檻
3
数百人の同年代の少年達が同じ空間に集まるのだ。親しいとはいかなくとも、見知った顔がいる事もあるだろう。
しかしこの場所では、それを口にしてはならない。それは入学する前から必ず守るべき決まりとして教えられ、此処へと送られてくるのだ。
何処の誰だと知っていても、決して口に出してはいけない。匂わせても、繋がりを求めて近付いてもいけない。噂を流した人間は必ず見つけ出され、酷い時は退学処分。暴かれた生徒も学外へ消えていくのだと、以前訳知り顔の誰かが話していた気がする。
「彼は確か……高峰商事の次男だったんじゃないかと」
「高峰?」
「四ノ宮とは全く接点の無い、まぁそこまで大きくもない会社でしたからね。聞いた事は無いと思いますよ」
「へぇ。接点が無いのによく知ってたな」
「同年代のご子息がいる場合、すぐに手に入る情報程度は必ず頭に入れるようにしていましたからね。小さい写真でしたけど、あの顔でしょう?そりゃ憶えますって」
反射的に藪の顔を見てしまい、驚いた藪が「いや、そういう意味じゃなくて…」と慌てる。
そういう意味がどういう意味がわかって一瞬眉をひそめるも、口にしないまま話を促した。
藪が松本(本名は高峰、か?)の写真を見たのは数年前。長男とのあまりの違いに驚いたので印象に残っていたらしい。
年子の兄は鼻辺りまでかかる前髪に度の強そうな眼鏡をかけていたようで、もしかして弟は腹違いかと勘繰ったという。
「―――で、その高峰商事なんですが……去年多額の負債を抱えて倒産してます」
「倒産……」
入学する前に在学中の全ての費用と多額の寄付金を要するこの学校に、そんな家庭環境の人間が入学出来るのか?
恐らく藪も、俺と同じ疑問を感じたんだろう。
「気になるなら、調べます?」
「此処にいる間、外への干渉は禁止されているんじゃないのか?きっと特待制度か何かを使っているか、素質を見込んだ親類が援助してるんだろ……そこまで深入りする必要は無いさ」
此処にそんな制度が無いことも、多額の負債を抱えた親族を援助するような奇特な人間が存在する確率の低さも知っていながら、俺は敢えて踏み込もうとは思わなかった。
禁止されているとはいえ藪なら多少の情報は得られるだろう。けれど、出会ったばかりのクラスメイトと俺を蹴落とそうとする人間に隙を与えるリスクを天秤にかければ、考えるまでもなく答えは出た。
この場所では、誰もがただの一生徒だ。
そんな風に本心から思っていたはずなのに。
学園の腐敗した習慣に徐々に染まっていく男に対して、少しずつ苛立ちが募っていくとは……想像もしていなかった。
学園の中で一番親しい友人だと言えるほど、互いに近づいたと信じていたある日。
用事が無い限りほぼ毎日俺の部屋へ入り浸っていた松本が、なんの連絡もないまま来なかった。携帯も繋がらず、その日は最後まで顔を出さなかった。
もしや体調不良かと早朝に部屋を訪問した俺が目にしたのは、部屋から出た見知らぬ上級生のふらつく背中だ。
「―――ああ、昨日は連絡出来なくて悪かったな。もしかして鉢合わせしたか?」
「いや……向こうは気がつかなかった。フラフラしてそれどころじゃ無かったんだろ」
嫌味のつもりは無かったが、俺の言葉に松本の目がほんの少しブレた気がした。
しかしすぐに元の不遜な表情に戻り、「部屋まで押しかけられて誘われるとは思わなかったけど、さすがに手慣れていて男も案外悪く無かったぞ」と笑う。
狭い箱庭での生活に慣れ始めた新入生たちは、少しずつ学園の悪癖に染まりつつあった。
女性の存在しない空間に詰め込まれた少年達が、それに近い対象を作りだすのは仕方のないことだ。そんなものは入学前から散々忠告されてきたのだし、今更動揺する話でもない。
それなのに、目の前の友人が染まっていく事への不快感。
名前の無い感情に蓋をしつつ、俺は興味無い風を装って腕を組む。
「……さっきの上級生、見たこと無いぞ」
「俺も昨日初めて会った」
「俺がとやかく言う権利はないけどな、出会ったばかりでそういった行為をするのはどうかと思うぞ」
「………」
「朝飯は?」
「まだ」
「なら食堂行くか。これだけ早かったら、まだ生徒は少ないだろうから静かだろう」
「飯は要らな……いや、そうだな。行くか」
心地よいとは言えない空気が流れるのを無理矢理断ち切って、まだ早い朝食へ誘った。
話は終わりだとばかりの俺の言葉に、松本は一度断りかけてから「どんな時でも腹は減るよな」と俺より先に部屋を出る。
「―――運動した後は飯を食うに限る!」
両腕を高く上げ身体を伸ばしながら前を進む友人の明るい声。
俺は溜息をついて、後に続いた。
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