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その手に墜とす




袖から、つ、と剣を取り出す。ほら、と差し出せば相手は戸惑うような素振りを見せた。やりたいと言ったのはお前だろうに、とユーバーは若干の可笑しさを覚える。
この赤毛は軍略であれば己の策を貫き通すくせに、それ以外の事で強い意思表示をして見せたかと思えば、あっさり肯定されると迷いが生まれる性質らしい。面倒臭い男だなと思う。口にしてしまうくらいの衝動と欲求を備えた行為であるならば、素直に従えばいいのだ。というか普通の人間ならばそうではないのか。それは悪鬼自身が人の血を浴びたい、殺戮をしたいと願っていて、実行するのに何の躊躇もないのと同じ事である。ユーバーならば、目の前の獲物を「殺せ」と命じられれば我慢やためらいなど生まれよう筈もない。自分がやりたくて堪らない事が誰かによって後押しされているのだから、それは所謂絶好の機会というやつではないか。
やるなら俺の気の変わらないうちにさっさとやれ。
絶好の機会を逃していいのか、と仄めかすように急かすと、アルベルトは呆けていた顔を引き締めて剣を受け取った。分かっている、と一言。
背中に垂らした髪の束をぐい、と引かれる。乱暴なそれにユーバーの端正な顔は歪み被っていた帽子が、はたり、と床へ落ちた。2人は目で追いもしない。お互い、目の前の金と銀に半ば陶酔したような視線を注ぐので精一杯だった。
さて、らしからぬ雑な手付きは緊張のせいか歓喜のせいか。多分どちらでもないのだろうな、と人外はひとり納得をする。たった一言で形容のしようもない、複雑な表情を浮かべている軍師はあまりにも自分の知る彼とかけ離れていた。
髪の毛と剣との間で視線を彷徨わせていた軍師はようやく決心が着いたようで、やるぞ、と一言告げた。律儀な男である。ユーバーは薄く笑みを浮かべる。それは苦笑いの類いとも取れた。



―――アルベルトが、その髪がほしい、と呟いたのはつい数分前の話であった。
黒衣に映えてゆらゆらと踊るそれを欲しがる様は子供、そうでなければ半ば偏執的なにおいさえするそれを軽く一言、やりたいならやればいい、と後押ししたのは他でもないユーバーだ。
この髪は今まで生きてきた中で、その長さを短くするために鋏を入れた事がない。つまりこの長さは人外の命がどれだけ続いてきたのかという証明でもある。ここ何年かは編んで適当に背中に垂らしているので忘れがちだが、ほどいた時にはユーバー自身でさえ驚くほど、それは長い。
髪が欲しい。その呟きは今までのお前が欲しい、と言われたのと同義であるのかもしれない、とユーバーは思う。本当の所は分からないし訊く気もない。



「…」
「しっかりやれよ、俺を傷つけたら承知せんぞ」
「分かっている」



答える声は普段通りを装ってはいるものの剣先は小さく震えている。それは感情から由来するものなのか、それとも金属の重さに片腕が悲鳴を上げかけているのか。後者でも十分あり得るあたり笑えない。間違いで首をざっくりいかれてしまってはいくら悪鬼とてひとたまりもない。
軍師だからというのは何にでも通用する言い訳ではない。大体名家のお坊っちゃんなら多少の剣技くらい習わなかったのか。思い付く限りの小言を思い付くままに遊ばせて、ユーバーは静かにアルベルトの右手に手を添えてやった。



「…何の真似だ」
「ふん、ふらつく剣先の手伝いをしてやろうかと思ってな」
「……」



どうやら手つきが覚束ない自覚はあったようで、アルベルトは思いの外素直に従った。普段からこうであれば可愛気も出るものを、と内心人外が吐いたのは軍師の悟る所ではない。
ひた、と、今度は安定した切っ先が金の束にあてられる。
このまま引いてしまえばすぐに始まりで終わりである。使う刃物は錆びた鋏ではなく、使い込まれてそれなりに手入れもされた剣である。大した抵抗もなしにふつりとこの頭から離れていく様など容易に想像できた。身震いをひとつ。離れた金糸を握り締めてこの男は一体何を思うのだろう。馬鹿な事をしたと我に返るのかもしれないし、陶酔したような目のままでぼんやりしているのかもしれない。どちらにせよそれはユーバーのものではなくなり、同時にアルベルトのものになるのだった。
それならばいい。



「いくぞ」
「ああ」
「俺が手を添えているからといって、切るのはお前なのだからな」
「ああ」
「これは、お前のものになるぞ」
「…ああ」



こく、と首が一度俯いた。幾分か酔った若草色の瞳が金を刺す。その様子にまた酔う自分を盛大に嘲笑ってやろう。悪鬼が人間に見惚れるなどと何処の童話か。欲しがるなら与えてやろうなどという己は随分と人間に甘くなった、という事実を、ユーバーは静かに受け入れていた。
金髪に刃があてられた時点で既にその1本か2本は聞こえない音を立てて離れていたのではなかろうか。それでもやるぞ、と未だ確かめようとする赤毛の男の背中を押してやろうと、薄い唇から空気を吸った。そうしてたった一言体温に染まった息で、



「くれてやる。」





その手に墜とす



対等でないふたり
与えてやる人と貰いうける人






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あきゅろす。
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