがみんながちゃんとしてくれりゃあこんな苦労しないのに……」
「アズマ、これさぁもうこれでよくね?俺文章書くのまじで嫌い」
「俺も嫌いだよ真面目にやれ!あとお前らなんでいる!見回りは!?」
「え、カルもいねぇから今日の見回り無しでいいんだろ?ってなった」
「んなわけあるか!繰り上げだ!行ってこい!」
「はぁ!?もうお前ら行ったじゃねぇか!」
「うるせぇ行け!」
あっちに吠えこっちに吠え、「えー何あいつ情緒不安定こわー」と女子高生のようにほざく奴らに武具を突きつけ、カルに「アズマ怖い」となだめられた。
シメにフィーに呆れ顔で「お前最近まじで沸点低いな」と言われてしまった。
いやでも俺悪くなくない?
「ということで俺が悪いわけ?」
「兄貴は全然悪くないと思うけど」
「アズマは悪くない。あいつらが全部悪い」
「だよな、そうだよな」
「その二人に聞くのは間違いだと思うぞー」
本日の夜御飯は館近くの酒場である。
一歩とカルの即答にキエラが間延びした声を出した。フィーは我関せずとばかりに肉をモリモリ食べている。シカトして一歩に向かって「今日はどうだった?」と聞いてみる。
「うーん、報告書?書いたりしたけど、ほとんどサリトさんが書いてくれたし、昔のやつ真似したりしてただけかな」
「なに、弟もあれ書くの得意なわけ?」
キエラが嫌そうに顔をしかめる。
一歩の名前は呼びにくいらしく、周りからは弟、と呼ばれるのが定着している。
一歩は「得意ってわけじゃ」と困った顔をキエラに向けた。
キエラの兄貴気質は一歩もすぐ慣れたみたいで、キエラに対しては比較的普通に喋れる。「弟、対俺ら」とか言ってたのに、やっぱり常識人の兄貴分は違う。
「アズマもさらーっと書くじゃん。めちゃくちゃお綺麗な言葉並べて。ずりぃわ」
「俺もともと口悪くないから」
「よく言うわ。最初は字とかヘッタクソだったくせに」
しょうがないだろ、と思いつつ知らん顔で酒を飲む。
言葉と違って、普通に書いても文字は日本語のままだった。
頭に浮かぶ形をなぞって意味もわからず書いていたから、最初はそれは汚かっただろう。最近は普通に文字が書けるくらいわかってきたけど。
ちらっと横を見たら一歩が微妙な顔で俺を見ていたから、一歩も同じなんだろう。混乱するよなぁ。
「つーか、弟は酒飲まねぇの?」
一歩に同情の視線を向けていたらあっけらかんとしたキエラの飛んできて、はたと動きが止まる。
酒。
そういえば一歩は酒を飲もうとしない。
「……あんまり、好きじゃないから」
ああ、これはなんて言うのが正解かめっちゃ考えてる。がんばれ一歩。
もごもごキエラから目をそらして言う一歩に、へぇ?とキエラが目を丸くした。
「弱ぇの?こいつけっこう強ぇのに」
「弱……よくわかんない」
「なんだそれ。じゃあ飲んでみろって。弱い強いはわかってた方が身の為だぞ」
いやいや、そりゃそうなんだけど。
一歩が困ったように俺を見るから、俺もうーん?と首を傾げてしまう。
無理に飲まなくても、とは言えないな。ここは酒の方がメジャーだし。お茶なんて飲めないし。
でもいきなり飲ますのも、と思ってやんわり止めようとしたら、横からヘッと声が飛んできた。
「ガキ」
ボソッと小さい声。なのにもちろん一歩はすぐさま反応する。
「……あぁ?」
……あーあ。すげぇお約束だけど嫌な予感しかしない。
バチバチ睨み合う一歩とフィーを尻目に、キエラが「おやじー、酒追加ー」とニヤニヤしながら声を張り上げた。
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