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狼と忠犬

 内ポケットの携帯が小さく鳴った。
 取り出してタイマーを切れば、リビングで折りたたんだ食パンを頬張る堤が「食堂?」と聞いていたので頷く。

「じゃあ俺ももう食ったら練習行くから、鍵持ってけよ?」

 日影さまの食事を用意する事はなくなったが、代わりに毎食同席を許される栄誉を与えられた。風紀委員就任を境に、俺の生活リズムは大幅に変更されている。
 一番の痛手は、欠かさず記して波に乗りつつあった『日影さま生活リズム日誌』の終了であるが……遠くから見守るとすぐ側で指示を仰ぐを天秤にかければ、どちらに傾くかなんて考えるまでもない。
 遠くからなので、瞬きを忘れるほどにガン見しても怒られないという特典はあった。目が乾いて仕方が無かったが、今では良い思い出である。





「―――で、ぼ、僕はなぜ徹夜で仕事をした事を褒められもせずにパンを口に突っ込まれてふごおぉおぐぉおおお…っ。」
「副委員長からの心遣いです。」

 真壁の口に入り切らないサンドイッチを押し込みながら、俺は日影さまの言葉を思い出して、更に食パンの先を折りたたんで詰めた。ふご、ふご、と鼻から音を出す眼鏡に牛乳パックを手渡す。


 鼻歌を歌いたいぐらいのテンションで待機していた俺を待っていたのは、日影さまとの朝食では無く、泊まりで作業していたらしい真壁への差し入れを持って行けという指示だった。

「『真壁は玉子サンドが好きだから買って行ってやれ』と言われました。なるほど、ストーカーだった君も風紀入りして役立つ事で副委員長ともそこまで親しくなったのですか。なるほど、サンドイッチの好みまで把握して朝食の心配までしてされるほどに親密になっている訳ですか……なるほど。」
「ふご、お、う、んぐ、ま、待て!ちょっと待てっ!」

 俺が次の玉子サンドを袋から取り出す間に、真壁は口に入った物を咀嚼しながら片手で俺の行動を制止しつつ、素早く後ろに飛び跳ねるという器用な動きをみせた。

「い、い、言っとくけど、ぼ僕は玉子サンドなんか別に、好きじゃない、からっ!」

 な ん で す と 。
 それではまるで日影さまが間違ったかのようではないか。なるほどなるほど、彼は大好きなサンドイッチをまだ食べ足りなかったので催促している訳ですね。まさにツンデレ。仕事のし過ぎで脳が疲れているに違いない。

「ま、待て。パンが潰れてる!ゆ、指に力入り過ぎ、てる……あと、僕は食べ過ぎたらきき気分が悪くなっ、って、解析結果を報告できなくなる、から。」
「―――そうでした。それは申し訳ありません。」
「う、うん…うん。」

 残った玉子サンドは、俺が責任をもって完食しよう。
 少しだけ歪になったサンドイッチを口に放り込むと、安堵の息をついた真壁が「言っておくけど」と前置きして話しだした。最近の彼は、仕事での自信もあってか吃音が治まる時もあり、きついと不平を洩らしながらも風紀が性にあっている気がする。

「言っておくけど、僕が玉子サンドが好物じゃないっていうのは、本当の事だから。いや――だからもう要らない、しっ、こっち向けるなってば!」
「冗談です。」
「あんたの冗談は解り難……な、なにその手。絶対冗談じゃないだろ。い、いやわかった、わかったから牛乳も要らないから…。」

 最近の真壁は、以前にも増して遊び甲斐がある愉快な人間になろうとしているな。日影様専用のしもべである俺とは違い、今では通信機器全般を任されている真壁の存在はきっと俺よりも大きい。
 要らないと言いつつも牛乳パックを受け取り、最後まで飲み干してこちらを見上げる眼鏡の奥は、悔しいかな知的だ。

「……どおせ今日も副委員長に、な、何か言われて来たんだろ?だから、それ絶対あの人わざとあんたに命令してるから。」
「わざと?」
「前から時々あったけど、ここ最近、特に多いだろ?はじめは怒らせようとしてるのかな、って思ったけど、ち、がったみたいだし……って、な?何でそんな首かしげてるわけ?え?気がついて無かったのかよ?え?まじで?」

 真壁の頭がとうとう可笑しくなってしまったようだ。
 風紀で酷使し過ぎたのかも知れない。


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