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Ambivalence(=black out)


その闇は脳細胞をも犯した。







 献花台と、あいつが眠る棺桶の中には、真っ白な百合の花が添えられていた。

 みんな皆あいつの好みがわかってない。あいつは赤い雪椿と紅色の八重桜の花が好きなんだ。だから俺だけでも、墓前と仏前には赤い花を飾ってやるんだ(喜んでくれるかはわかんないけど、)

 棺桶の中のあいつは相変わらず綺麗な赤い着物を着ていた。長い髪も、白い肌もそのまんま。

 視えるはずの魂が視えなかった。本当は生きてるんじゃないかとか何度も思ったけど、何度『ごめん』と言っても目を覚ますことはなかった。涙は枯れた。
 ばあちゃんや親戚のおじさんおばさん達の目が体にちくちく突き刺さるみたいに痛かった。母さんはハンカチで両目を押さえて泣いていた。親父からは、鬼みたいな形相でずっと睨まれてて体に穴が空きそうだった。『やっぱり呪われてるのよ』とか『忌み子』とか囁く声がそこかしこから聞こえて、俺はうつむいて1人肩を震わせた。昔みたいに言い返せない。


 (まったくその通りだと、自覚したから)









 「はあ、はあっ、はあっ、は…」

 葬式の後、俺は照明を落とされて真っ暗な屋敷中の長い廊下を無我夢中で走っていた。
 走って、走って、走って、走って、ただひたすら走っていた。足の裏の皮が剥げて血が滲んでも気にならなかった。階段で転んで膝に痣が出来た。痣が出来てるのは膝だけじゃないからやっぱり気にならなかった。

 立ち止まったら殺されてしまう。

 俺を、包丁を持った鬼が追いかけてくるんだ。まあぶっちゃけると、鬼っつうか鬼の形相をした親父だ。俺のせいで気が触れた。俺のせいであいつが死んだからだ。
 自業自得だから誰にも助けを求められない。
 涸れきってもう出ないと思ってた涙はお陰で涙腺から湧き出てきた。息が切れる。疲れきって呼吸がままならなくて、俺は適当な部屋の襖を開けて中に転がり込んだ。ラッキーなことにそこは隠れやすい書庫で、見付かり難そうな古ぼけた本が詰まったダンボールの横に座ると、膝を抱えて息を潜める。汗だくだ。額に滲んだ『あの時』みたいな嫌な汗を、浴衣の袖で拭った。浴衣から覗く膝に青紫色の痣。足の裏も今更じくじく痛んできた。襖の障子から僅かに差し込む月明かり以外に書庫を照らすものは無く、真っ暗で気味が悪い。


ギシ

ギシ


 襖の向こうから廊下の軋む音が聞こえて体が強張る。少し重みのある足音(間違いない、親父だ)
 幽霊のがまだマシなのだと今改めて実感した。人間が一番怖い。ほんとに、こわい(誰か助けて)


ギシ


ギシ


 足音が着実に近付いてくる。
 俺まで気が狂いそうで、頭を抱えて恐怖で震える体を押さえて縮こまった。

 どうか、どうか、あの人に気付かれませんように。

 泣きながら必死で神様に祈った。


 「何処だ」

 「何処に隠れた」

 「出て来んか」

 「疫病神」

 「出て来い!」


バンッ


 障子に映る黒いシルエットが本気で鬼に見えた瞬間だった。

 俺の必死の願いは神様には届かず、親父の手によって襖が開かれる。心臓が爆発しそうなくらいばくばくと脈打った(いっそのことそのまま破裂してしまえばいい)辺り一面に血を吐き散らして、そこに悶えて。…やっぱやだな。死にたくない、とか。俺ってほんとに汚いなぁ。
 見付からないようにまた神様に祈りながら体を丸める。電気も点けずに部屋をゆっくり徘徊する足音。積み上げられたダンボールや小さい本棚をなぎ倒す音まで聞こえた。俺の足元にも何冊か転がってくる。開けられた襖から漏れた光を浴びて漢字ばかりの文面が視界に入るも、真っ黒になった(何、)

 俺に被さった影でまさか、って恐る恐る顔を上げると、鬼が充血した真っ赤な目で俺を見下ろしていた。

 「うわ…っ」
 「お前さえ、お前さえいなければ…」

 逃げようとしたら足首を掴まれて、空いた空間まで引きずられた。そのまま思いきり押し倒される。その拍子に頭を打って軽い脳震盪を起こした俺は眩暈でくらくら。ぐしゃぐしゃの浴衣から痣だらけの汚い体が覗いた。

ドスッ

 覆い被さって来た親父が包丁を俺の顔の横の畳に突き立てる。殺される。恐怖で全身の震えが止まらなかった。怖いのに親父の顔から目が逸らせない。涙のおかげで視界はぼやけてるんだけど。

 「お前のせいで何人犠牲になったと思う?」
 「ひ、っ」
 「答えろ、答えろ」
 「…、」

 わかんない、って必死で首を振ると、平手で何度も頬を打たれた。舌を噛んでしまって、口の中に鉄の味に広がる。意識が朦朧とし始めた頃に、親父が俺の両手を畳に押さえ付けて顔をぐっと近付けてきて耳元で囁いた。

 それはもう、恨めしい声で。

 「親父も弟も甥も親戚のジジィも、あの男も、皆お前が殺した」
 「ぐす、っ、やめ…やめてっ」
 「遂には俺の娘もだ!」
 「…っ!ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、」
 「返せ。娘を返せ!」

 ドスッ、ドスッと何度も顔の横に包丁を振り下ろされて、俺も狂ったように同じ言葉を繰り返した。

 「その汚い体で何人陥れた?あのキチガイ男もお前の呪いが引き寄せたんだろう?お前がそいつを狂わせたんだろう?」

 どんどん畳の穴が増えていく。切れた襟足の髪や、ズタズタになった藺草が散った。
 痣だらけだし、体が汚いのは認めるけど、誰も陥れたつもりは無かった。ずっと俺を嫌悪の目で見てた奴らが急に迫ってきたかと思えば、どいつもこいつも勝手に死んでいったから(俺がそうさせてるなんて知らなかったんだ)事実、寧ろ自分は被害者だとばかり思ってた。

 「とぉさん…!」
 「お前が俺の子供な訳があるか!!」

ザクッ

 怒鳴り散らして次は腹の横に包丁を突き立てる。刃が脇腹を掻すって浴衣を裂いた。鋭い痛み。

 「死ね」

ザクッ

 「死ね」

ザクッ

 「死ね」

ザクッ

 「死ね!」

ザクッ

 (ああ、)畳に突き立てられてた包丁を天高く振り翳される。
 苦しい。怖い。逃げたい。痛い。誰か助けて。精神的に限界だった俺は、反射的に手を翳すことも出来ずに剥き出しの胸に振り下ろされる刃を見詰めていた。最期に流した涙は何故か、冷たく感じた。


 ブラックアウト。モノクローム。ナイトメアー。バッドエンド。エンドロール。






あきゅろす。
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